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邸宅周辺の森を抜けて本来のコースから迂回し街道を抜けると、菩提樹の精霊が宿るとされる古い大樹があり、それ故に一般の人々にとっては禁足地だった。
「カエラート様、許可を得ているとはいえやはり禁足地域に足を踏み入れるのは緊張いたしますね。心なしか、馬達の落ち着きがない。普段より揺れるかも知れませんが、我慢してくだされ」
「ふうむ……人間だけでなく、馬達までも調子を崩すとは想定外だったな。やはり、精霊様のご神力が強い土地と言うのは動物達にも影響力を及ぼすのか。おぉっと……足止めか?」
馬の嘶きと同時に、馬車がぐらりと揺れて動きが止まる。メイドがドアを開けてカエラート男爵が魔法剣を携え、二人で警戒しながら外へ出る。すると、従来道が成り立つべき位置に黒い無数のいばらが進路を妨げていた。そして、侵入者を退かせるように現れたのは、ウサギやリスなどによく似た数匹の半透明な小動物の霊体。
『理由ナキ者ヨ、立チ去レ』
つぶらな瞳が妖しく輝き、その小さな内側にただならぬ魔法力を蓄えていることアピールしているようだ。つまり、小さき者達なりの精一杯の威嚇と言えよう。
「ウサギのようでいながら浮遊する霊体、菩提樹に仕える守護精霊でしょうか?」
「これはこれは、可愛いらしい容姿に似合わず随分と強い魔力……警戒されてしまっているね。いやはや、流石は閉ざされた秘密の聖地といったところか。チッ来るぞ!」
ザザザザザッ!
シュッ!
止まらない槍の連撃ようにイバラが襲い掛かるが、カエラート男爵は魔法剣を、メイドは懐に隠していた苦無で応戦する。
「精霊達よ、どうか話を聞いてほしい。我が名はアルベルト・カエラート、この辺りの男爵を務める魔法剣士、そして精霊に仕える双子の巫女のララベルの婚約者でもある。今日は、同じ生命の樹の系譜を引き継ぐ女性を娶る立場として、挨拶に来たんだ。巫女より賜ったこの八角形の鏡、八卦鏡がその印だ」
ヒィイイインッ!
天に掲げた八卦鏡が、イバラをみるみるうちに退けていく。そしてカエラート男爵が、菩提樹と関わりの深い巫女の縁者であることを理解したのか、守護精霊達はいつの間にか姿を消していた。
* * *
「ここの丘の上から見える景色は、観光地として紹介されてもおかしくないくらい絶景だね。けど、精霊様だっていつも人間に囲まれていては落ち着かないだろうし、勿体無いけど禁足地扱いはしばらく続くだろう」
ざわざわと風が揺らめく菩提樹の周囲は、自然界を司る精霊が住うだけあって清涼な空気に満ちている。まさに心の拠り所と呼ぶにふさわしいが、人間の代表として選ばれた巫女とその縁者にしか、足を踏み入れることが許されていない。
この辺りを仕切るはずのカエラート男爵ですら例外ではなかった。精霊の巫女である双子の片割れと夫婦になることが決まった時点で、ようやく男爵の禁足令が解けたのだ。
「流石は、禁足地の菩提樹の丘。カエラート男爵、わたくしめは所詮、ただのメイド無勢。怪しげなオーラもありませんし、先の道は巫女様と縁者になる男爵様のみでお進みくださいな」
「分かった。では、キミはここで待機していてくれ。僕はあの菩提樹の中でも古くから伝わるとされる連理の大樹に向かうよ」
「はい、お気をつけて」
丘の上の中心に鎮座する大樹は、いわゆる二本の木が一つに合わさった【連理の菩提樹】である。まるで愛し合う男女が一体となるように、二本が一本に結ばれる姿は良い縁を願う人々から深い信仰を集めていた。伝承によると、古い古い男女の夫婦神がこの菩提樹となって眠っているとされているが、実際のところは知る由もない。
男爵はララベルから伝授して貰った形式に則り、鏡を胸に抱きながら祈りの言葉を捧げ、その次に本題に入ることにした。なんせカエラート男爵と菩提樹精霊の若き跡継ぎオリヴァードは、同じ血を分けた双子の巫女の片割れを娶る義理の兄弟となるのだ。それは即ち、カエラート男爵の一族が精霊の一族と血を分ける意味でもあった。
「菩提樹の長老様、貴方様の血族といずれ同族となるやも知れぬ男、アルベルト・カエラートです。人間の巫女を娶ると言う貴方の子孫の御心は、果たしてどのような意図なのか……」
すると光り輝く菩提樹の木々から、呼びかけるように声が聞こえてきた。
『よく来たな、アルベルト・カエラート。奇しくも汝の子孫の魂が時を渡った日に現れるとは、これも因果か。イザベルを……汝の子孫に真実を伝え、のちに世を正しき方向に導くのだ』
「えっ……時を超えた子孫、とは? 精霊様、それは一体どういう?」
ザザザザザッ!
そう告げて震える風とともに、菩提樹の囁きは聴こえなくなった……まるで彼の疑問の答えがイザベルという名の子孫であるかのように。そしてそれはアルベルト・カエラート男爵に、『時を超えた子孫イザベルを導く』という謎に満ちた命題が課せられた瞬間でもあった。




