第百二十五話 灯を渡す夜
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
夜半、雪は降っていなかった。
だが空気は澄み、星が冴えている。
伊東祐兵と島津豊久は
城下外れの道を歩いていた。
用向きを終え、帰る途中のことだった。
道端に、うずくまる影がある。
「……人か」
祐兵が足を止める。
近づくと、老女だった。
背は曲がり、手には小さな包みを抱いている。
息は浅く、唇が震えていた。
「どうされた?大丈夫か?」
祐兵が声をかける。
老女は顔を上げ、かすかに微笑んだ。
「……家に、戻りたくて……足が、言うことをきかなくて」
豊久は黙って外套を外し
老女の肩にかける。
「冷えすぎですな。
家は、どちらです?」
老女の震える指が、川向こうを指した。
祐兵はうなずいた。
「行こう」
二人は老女を支え、ゆっくりと歩く。
急がない。
老女の歩幅に合わせる。
途中、老女がぽつりと言った。
「息子が……昔、この道を通って、戦に行きました」
祐兵も豊久も、言葉を挟まない。
「……戻りませんでした」
それでも老女の声は、恨みを含まない。
ただ、事実としてそこにあった。
家は、小さな家だった。
戸を開けると
灯明が一つ、消えずに残っている。
「……帰れましたね」
老女はそう言って、二人を見上げた。
祐兵は静かに答える。
「灯が、待っていた」
老女は包みを差し出した。
中には、粗末な団子が二つ。
「お礼です。
たいしたものはありませんが……」
豊久は首を振る。
「お気持ちだけで、十分です」
老女は何度も頭を下げた。
その背を見届け、二人は外へ出る。
夜道に戻ると
風が一筋、頬をなでた。
「……人の灯は、弱く見えて、消えにくいですな」
豊久が言う。
「ああ」
祐兵は星を仰いだ。
「守るべきものは
いつも静かな場所にある」
足元では、小春と黒猫が
家の方を一度だけ振り返り
何事もなかったように歩き出す。
遠くで、灯明が揺れた。
その光は小さい。
だが、確かに夜を越える光だった。
二人は言葉を重ねず
ただ並んで、冬の道を帰った。




