第百十六話 夜更けの一献
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
冬の夜。
風は弱く、障子の向こうで冬が息を潜めている。
囲炉裏の火は小さく
徳利が一本、静かに温められていた。
伊東祐兵と島津豊久は
向かい合って腰を下ろす。
盃に酒を注ぎ
まずは一口。
言葉は続かない。
火のはぜる音が、間を埋める。
「今日の山は、良かったな」
祐兵が、ぽつりと言う。
「ええ。
歩いた分だけ、余計なものが抜けました」
酒は強くない。
だが、温かい。
喉を通るたび
一日の重さが静かにほどけていく。
二杯目で、豊久が盃を置いた。
「昔は、飲めば騒ぎたくなったものですが」
「今は?」
祐兵が問う。
「今は……
こうして黙って飲む方が、性に合いますな」
祐兵は小さく笑い
自分の盃を傾けた。
「歳を重ねた証だ。悪くない」
足元では、小春と黒猫が寄り添い
火を背にして丸くなる。
その姿を一瞥し
二人はまた黙る。
酒は進むが、過ぎない。
語るべきことは多くあれど
今夜は言葉にせぬままでいい。
やがて徳利が空になる。
祐兵は立ち上がり
火を落とした。
「明日も、歩けるな」
「ええ。
そのための一献です」
冬の夜は深く
静かな酒は
二人の背をそっと支えていた。




