スラング
ティリーズ伯爵家から出たオーウェンとリリアを、アスベルが追ってくる。
それに気づいて、リリアはオーウェンに頼んで抱きあげてられている状態から、降ろしてもらった。
さすがに弟の前でオーウェンに抱っこをされているというのは、姉として恥ずかしい。
アスベルはよほど急いでいたのだろう、はぁはぁと肩で息をついて、それから頭をさげた。
「殿下、父が大変な失礼をしました。姉さん、ごめんなさい」
「いいのよ、アスベル。嫌なところを見せてしまって、ごめんね」
「いいえ。僕も妹も姉さんにずっと甘えていました。父や母の罪を知りながら、姉さんの優しさに。今日は姉さんの気持ちをはっきり聞くことができて、よかったです」
「……あなたやメルフィを恨んではいないわ」
「わかっています。僕たちにずっと姉さんは優しかったですから。きっと僕たちは姉さんにずっと我慢をさせていたのでしょう。姉さんにとって安らげる場所になるよう、これから僕がティリーズ家を変えていきます。僕とメルフィは、姉さんの味方です」
アスベルの謝罪に、リリアは微笑む。
かつてリリアは弟妹にも複雑な気持ちを抱いていた。彼らに罪はないことは理解している。懐いてくれる彼らは可愛かったが、心の奥底では彼らにわだかまりがあった。
けれど今は違う。純粋に、アスベルを大切な弟だと思うことができる。メルフィにも会いたいと、思うことができる。
オーウェンと出会い、ハーヴェイと話し、リリアは少し変わったのだ。
「ありがとう、アスベル。でも、あなたは両親を恨まなくていいわ。私は、新しい居場所を手に入れた。テネグロ図書館と、そしてオーウェン様の傍。今はそれだけで十分よ」
「いつか胸を張って堂々と、姉さんと家族だと言えるように、努力します」
本来ならば背負うべきではない罪悪感をアスベルに抱かせてしまうことは心苦しかった。
だがリリアは、それ以上は何も言わずにもう一度「ありがとう」と微笑んだ。
「アスベル、リリアの居場所は私がつくる。さきほどの伯爵の態度は、今にはじまったことではないだろう。あの心無い言葉にリリアは耐えた。よく心が壊れなかったものだ。私はリリアをティリーズ家に関わらせるつもりはない」
「……そう思われても仕方ありません。殿下の、おっしゃるとおりです」
「オーウェン様、アスベルは……」
「共に暮らしながら彼はリリアを守らなかった。だが、だからこそ私はリリアと出会えた。歴史とは全ての偶然の積み重ね。リリアと出会えたことも、偶然が積み重なった運命なのだろう。だから……そうだな。アスベルのこれからの努力次第だ」
もちろんです──と、アスベルは深々と頭をさげた。
それから、ティリーズ家の馬車を用意して、リリアたちを街まで送ってくれた。
せっかくだから、領地の街で一泊していくつもりだった。
貿易が盛んな港町である。港には漁船の他にも、父の貿易船が何艘も停泊している。
波の音を聞きながら、オーウェンとリリアは手を繋いで港を歩いた。
昼下がりの港には、美味しい海鮮を求めて歩く人々の姿が多く見られる。
魚を揚げたり焼いたりしている香ばしいいい香りが、そこかしこから漂ってきている。
「ふふ、あはは……」
「リリア?」
「ごめんなさい。なんだか、おかしくて。口にすればこんなに簡単なことなのに、私はずっと怯えていました。本音を口にすると何かが壊れてしまいそうで、怖かったのかもしれません」
「その気持ちは、私も理解できる。普段の私はかなり取り繕っている。私の素行は兄上の評判に繋がるからな。それに……君に好きだと伝えることがずっとできなかった。建前を口にするよりも、本音を口にするほうが難しい」
「オーウェン様は……本音を話すとき、少し恥ずかしいことを言いますね」
「君が照れてくれるのが、可愛くて、つい」
「……あなたのおかげです。私の見ている景色は、変わりました。オーウェン様と一緒に過ごすようになって、空の色も海の色もとても綺麗に見えるのです。昔よりも、ずっと」
笑いながらリリアが言うと、オーウェンは驚いたように目を見開いたあと、頬を染めた。
「そうか……」
「照れましたか?」
「まぁ……そうだな」
「オーウェン様、悪口、教えてくださいますか? スラング、私の父にぴったりな言葉があれば」
「…………クソ野郎、などだろうか」
「くそやろう」
「……リリア、すまない。教えるべきではなかった」
「私の父は、くそやろう、です。ね、オーウェン様」
リリアはオーウェンの手を引いて、大きな声で笑った。
オーウェンは困ったように笑ったあと、愛し気にリリアの頭を撫でた。




