073 将軍逝く
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073 将軍逝く
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大永六年四月一七日。(一五二二年)
生産方の楠浦昌勝が面会を求めてきた。何事かと思い許可すると、昌勝とその子の虎常が執務室に入ってきた。
執務室では床に座らぬ。昌勝は一礼してから椅子に座った。虎常は廊下に控えて、板床の上に座っている。
二人は何やら興奮しているようだが、どうした?
「そんなに急いでどうした? 楠浦殿に子でもできたか?」
楠浦殿は今年で三〇になる。俺の妻たちの中で最も年齢が高い。そのため、最近は俺と床を共にすることを避けている。
この時代の武家の女性としてはそれが普通のようだが、俺はそんなことを気にしない。楠浦殿は包容力があって、俺の虫の居所が悪くてもそれをそっと見守ってくれるただ一人の存在。何歳になろうとも、大事な人なんだ。
「そうなればめでたきことにございますれば、此度は別件にございます」
昌勝はそんなことないだろうと思いながらも、俺の言葉を受け流した。
「別件か。俺の心を弾ませることか?」
「御意」
「なるほど、あれのことか」
「はっ、あれにございます」
頬が緩むのを感じた。
「見せてくれ」
「虎常。あれを」
「はい」
虎常が布を被せたものを持ってくる。それを小姓が受け取って俺の机の上に置いた。
布をゆっくりと取ると、俺の頬がだらしなく下がったのを感じた。
「よい。よいぞ、昌勝、虎常!」
「は、ありがたきお言葉」
楠浦親子が持ってきた物は、俺が生産方に命じて開発を進めていた鉄砲だ。
雨に濡れても撃てる鉄砲はかなり前に開発している。火薬と鉛玉を油紙で保護する感じのものだ。
今回はそれを発展させたもので、単純に言うと散弾銃。散弾もやったことあるが、ちゃんとした散弾銃はなかった。
目の前には砲身が二本ある鉄砲が鎮座している。しかも、撃鉄式の鉄砲だ。どうだ、参ったか! と大声で言いたかったが、なんとか思いとどまった。
撃鉄があるということは、散弾のほうには薬莢がある。残念ながら使われているのは黒色火薬を改良したもの。初期のものに較べると爆発力は上がっているが、黒色火薬だ。まだ無煙火薬を作る技術はない。
濃硝酸と濃硫酸の混酸によりニトロセルロースを作るのは知識としてある。だが、濃硝酸や濃硫酸を作る技術が分からない。こんなことなら、もっと科学の勉強をしておけばよかった。
ニトルセルロースがなければ、無煙火薬はできない。というか、それしか無煙火薬の作り方を知らない。困ったものだ。
黒色火薬ということもあり、散弾の射程距離は短い。それに殺傷能力も低い。だが、それでいい。散弾銃は敵を殺すのではなく、怪我をさせるのが目的だ。
怪我をした敵が多ければ多いほど、敵の動きは悪くなる。散弾の目的は一発で広範囲に怪我人を作ること。我ながら下種なことを考えていると思う。だが、戦争に綺麗も汚いもない。殺す殺されが戦争だ。それから目を背けるつもりはない。
しかし、よく黒色火薬で薬莢を使った散弾を作ったものだ。俺は無茶ぶりするだけなので、職人たちはかなり苦労したんだろうな。
「試射をする!」
「殿。書類が溜まってますぞ」
「それは景長に任す。俺の代わりに決裁しといてくれ」
「承知しました。公金を使い込みますが、それは殿の代理としての報酬ということでお願い申し上げまする」
「またはっきりと言うな。まあ、少しくらいは大目に見るから、よろしくな」
「承知しました」
俺の仕事をやってくれるんだから、多少の横領くらい安いもんだ。ははは。
「この散弾鉄砲は、二発を連射できるところが最大の特徴です」
「射撃後には薬莢を簡単に排出でき、さらには装弾も素早くできます」
昌勝、虎常親子が交互に説明をしてくれる。自慢げにしているが、それは俺が指示したことだからな。
ダーンッ、ダーンッ。
三〇メートルほど離れた場所に、一メートルおきに的を置いた。それらの的に向かって散弾を撃つと、六つの的に散弾の痕が残った。現代の散弾の有効範囲がどの程度かは知らないが、これなら使えると思う。
また、一発しか弾が入ってないスラッグ弾も撃てるので、用途に合わせて散弾の種類を変えて対応が可能になる。
黒色火薬以外にもライフリングがないので射程距離はせいぜい四〇メートルらしいが、問題ない。この散弾に期待しているのは、楠浦親子が言ったように連射性と装弾のしやすさだ。射程距離が短いのはそういった細かなことで補えばいいのだから。
薬莢を排出して新しい散弾を装弾するのに、全然時間がかからない。初めて使った俺でもこれなので、訓練した兵士であれば十分に実戦で使用できるはずだ。
「昌勝、虎常。よくやった」
「「ありがたきお言葉」」
「この散弾鉄砲の量産は可能か?」
「撃鉄の強度に少し難があります。また、薬莢の細工にはかなり精巧な技術が必要にございます。よって、現時点では量産の一歩手前にございます」
