第九十四話 蹄の音
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
新年の朝の冷えが、まだ地に残っている。
伊東祐兵と島津豊久は
厩の前に立っていた。
「今年は午年ですな」
豊久が、馬の首を撫でながら言う。
「古くから、前へ進む年とされる」
祐兵は、蹄の様子を確かめつつ応じた。
二人が世話をしている馬は
冬毛をまとい、静かに息を吐いている。
白い息が、朝の光の中でゆっくり消えた。
「馬は不思議ですな」
「人が急げば急ぐほど
かえって落ち着きを失う」
「だが、信じて任せれば
遠くまで運んでくれる」
祐兵は手綱を整えながら続けた。
「今年も、無理に走る必要はない」
「ええ。歩むべき道を、確かに進めばいいのです」
その足元では、小春が藁の上を歩き
黒猫は厩の柱に身を寄せて
馬の動きをじっと見ていた。
「猫は乗れぬが
見守ることはできるな」
「それもまた、大事な役目です」
二人は馬を引き
短い距離だけ、冬の道を歩かせた。
駆けるでもなく、急がせるでもない。
蹄の音が、一定の調子で響く。
「良い年の始まりですな」
「うむ。蹄の音が、穏やかだ」
午年の朝は
力強さよりも、確かさを選び
静かな歩みで始まっていた。
今年もまた
遠くへ行くためではなく
迷わず進むための一年が始まる。




