鮮血の雨とレイン
覆面をした男はすぐさまナルヴィラを羽交い絞めにした。
ナルヴィラに手をのばそうとしたリリアの腕を捻りあげる。
「離して、離しなさい! どこから入ったの!?」
「入ろうと思えば、入れる場所はいくらでもある。大人しくしてろガキが」
大声をあげるナルヴィラの口を男の手が塞いだ。
「あなたたちは誰!? ナルヴィラ様に手を出さないで!」
リリアは、リリアの体を引きずってどこかに向かおうとする男の腕に、思い切り爪を立てた。
「痛ぇな、生意気な女だな!」
「私に触らないで! ナルヴィラ様を離しなさい! 王女殿下に手を出して、ただですむとでも思うの!?」
ここは城の敷地内だ。見張りの兵士たちも多くいる。
こんな場所で凶行に及ぼうとするなど、どうかしている。男たちが誰なのかはわからない。
暴力には慣れているのだろうが、その行動は賢いとはいいがたい。
男が怯んだすきに逃げようとしたリリアを、別の男が背後から捕まえる。
「リリアさんに手を出すな。王女殿下とリリアさんを離しなよ。あぁ、嫌になる。本当に」
シルヴァスが敵意のこもった声音で言った。
彼の声にはどことない憐憫と怒りが滲んでいる。
「まるで、昔の自分を見てるみたいで、本当に、嫌だ」
「黙ってろ、花屋。王女様の顔に傷がついてもいいのか?」
ナルヴィラを羽交い絞めにしている男が、吠えるように言った。彼は片手にナイフを持っている。
「傷をつけたらお前の首が飛ぶよ」
「その前に逃げるさ。そこの女、リリアは高く売れると聞いた。なんせ、王子殿下のお気に入りだそうだ。王女やリリアを助けるために、王族はいくらでも金を出すだろう。その金を持って、捕まらない場所まで逃げりゃいいだけの話だ」
「あぁ、馬鹿だ。誰かを傷つけて奪った汚い金で、幸せに生きられるとでも思う?」
「金は金だ。汚いも綺麗もねぇよ」
シルヴァスは話しながらじりじりと荷台に移動する。
ちらりと誰かに視線を送る。騒ぎを聞きつけた兵士や、ナルヴィラの護衛たちの足音がこちらに向かっているのが聞こえる。
ナルヴィラとリリアを連れて男たちが逃げようとしている。
一瞬の隙をついて、シルヴァスは切り花を掴むと、ナルヴィラを拘束している男に向かい思い切り投げつけた。
赤い薔薇は流線型を描き、男の頭上から降り注ぐ。男が怯んだ隙に、シルヴァスはナルヴィラを抱えた。
リリアも背後からリリアを抱えている男の腕に、思い切り噛みついた。
こういう時──オーウェンから教わったあの言葉を、使うべきだと気づく。
「私に触るな、クソ野郎!」
「暴れ馬みたいな女だな……っ、図書館で働いている気弱な大人しい女だと聞いたぞ!?」
「リリアさん、格好いい!」
「リリア、素敵だわ!」
ナルヴィラを抱きあげ男たちから離れながら、シルヴァスが嬉しそうに言う。
ナルヴィラも黄色い声をあげた。
逃げようとしたリリアのスカートが、男に掴まれる。布が裂ける音が聞こえる。
脚をもつれさせて倒れ込んだリリアを、男が殴りつけようとした。
そこに、白い鳥が急降下してくる。鋭い爪が男の顔を引っ掻いた。
「ウル!」
「よくやった、ウル!」
リリアがウルの名前を呼ぶのと同時に、耳に馴染んだ、誰よりも何よりも安心できる声が聞こえた。
リリアの横を風が通り抜けたと思った。
次の瞬間、リリアに襲いかかろうとしていた男の一人が、地面に倒れ伏していた。
オーウェンが男の横面を蹴り飛ばしたのだ。
長い足が容赦なく、別の男の腹を蹴り、顎を蹴りあげる。
倒れた男を追い打ちをかけるように踏み抜いて、オーウェンは更に別の男を、突き出してくるナイフを持った腕を捻りあげた。
骨の折れる鈍い音と、激しい呻き声が響く。
「オーウェン様……っ」
「リリア、無事か。怪我は?」
「大丈夫です。シルヴァスさんが、助けてくださいました」
オーウェンがリリアに手をさしのべる。リリアはその手を取って、立ちあがった。
男たちを追い回してその頭をつついていたウルが、リリアの腕の中に舞い降りてくる。
ちらりとオーウェンに視線を向けられて、シルヴァスはナルヴィラを抱えながらひらひらと手を振った。
オーウェンはリリアを背後に庇い、倒れた男たちを怒りと呆れが入り混じった表情で睨んだ。
「……どういうつもりか知らないが、愚かなことをする。お前は、エストラ商会のウォルズだな。会長の命令か?」
「お、お前は、なんで、こんなところにお前が……っ」
名を呼ばれた男は、オーウェンの顔を見て明らかに狼狽えはじめた。
先程までは血に飢えた狼のようだったが、今はまるで、怯えた子犬のようだ。
「鮮血の雨のレイン……っ」
「………………リリア。何も聞こえなかった。君は何も聞かなかった。いいね」
「はい」
「聞こえましたわ、叔父様」
「ナルヴィラ、君も何も聞かなかった」
「聞こえましたわ、叔父様」
オーウェンは深い溜息をつく。ナルヴィラはシルヴァスに「せんけつとは、なにかしら?」と尋ねている。
シルヴァスは苦笑しながら、「赤い雨のことですよ」と答えている。
男たちは鮮血の雨と、レインという名を聞いて──すっかり、戦意を失ってしまったようだった。




