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運命じゃない私の、新しい恋について  作者: 束原ミヤコ


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イルマ・アンロドフの後悔



 ◆


 

 グリーズ家のタウンハウスのほど近くに、イルマは家を借りている。

 侯爵家で働く使用人たちのほとんどは、王都の住宅地のアパートメントに住んでいる。イルマの家も三階建てのアパートメントの一室である。

 何十年も昔、貴族に仕える者たちは貴族の家で共に暮らし、そこに自由などはなかった。

 だが今はそれぞれが家を持ち、自分の生活と仕事を切り離して考えることができるようになっている。


 それでも、拘束時間は他の仕事に比べて長い。名誉な職業ではあるし、給金もいいため貴族仕えを希望するものは少なくないが、それと同じぐらい辞めてしまう場合も多い。


 人に仕えるとは、それだけ大変なことなのだ。

 イルマはアパートメントの二階にある自分の部屋に入り、ランプに火を入れた。


 侍女服を脱いで部屋着に着替える。キッチンで湯を沸かし、ホットココアをいれて、ソファに座る。

 留守番をしていた少し太り過ぎの黒猫が、イルマの膝に登ってくる。


 イルマは子爵家の三女だ。エラドの母がグリーズ家に輿入れした時、彼女の侍女としてグリーズ家に仕えることになった。

 それから二十数年。イルマは結婚もせずに、グリーズ家で働いていた。

 元々、結婚に対する憧れが薄かった上に、縁がなかったということもある。


 何よりもエラドの母アリッサが哀れで、傍を離れる気にはならなかった。

 彼女はおとなしい女性だった。伯爵家の娘で、政略結婚のためにグリーズ家に輿入れをしたが、気位が高く自分勝手なグリーズ侯爵を夫に持ち、とても苦労をしていた。


 グリーズ侯爵は妻に完璧を求めた。夫よりも先に寝てはならない。後に起きてはならない。 

 夫の前に姿を見せる時には、美しく着飾っていなくてはいけない。体重を増やしてはいけない。いつも若々しくいなくてはいけない、夫に口答えをしてはいけない。など、グリーズ侯爵の要求は多岐に渡った。


 少しでもそれに背けば、侯爵は烈火の如く怒った。

 アリッサは大人しい女性だったのでグリーズ侯爵の逆鱗に触れるようなことはほとんどなかった。

 侯爵が愛人に入れ込んで借金を膨らませても、虚栄心のために大枚を叩いて美術品や嗜好品などを買っても、ただ黙って耐えていた。


 だが心労が祟ったのだろう。いや、エラドを孕っている最中に無理をしすぎたのかもしれない。

 子供を産んだあとから、時々、寝込むようになった。


 そのため、家に父は不在で、母は寝込みがちという環境でエラドは育った。

 イルマはエラドが寂しい思いをしないようにと、我が子のように可愛がった。


 幼い頃のエラドは、アリッサのことをよく気づかう、素直な少年だった。

 母上にプレゼントをすると言って、庭の花を摘んだり、アリッサの似顔絵を描いたり。

 どちらかといえばアリッサに似た大人しい性格をしていた。


 しかし、グリーズ侯爵にとってそういったエラドの行動は気に入らないものだった。

 女のようなことをするなと厳しく叱責をし、そのうち成長するに従って、アリッサから引き剥がすように社交界に同行をさせた。


 アリッサも哀れだが、エラドのことも心配だった。悪い友人たちと遊ぶようになり、昔とは変わっていくエラドを見ていると、イルマの心は痛んだ。

 本当は悪い子ではない。いい子だと思っていたのは、母のように彼と関わってしまったからなのだろう。


 今はそれを、後悔している。

 半年前にエラドと結婚をしたリリアは、強い女性だとイルマは感じた。

 エラドの態度について何を言うわけでもなく、グリーズ家の問題をすぐに理解して借財の返済や、家財の整理を行なった。イルマたちにも優しく、仕事の時間を短くするなどの計らいをしてくれることは本当にありがたかった。

 ただ何も言わず耐えていたアリッサと、リリアは違うのだと感じた。

 リリアと日曜の青空市場に出店をするのは、イルマたちにとっても楽しみになった。


 やがてエラドは少し変わっていった。このままうまくいくと、思っていたのに──。


 血は、争えないということなのだろうか。

 エラドは劇場の女優などに入れ込んでいるらしい。


 エラドは馬鹿だと、イルマは思う。

 劇場の女優が懇意にしている男はおそらくエラドだけではない。


 彼女たちは苦界に生きている。自ら望んでそうなったわけではない場合がほとんどなので、もちろん同情はできる。

 だが、だからこそ彼女たちは常に誰かの助けを求めている。

 細い糸に縋るように、差し伸べられた手があれば、それが誰の手でも掴むのだ。


 エラドだけではなく、何人かの男に縋っていると考えたほうが自然だろう。その中の誰か一人でも苦界から救ってくれれば、それでいいと考えているはずだ。


 エラドは妙に純粋なところがある。だからきっとそれに、気づいていない。


 リリアが──エラドを立ち直らせてくれたらと、イルマは期待していた。

 でももうきっと、無理だろう。これ以上傷つくリリアを見ていられない。


 イルマだけではなく、グリーズ家で働く者の多くは、リリアのことが好きだ。

 彼女の聡明さが、弱音を吐かないところが、その優しさが、笑顔が。

 彼女がいると、家が明るくなるようだ。


 できればグリーズ家に、ずっといて欲しい。

 エラドの妻でいて欲しい。


 けれど、と、イルマは猫のつるりとした毛並みを撫でる。


 それは、リリアにとっては不幸せなのかもしれない。




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