06
ホーネット家の敷地周辺を包囲するように天より舞い降りたそれらは、異界の闇より遣わされたと推測される。漆黒の翅を背中に生やしたその精霊は、異形のものとしか言いようがないほど禍々しいオーラに包まれていた。上空より次々と降りてくるその姿は、この世の終わりを告げに来た終末の使者のようでもあった。
『赦スナ、精霊神と人間の娘の駆け落ちを許スナ!』
『殺せ、壊せ、皆殺しにシロ! ホーネット家を根絶やしにっ』
精霊との婚姻というタブーを冒そうとする者、その血族全てを皆殺しにするのが彼らの使命らしい。それ故に今攻撃している相手が、現在不在の駆け落ちの当事者であるレイチェルの妹であろうと関係なく。さらに、その中身である魂が子孫のイザベルであろうと、目的が達成出来れば何でも良いのだろう。
『キュエエエエエエエッ』
「闇に迷う悪き精霊よ、光の導きで天に昇れっ!」
ヒィイイインッ! バシュッ!
巫女ララベルの肉体に逆行転生しているイザベルが放つ光魔法は、いわゆる上級魔法だ。魔法力の消耗が激しい分、攻撃力も極めて高く、一度の呪文詠唱で五体の黒い精霊を討伐出来る。本来ならばイザベルが知り得ない呪文詠唱でさえ、スラスラと流れるように言葉に出来るのは、肉体の持ち主であるララベルの影響だ。
「なかなか、やるじゃないか。ララベル! これだけの攻撃魔法力がありながら、祈りの巫女の仕事しかしていないなんて、勿体ないな。おっと……とりゃあああっ火炎斬りっ」
『ギュエエエエエエエッ!』
一流冒険者としても名高いカエラート男爵の腕は、噂に違わぬ凄腕だった。しかしながら、だった一人の魔法剣士が大量の精霊を相手にするのは無理があるだろう。やはり、イザベルが援護に入ったのは判断として正しいはずだ。
「それほどでもないですわ、アルベルト様。はぁはぁ……けれど、この黒い精霊達、次から次へと増援が来て……。このままではそのうち魔力が尽きそうです」
一体どれくらいの間、戦っているのだろうか……と、溜息を吐きながらイザベルは杖を握り直した。勢いで黒い精霊との交戦を買って出たものの、想像以上に敵は強く兎にも角にも数が多い。次第に青ざめていく自身の顔を認識しつつも、魔法力回復のアミュレットを発動させて再び交戦態勢に入る。
すると、御庭番役を兼任するメイドのリノンが、苦無で黒い精霊を薙ぎ払いつつイザベル達にメッセージを伝えに来た。
「ララベル様、アルベルト様! 朗報です。もうすぐお屋敷に、レイチェル様がお戻りになられるそうです。双子の巫女が揃えば、天啓の祈りで黒い精霊達を追い祓うことも出来ましょう!」
「レイチェルお姉様が……。確か、レイチェルお姉様は精霊界に嫁ぐために、泉で穢れを落とす儀式をしていたはず。大丈夫なの」
「幸い、泉からホーネット邸までは、ワープゲートですぐですし。あと少し、持ち堪えれば勝機を掴めると思われます」
ザザザザザッ!
「きゃあっ!」
油断した一瞬の会話の隙をついて、黒い精霊が手を触手のようにはためかせて攻撃を仕掛けてきた。が、すかさずリノンが苦無で触手を断ち切り攻撃を防ぐ。
「ララベル様っ! はぁああっせいっ」
「よそ見は禁物だ、二人とも。てりゃああっ! あと十分、それくらいは耐えるぞ」
ザンッッッ!
さらに追撃を阻むように、カエラート男爵が剣技で黒い精霊にトドメを刺す。見たところ、群れのひとかたまりを一掃した模様。
「ありがとうリノン、アルベルト様。あと少し、持ち堪えれば……」
「? ララベル、顔色が悪いぞ。もし辛いなら、御庭番達に任せて休んだ方が」
「いえ、まだやれます。ちょっと、考えてしまっただけです」
イザベルは希望の言葉を紡ごうとして、そこで暫し無言になった。双子の姉妹巫女による【天啓の祈り】という儀式が、今のイザベルに出来るか否か、不安だったからだ。なんせ、肉体そのものは先祖ララベル本人ではあるが、内包される魂は子孫イザベルのものである。本当の双子の魂が共に祈りを捧げるからこそ、神に届くのであって、今のイザベルの魂では成功するかは不明瞭。
内心は不安でいっぱいだったが、どう伝えて良いのかわからず、思わず無理して本音を隠す。
「そうか……なら、いいのだが。敵も無尽蔵に攻撃を出せるという訳ではないようだし、休めるうちに体力を回復させた方がいい。それに……もし、何か隠していることがあるなら、後ろめたさを感じず相談してほしい。オレ達は家族になるのだから。お姉さんのレイチェルさんも、きっと間に合うさ」
「……家族……」
男爵はイザベルを諭すように、肩を優しく叩いた。その仕草は婚約者というよりも、言葉通り『家族』としてのスキンシップだ。
この時代に飛ばされて一日経っていないイザベルからすると、相談出来る相手すら見つからないと思っていた。そして、こんなにも早いうちに自分の立場が揺らぐような展開がやってくるとは、予想しなかったのだ。
(自分自身が実は逆行転生者であるなんて、アルベルトさんに素直に告げられるの? そんな御伽噺のようなことを突然言い出して、信じてもらえるかしら。そしてレイチェルさんは……?)
哀しそうに目を逸らすララベルにこれ以上の消耗戦は厳しいと判断したのか、カエラート男爵は残りの魔力で防御結界魔法を使い、屋敷全体に更なるバリアを張る。篭城戦も危惧される中、刻一刻と時は過ぎて行き……やがて。
「……どうやら、間に合ったようね。ララベル……みんな!」
「……レイチェル……?」
防御結界が功を奏したのか、それ以上黒い精霊達が屋敷の門を侵入することは出来ず、噴水前のゲートから双子の姉レイチェルが邸宅に帰ってきた。溢れる日差しのような温かな微笑みは、ララベルと瓜二つ。大人びた雰囲気の、聖女と呼ぶにふさわしい美しい娘が目の前にいた。




