グリーズ家の崩壊
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恥を忍んでドレスを運び、質屋に売りにいった。
自らそういった売買などをしたことのないエラドは、ドレスや金飾りをどこに売りにいけばいいのかを知らなかった。相談できる相手もいない。
リリアはどこに売りにいっていたのかとイルマたちに聞いても、「奥様がお一人でされていたことですから、存じあげません」としか言わない。怒鳴ろうが脅そうが、誰も口を開こうとしなかった。
質屋はエラドを、金に困っている貴族のお坊ちゃんという顔で見ながら、ドレスや金飾りを安く買いたたいた。リリアは足りると言っていたが総額一千五百万ファブリスにしかならず、エラドは更に家の中から宝石を探し売り払うことになった。
なんとか作った金で、王都劇場の支配人からルイーズをもらい受けた。
本当は──エラドの心は冷えていた。
ルイーズがエラドの所業を皆に言いふらすと口にしたときから。ルイーズの醜さを感じた時から。
舞台や暗い部屋の中では輝いて見えた彼女の美貌は、酔いが覚めて明るい日差しの中で見て見ると、小じわがあり肌の艶がなく、薄汚れて見えた。
それでも、身請けしないわけにはいかなかった。
彼女が王都劇場で、エラドに捨てられた歌を名指しで歌うと言ったからだ。
そんなことをされたら、エラドは二度と社交界に顔を出せない。グリーズ家の栄華が、ぼろぼろに崩れ落ちてしまう。
「エラド様、古いドレスばかりです。新しいドレスを作りますね。これからお腹が大きくなってくるので、何着かは新しくしないといけません。体形が変わるたびに作り直さないと」
「……妊娠中にドレスを着る必要があるのか? 腹が隠れる締め付けの少ない服なら、衣裳部屋に何着もあるだろう」
「私に誰かが着た服をもう一度着ろというのですか? エラド様が新調してくれると思って、私の持ち物は全て捨ててきてしまいました。これから仕立て屋がきます。もう頼んでしまいました」
グリーズ家にルイーズを呼んだ時から、彼女はまるで女主人のようにふるまった。
まだ正式に結婚したわけでもないのに、仕立て屋を呼び寄せて何着も、新しいドレスをつくった。
最高級のシルク生地に、袖や首に散らされた宝石。総額五百万ファブリスという請求書を見て、エラドは吐き気がした。
「ハインツ、請求書だ。どうにかしろ」
「どうにかと、もうされましても。ハインツはリリア様とのことが終わりましたら、お暇をいたしますともうしあげたはずです。他にも整理しなくてはならないことがありますので、月末までは働きますが。エラド様、給金とそれから、長年勤めあげた私への退職金のご準備をお願いします」
これまで何も言わずにエラドに従ってきたハインツは、飄々と言った。
彼はルイーズと言葉を交わす気がないらしく、執務室や自分の部屋にこもり毎日残された仕事と身辺整理をしていた。ルイーズに金のことを言われても「それはエラド様に相談を」と一言言うだけだった。
「イルマ! 私の部屋には毎日花を飾ってと言ったじゃない。朝食は茹でた卵とスティック野菜を持ってきて。私の爪の手入れをして。マッサージクリームを買って来なさい」
「……失礼ながら、坊ちゃんの妻でもない庶民の女と交わす言葉はありません」
「私のお腹には、エラド様の赤ちゃんがいるのよ!? この家の跡取りよ!」
「野良犬の産んだ子供は野良犬でしかありません」
「なんて失礼なの! エラド様、この女を追い出して! 他の侍女も役に立たないわ、全員出て行きなさい、新しい者を雇うわ!」
そんなやりとりを、何度も聞いた。ルイーズが喚き散らすたびに、エラドの頭は痛んだ。
