第百三十二話 静かな怒り
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
食べ歩きの帰り、冬の町外れ。
人通りの少ない裏道に
妙な空気が溜まっていた。
町娘が一人、足を速めて歩いている。
その隣と後ろから
禿げ頭の老人と
禿げ頭で眼鏡の無口な男がついて来ていた。
老人は下卑た笑みを浮かべ
娘の腕を握り、腰に手を伸ばす。
「そう急ぐな、少し話でも——」
娘は答えず、よろめきながら歩みを速める。
だが、眼鏡の男が前へ回り込み、道を塞ぐ。
何も言わない。
ただ、じっと見下ろすだけ。
娘の肩が震えた。
その時
足音がもう二つ、近づく。
伊東祐兵と島津豊久だった。
「道を、空けてもらおうか」
祐兵が静かに言う。
老人が舌打ちする。
「関係ねえだろう」
豊久が一歩前に出る。
「関係ある。ここは町の道だ。
誰かを怯えさせて立つ場所ではない」
眼鏡の男が、無言のまま肩をすくめる。
だが動かない。
次の瞬間。
豊久の手が眼鏡男の腕を掴み、軽くひねる。
抵抗する隙もない。
体勢が崩れ、地面に膝をつく。
老人が怒鳴りながら殴りかかろうとする。
祐兵が半歩踏み込み
その拳を受け流し、足を払う。
乾いた音とともに、老人も地面へ転がった。
「やめろ……!」
老人が呻く。
祐兵の視線は冷たい。
「やめるのは、そちらだ」
豊久が眼鏡の男を押さえたまま言う。
「無言で近づくのが、一番質が悪い。
次は、町役人に話してもらう」
男は初めて、顔を歪めた。
娘はようやく息を整え
深く頭を下げる。
「……ありがとうございます」
「早く帰りなさい」
祐兵が穏やかに言う。
娘は頷き、足早に去っていった。
二人は男たちを立たせ
町の方へ歩かせる。
逃げる余地はない。
「寒いのに、余計な騒ぎでしたな」
豊久が息を吐く。
「寒いからこそ、だ」
祐兵は前を見る。
「人の心は、弱る」
風が吹き、路地の雪をさらった。
冬の静けさが、ゆっくり戻っていく。




