07
次第に役人達の強要は、エスカレートしていった。ついには、言いなりにならない者に痺れを切らす役人も。
「きゃあっ。やめて下さい。その聖なる本は、精霊様との信仰の結び方が載っていて……」
「精霊? 下らぬ、下らぬ、下らぬ、下らぬゥウウウウうううっ」
「オラオラァ。それとも今この場で、殴り殺されたいのか、このクソアマっ」
あまりにも乱暴な物の言い方や、脅すような態度。礼儀正しいバルディアの伝統は、損なわれてしまったように見えた。
「嘘に満ちたこの本のどこが、聖なる本なのかっ? この世は始まった頃から、今に至るまで聖女ミーアス様の祈りにより存続しているのだと、まだ分からないのかっ」
ビリィイイイイイッッ!
ガッガッガッ!
彼らは聖女ミーアスに心酔しており、この世が保たれているのは、聖女ミーアスのチカラだと主張し始める。脚で椅子を蹴り【従来の祈りの本】をビリビリと破り……圧迫とも脅迫とも言える態度は、教会信者や老神父にも恐怖を与えた。
「勘弁してください……お助けを、お助けを……」
「ちょっと待って下され。お話なら、ここの神父であるワシが聞きますゆえ、信者の命だけは取らないでくれませぬか」
涙ながらに命乞いをする信者の女性を庇うように、老神父が役人と信者達の間に割って入る。
「はっ……有り難く思えよ、腐れ神父。本来ならば偽の信仰書や偶像崇拝は極刑に当たるが、聖女ミーアス様がご慈悲を下さるそうだ。聖母像を一刻も早く撤去し、この聖女ミーアス像を信仰対象として崇めるのであれば、特別に免罪符を発行してやろう」
「ひぃいっ……聖母像は信仰の証。我々は幼少の頃から、救いの手は聖母像に祈ることから始まると教えられてきています。そして、救世主を産んだ聖母が仲介することにより、精霊様から奇跡を頂けると。ですので、すぐに聖母像を撤去することは、難しいのです」
まさか、長きに渡り親しまれてきた聖母像を、聖女ミーアス像に取り替えるように命令するとは思わなかったのか。老神父は動揺した様子で、懸命に役人の強制的な命令を断った。特にこの教会は、昔から言い伝えられている【精霊に愛された聖母と救世主の伝説】を信じている者が多いようだ。
「あぁんっ? 歴史も勉強していないのか、この教会の愚民どもは。数百年前から、伝説の救世主は聖女ミーアス様だと予言されているだろう」
「そ、そんな歴史も予言も知りませぬゆえ……」
あまりの情報の違いに困惑するのは、老神父や信者だけではなく、魂の状態で見守るララベル達も同じだった。救世主にまつわる伝説の内容が食い違うどころか、全く別の内容に挿げ替えられているようにさえ見える。
「はぁ? 聖女ミーアス様の伝説は、その辺の学童でも知ってるレベルだぞっ。冗談もいい加減にしろ」
「しかし、教会の修道院ではそのような伝説があるなんて、教えておりません。精霊様に愛された聖母様のみが、救世主様を産めるのであって……」
どこまでいっても、役人と老神父の話は噛み合わなかった。まるで二人の知りうる歴史そのものが、パラレルワールドであるかのような錯覚さえお互い覚えてしまう。
「チッ……勉強してない奴らはダメだな、全く。今すぐ、聖女ミーアス様の像を崇めろっつってんだよ。それともこの場で全員、地獄に堕ちたいのかっ」
「もっ申し訳ございませんでした。すぐに、命令通りに致しますのでお命だけは……!」
これまでの伝統であったはずの聖母像だが、聖女ミーアス像のために撤去が決定する。
「ちょっと待ってくださいっ。せめて、ご先祖様への祈願だけでも、この手紙だけでも投函させて下さいっ。お役人様っ」
すると、先祖であるララベルに祈願を依頼したらしい少年が、ご先祖様に手紙だけでも出させて欲しいと懇願。カエラート男爵が毎日教会に通っているとの情報だったが、おそらく生き残った家族で教会通いをしているのだろう。祈願を捧げようとしたのは男爵の息子、つまりイザベルの弟だったようだ。
「……どうする? 精霊信仰の類は、根こそぎ排除せよとの命令だが……。先祖への祈願はどの信仰に該当するんだ?」
「ミーアス様からは、精霊信仰以外は無視していいとの指示だ。イザベルの件で無実が証明されたカエラート一族の連中に、これ以上騒がれても面倒だし、相手は当主の男爵ならともかくただのガキ。何も出来まい」
「手紙は祈り箱にでも入れておけばいいだろう。そんなことよりも、ミーアス様の像を早く設置しろっ」
少年は会釈をして、聖なる祈り箱に手紙を投函。次の瞬間、霊的な形でララベルに直接手紙が届く。
(この少年が、私に祈願するはずだった子孫。貴方の祈り、しっかりと受け取ったから……!)
一連の流れを見守るララベル達だけを取り残し、役人の号令により聖女ミーアスへの誓いの儀式が始まった。
『バルディアの生きとし生ける神は、聖女ミーアス様ただ一人ッッ! 女神であり、聖女であるミーアス様万歳っ! この世の民は全て、聖女ミーアス様のお力によって保たれているっ』
『この世の民は全て、聖女ミーアス様のお力によって保たれているっ』
強制的に繰り返される聖女ミーアスへの、狂信的な忠誠の言葉。
「おかしい、おかしすぎる……過去の地上を知る私でさえ、聖女ミーアス伝説を知らないわ」
「知るはずがないよ、ララベル。どうしよう、多分役人達はもう聖女ミーアスの虚構の伝説に取り込まれているんだ。ううん……最悪の場合、既に歴史が塗り替えられている?」
「そ、そんな……!」
ドォオン……!
魂二人の会話を遮るような雷鳴が、響く。
いつの間にか外は雨となっていて、轟音と共に教会のステンドグラスがギラリと光った。




