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水鏡の儀式の末に、先祖にあたる巫女ララベルの肉体に逆行転生してしまったイザベル。先祖の目を通して過去の歴史を体感することが、彼女にとっての新たな試練なのである。
それゆえにこの章は、はるか昔のアリアクロス暦1720年代の物語。
* * *
――時は中世。冒険者達が剣と魔法の腕を示すギルドランクをステータスとして誇る一方で、貴族達の中でも領地や資産を競う階級意識社会の全盛期が到来していた。
良家に生まれたご令嬢達の関心は、流行のドレスや最新のヘアスタイル、巷で評判のパティシエ特製ケーキ、そして婚活対象となる独身男性の話題である。本日も、某ご令嬢の庭園では、年頃の娘達が噂話に花を咲かせながらティータイム。
『ねぇ、次の晩餐会。あのアルベルト・カエラート男爵が、久しぶりにいらっしゃるそうよ。いよいよ、花嫁を選ぶのかしら……私にもチャンスがくると良いのだけど』
『カエラート様は、爵位こそ男爵様だけど、冒険者としても一流。世が世なら、英雄認定されて王族入りしてもおかしくないお方よね。何より、誰もが振り向く美青年だし』
どうやらご令嬢達の中で人気ナンバー1は、アルベルト・カエラート男爵のようだ。他にも良い男は複数いるはずだが……彼の熱心な信者とも言える若いご令嬢達は後を絶たない様子。
なんせ、アルベルト・カエラート男爵は貴族の爵位と一流冒険者のギルドランクという両方の地位を手に入れている稀有な存在。貴族という枠組みの婚活対象であると同時に、危険な世界の冒険譚を語ってくれる異端児と言えよう。
『それがね、小耳に挟んだ話によると。例の双子の巫女の片割れと、内密に婚約が決まったっていう噂よ』
『えぇっ? 結局、晩餐会のメンバーからは、お相手を決めなかったってことっ? あーん、ショック』
『ドラゴン退治のエピソードなんて、お話してくださるのカエラート男爵だけですのに。やっぱり、魔法が堪能な特別な地位の女性を妻にされるのね。残念だわ……』
多くの貴族は社交や領土の管理を主な仕事としており、それは絵に描いたような華やかさ。反面、常に世間の目を気にし、晩餐会や建前に縛られる窮屈さを持ち合わせていた。
だが、爵位の中でもそれほど高すぎない男爵というのは、存外に気楽な立場だ。程よく富に恵まれ、王族と同等の公爵ほどは責任が重いというわけでもなく。大国との領地の境にあたる辺境地の男爵ともなれば、境界を仕切るというポジションのおかげで意外な権力を持つ者も存在する。動きやすい暮らしを活かして時折クエストに向かい、貴族というだけにとどまらず、冒険者達が欲する魔力や剣技も兼ね備えていれば尚更。
財力、権力に加えて、眉目秀麗にして美丈夫と名高いカエラート男爵は、大陸の中でも女性から熱い眼差しを注がれる存在だ。
『はぅううっカエラート様ぁ。もうっこうなったら、今日は勝負ドレスのことは忘れてめいっぱい食べますわよっ! 爺やっ今夜は、シェフに命じていつもより、多めにお肉を焼いて頂戴なっ』
『まぁまぁ……お嬢様、爺やは実のところちょっとホッとしておりますよ。カエラート男爵は素敵な方ですが、他の貴族とはわけが違う。魔物と命を遣り合うギルドランク上級の一流冒険者ですぞ。ああいう我々とは異なる世界を覗いている方は、遠巻きから憧れているのが一番なんですよ』
ご令嬢達の噂話を笑顔で聞いていた爺やが、ホッと胸を撫で下ろしたのち、ふと青い空を見上げる。白い雲の隙間からドラゴンの影がふわりと浮かんだ気がしたが、それは見てみないふり。たとえ貴族階級であろうとも魔力や剣技の力を持たぬ者は、『それら』とは遠く離れた安全な場所で暮らすのが一番なのだ。そしてそれは、羨望の眼差しを注ぐ若い娘達の意思を無視してでも、アルベルト・カエラート男爵と距離を置く理由でもあった。
* * *
噂話から数日後、話題の人物が住うカエラート邸。
貴族にはちょっぴり珍しい銀の胸当てとロングコートという軽装型冒険者装備の男爵が、小旅行準備の真っ最中。まるでクエストの計画を立てるかのように、地図に描かれた赤い印を指差してルートを示す。
「今日のスケジュールだが、馬車のルートはこの順路にしておくように」
「……カエラート男爵、今日は婚約者のララベル様の元へ訪問する予定ですが。このルートは些か遠回りになるのでは? 冒険好きも結構ですが、流石に今日ばかりは寄り道せずに、そのままララベル様のところへ向かわれた方が……」
婚約者の元へ出かけるだけであれば、彼の冒険者装備も迂回ルートも無駄なだけ。となれば、おそらく冒険者特有の血が騒いでいるのは明白だった。またか……という態度で、嗜めるように寄り道を反対するが、カエラート男爵には正当な理由があるらしい。
「精霊神様が宿る御神木にご挨拶してから、ララベル嬢に会いに行こうと思っていてね。噂によると、ララベル嬢の双子の姉レイチェル嬢は精霊神様と公然の駆け落ちをされるそうだ。これは、事実を確認する必要性があると思わないか? では、手配の方よろしく頼むよ」
「はぁ……仕方がありませんね。かしこまりました」
亜麻色の前髪と黒いリボンで後ろに束ねた髪を揺らし美麗な眼差しで悪戯に微笑んで、当然のように馬車に乗りこんでしまう。ああして自然体でいるだけで、ほとんどの若いご令嬢を虜にしてしまうのだから罪なお方だと、メイドは深いため息。
しばらくして馬車が動き出す……カエラート男爵が走り出した窓から見る景色は、いつもより目まぐるしく感じられた。ぴゅうっとガラス窓に吹きつける風は、自らの子孫イザベル・カエラート嬢の魂との邂逅を告げていた。