妊娠を告げられてから、彼女を抱きたいとも思わなくなった。
リリアのことばかり、思い出す。彼女の作った料理。清潔に品よく整えられた部屋。
いつも穏やかな彼女の声。気づかいに満ちた彼女の──思い出したら、きりがない。
リリアはルイーズのように、使用人に怒鳴らなかった。
イルマたちとの関係は良好で、イルマたちはリリアのことを悪く言ったことは一度もなかった。
エラドが「学歴をひけらかす嫌な女」だとリリアについて悪く言うと、「そんなことはありません」とやんわりと否定をしていた。
「エラド、リリアが逃げたそうだな?」
「ルイーズを妻にしたと聞いたぞ」
「いいなぁ。誰もが憧れる歌姫様を妻にするなんて」
「だが、ルイーズがいなくなって後釜になったマリエットのほうがずっと可憐だ。あの声、あの容姿。儚げで若々しくて。ルイーズは年齢を誤魔化していたと、王都劇場では今、笑いものになっている。年増だから、必死に結婚相手を探していたのだろうとな」
「歌姫の色香に騙されたな、エラド。若い坊ちゃんは女に免疫がないと、皆が笑っている」
家にいるのが嫌で外にでると、パブで飲んでいた友人たちがエラドをからかった。
彼らはエラドが顔を見せるまで、エラドとルイーズの話を肴にしていたようだ。
エラドが姿を見せると「ご本人の登場だ」と言って、大笑いをした。
「どういうことだ……?」
「知らないのか。離縁問題で色々と大変だったろうからなぁ」
「ルイーズは二十二という話だが、三十手前らしい。彼女の語る過去の話はほとんど嘘だ。毎回違うことを言うのだと。父は盗人だった、母は娼婦だった。父は貴族だった、母は貴族に捨てられた。そんな過去を彼女はさも、本当のように語る」
「エラドは何と聞いている? 本当は赤子の時に孤児院に捨てられた孤児らしい。幼い頃からませていて、男を誘惑して手玉にとっていたのだとか」
「噂では、孤児院の院長まで十五の時には咥えこんでいたらしい。だから院長はルイーズを手放したくなくて、劇場の支配人にルイーズが欲しいなら一千万寄付しろと言ったのだとか」
ひどい噂だと──エラドは、思わなかった。
ルイーズならばやりそうなことだと、考えた。
エラドはルイーズの腹の子を自分の子だと思えない。にやにや笑っている友人たちの誰かが、ルイーズと関係を持っていてもおかしくないと思うと、臓腑が煮えるようだった。
嫉妬ではない。嫌悪と怒りでだ。
「しかし、エラド。リリア嬢は今や、オーウェン殿下の恋人だ。侯爵の妻よりも出世をしたな」
「オーウェン殿下はティリーズ家に三千万を支払ったという。リリアをティリーズ伯爵からもらい受けるために。三千万もの価値がある女性だと、話題だ」
「リリア嬢見たさに、テネグロ図書館に通い詰める男がいるらしいぞ」
「オーウェン殿下がまるで番犬のようにリリア嬢の傍にいるらしい。女嫌いの殿下をそうまで変えてしまうのだから、彼女はきっと魅力的な女性なのだろうなぁ」
今までリリアを馬鹿にしていた友人たちは、手のひらをかえしたようにリリアを褒めだした。
「リリア嬢が青空市場で商売をしていた時に売っていた刺繡入りの小物、あれを持っていると幸運が訪れると言って今や買った時よりも十倍の値がついているというぞ」
「例えば王子殿下と恋人になれるというような?」
「あぁ、そうだ。世の中には案外、夫を捨てたいと思っている女は多いようだ。皆も気をつけたほうがいい」
酔いが回り、エラドの前でリリアの噂をしだした友人たちに耐え兼ねて、エラドはショットグラスを床に叩きつけた。
店にいる者たちから悲鳴があがる。
唖然とする友人たちに何も言わずにエラドは立ちあがると、金をテーブルに置いて店から出て、夜の街をふらふらと歩きだした。




