日記の解読
何ページか、二人で共に日記を読んだ。
『お父様が激怒していらっしゃったわ。いい気味。お母様の仇を討ったわ。リンデル、頑張ったわ、私』
『よく頑張りましたね、アリル様。ですがあまりご無理はなさいませんよう。リンデルはあなたの傍にはいないのですから』
『日記でしか話せないのは寂しい、リンデルに一緒にいてほしい。お城は、窮屈よ。皆が私を嫌うわ。■■■は日記を運んでくれるけれど、本当はあなたと話したい。魔女なんてひどいことを言うわ。リンデルは私の大切な先生だったのに』
日記のやりとりは、おおよそ一週間に一度ほどのペースで行われている。
どうやら王女と魔女は、離れた場所に住んでいるらしい。
そしてリンデルは、元々はアリルの家庭教師だった。何らかの理由で城から追放された。
魔女という呼び名は好意的なものではなく、追放されたリンデルにつけられた蔑称である。
『リンデルは、私を守ろうとしてくれたわ。お父様の浮気を悲しんでお母様が亡くなって。お城の中でひとりぼっちになってしまった私は、あなたがいてくれたから元気でいられたの。それなのに、皆、あなたを悪く言う。あなたは何も悪いことをしていないのに』
『アリル様が私を信じていてくれるだけで、私には十分です。私の可愛いアリル様。どうか、いつも笑っていてください。あなたの長い黒髪や、赤い瞳を思い出すだけで、私はどこにいても幸せな気持ちになれるのですよ』
魔女と王女の間には、家庭教師と王女という関係以上の親密さがあるようだった。
例えていうのならば、まるで姉妹だ。
王女の母は正妃だった。だが夫は女好きで、浮気を繰り返していたようだ。
側妃以外にも何人も手つきにされた侍女がいて、その時のお気に入りの女性をいつも共に連れている──という。正妃はアリルを身籠ってから、見向きもされていなかった。
アリルが五歳の時に、正妃は亡くなった。そのころからリンデルは彼女の傍にいて、彼女の家庭教師を務めていたようだ。特に賢い女性という意味で、その時は『賢女リンデル』と呼ばれていたと、日記からは読み取れた。
「人間というのは、変わらないな。現代も古代も、悩みは常に同じだ。そのような親の血が流れていると思うと、自分自身にもうんざりすることがある。……かつては、あったな」
「私も、同じです。いつか私は、オーウェン様に言いました。母と同じで、私は家族に恵まれないのだと」
「あぁ、そうだな」
わからない単語や文字列を、あれやこれやと話し合って文章を読み進めていたせいで、かなりの時間がかかってしまった。
もう真夜中。寝る時間だ。二杯目の珈琲は、リリアがいれた。
降りしきる雨の音が、心地よい音楽のように部屋に響く。
オーウェンとの距離が近い。一つの本を二人で読んでいたから、自然と寄り添うように座っている。
時折触れ合う足や腕を意識しないようにしていたが、文章に夢中になっていたせいで次第にそれも忘れていった。
「だが……どんな血が流れていようが、生きかたは自分で選べる」
「ええ、そうですね。この日記を書いた王女は、生き生きしています。怒っている姿も、生きる力に満ちていて……ずっと忘れていたものを、思い出せそうな気がしてきます」
「例えば、戦うことを?」
「はい。考えないように、していました。嫌なことを、そして、怖いことを。父は私に冷たく、歯向かえば怒鳴られ叩かれました。エラド様も同じ。だから何を言われてもされても、私は従順でした」
もっと戦えばよかった。父に従わずに、家を出てしまえばよかった。
エラドと結婚をせずに、仕事をすればよかった。
「私もこの王女のように、自分の感情に素直になりたい」
「王女には、魔女リンデルがいた。彼女は一人ではない。だから、立ち向かうことができたのだろう」
「ええ、きっとそうですね。私も、オーウェン様に声をかけていただいてから、世界が変わったように思います。あなたのおかげで、新しい人生を生きることができるような気がしています」
「……君は私と出会う前から、人生を模索していた。十分努力し、十分戦っていた」
オーウェンは口元に僅かな笑みを浮かべる。視線が絡み合い、リリアは頬を染めた。
「ありがとうございます、オーウェン様」
「こちらこそ。一人では解読できない言葉のほうが多かった。君がいるから、ずいぶん捗った」
「古い時代の人々のことを知るのは楽しいです。オーウェン様が古代史に夢中になる気持ちもわかります」
「リリア。……君はベッドを。私はソファで眠る。そろそろ休もう」
明日も仕事だろう、図書館まで送ると、オーウェンは言う。
リリアは遠慮したが、女性をソファで眠らせるなどはできないと押し切られてしまった。
「扉は、薄く開けておく。私はこちらにいる。何かあったら遠慮なく呼んでくれ」
「扉……」
「怖いのだろう。気づかず、すまなかったな」
「い、いえ、私は大人ですから。怖いものなど、なにも」
「リリア。心の傷を恥じる必要はない。怖いものは怖いと言っていい」
「……ありがとうございます」
何も伝えていないのに、どうしてわかってしまうのだろう。
リリアは瞳を潤ませた。オーウェンの優しさがありがたく、彼に惹かれてしまう自分に気づいてしまう。
まだエラドと正式に離縁もできていないのに。
この感情は、伏せておかなくては。これでは本当に、母と同じだ。