試作品がここまで仕上がっただけでもいいか。薬莢を使った鉄砲などあと一〇年か二〇年は無理だと思っていたし、それくらいは待つつもりだった。
「ならば、改良を加えよ」
「「はっ」」
「だが、これはこれで良いものだ。両名と職人には褒美を与えよう。これからも頼むぞ」
「「ははぁぁぁっ」」
信方にも褒美を与えなければいけないな。楠浦親子は信方から生産方を引き継いだ。その基礎を築いたのは信方だ。
この散弾銃なら騎馬鉄砲隊が組織できるだろう。その機動力を生かして一気に敵に近づき、掃射して離脱する運用を考えている。敵をひっかきまわしてくれて、混乱させてくれればいい。
「春日大隅」
「はっ!」
鉄砲の試射ということで、鉄砲組の大隅も呼んだ。
鉄砲組もかなり大きな組織になったから、そろそろ大隅の補佐をする者をつけてやらないといけないな。
「この散弾鉄砲は大隅に任せる。扱いに慣れておくのだ」
「承知いたしましてございまする」
「また、ただ今を以て、鉄砲組を鉄砲方に格上げする。後日、大隅を補佐する者を任命するが、希望があれば言え」
「ありがとう存じまする! それでは、香坂宗重殿を補佐としていただければと存じます」
「香坂宗重か」
春日大隅と香坂宗重。二人は大隅の息子である虎綱が宗重の娘を娶ることで繋がると思っていたが、こんなにも早く繋がっていたとはな。
春日虎綱は後世では高坂弾正昌信という名で知られている人物だ。武田四天王の一人なのでかなりの有名人。虎綱は大隅亡き後、その遺産を姉夫婦に全部持っていかれて信玄の近習になる。その後、武将に成り上がって海津城の城代にまでなる。虎綱にそれだけの才能があったのは間違いないが、香坂氏の後見があったのもあるだろう。
海津城は上杉謙信を防ぐ最前線。虎綱は海津城に籠城して上杉謙信と戦ったこともある名将だ。
「よかろう、香坂を補佐としよう」
「ありがとう存じまする」
こんなに早く薬莢を使った銃弾の試作に成功するとは思ってもいなかったので、気分がいい。
最近は書類仕事ばかりで退屈していたので、よい気分転換にもなった。
そして、騎馬鉄砲隊の新設にも目途が立ち、戦術の幅が広がった。いいことばかりだ。
すぐに香坂宗重を呼び出した。太々しい顔をしている。
「宗重を呼び出したのは余の儀にあらず。そなたに鉄砲方の春日大隅の補佐を命じる」
「はっ。お役目、謹んでお受けいたしまする」
「鉄砲は我が武田の最重要武器である。心して励めよ」
香坂宗重は平伏して応えた。このまま鉄砲を扱う部隊を複数設置しよう。その中には大筒や騎馬鉄砲隊もある。狙撃手も育てて戦場で武将を狙おう。そのほうが戦は早く終わる。
▽▽▽
大永六年四月二七日。(一五二二年)
第一海軍奉行土屋貞綱、第二海軍奉行柿崎利家、志摩水軍奉行九鬼泰隆、紀伊水軍奉行津田算長。四つの海軍の各奉行を集めたのは、これからの西国侵攻について方針を聞かせるためだ。
「越中より北、紀伊より東、これは全て武田の制海権だ。だが、能登より南、和泉よりも西はまだ制海権を得ていない」
日本海側は第二海軍が北海道から富山までをカバーしている。また、北海道から三河までをカバーしている太平洋側の第一海軍も、広大な海域をカバーしている。
今後、瀬戸内は紀伊水軍、四国から九州、琉球の太平洋側を志摩水軍、そして西国の日本海側を新設する海軍にカバーさせたい。
「よって、武田の水軍を増強したいと思う」
「増強と申しましても、実際にはどのように増強されるおつもりでしょうか」
最古参の土屋貞綱の疑問は、他の三名の疑問でもあるだろう。
「まず海軍を増やす。これは現在の四海軍から人員を出してもらう。他には造船所の増設も必要だと考えている」
「既存の海賊衆を取り込むのもよろしいかと存じますが」
「うむ、瀬戸内の村上は取り込みたい。だが、村上は武田の風下には立たぬと断ってきた」
交易をしていることで顔の広い津田算長から村上へ打診してもらった。結果は今言ったようになっている。
「不遜な者たちめ、村上など滅ぼしてしまえばよろしいでしょう」
「まあ待たれよ、九鬼殿。殿におかれましては、何かお考えがおありのようだ」
柿崎利家が九鬼泰隆を落ち着かせると、四人の視線が俺に集まった。
「別に大したことを考えているわけではないぞ」
瀬戸内は安芸武田を使うことを考えている。安芸に武田の海軍が寄港できる湊を築き、そこを拠点に海軍を運用する。そのためには、淡路から安芸までの航路を知り尽くさなければいけない。
これまでの知識はあるだろうが、侵攻するにはもっと詳しく調べ上げなければならない。
俺は各海軍から優秀な者を選んで、瀬戸内を通行する船に乗せるように命じた。商人の船に乗せて瀬戸内の津々浦々を調べさせるのだ。
瀬戸内を把握したら、あとは紀伊水軍を派遣して村上などの瀬戸内の水軍を駆逐して安芸に湊を築く。
安芸の小早川などの海賊衆を調略しようと思う。それは伊賀者に命じた。
目安として五年前後で侵攻する。それまでに海軍の増強も進める。その頃なら、京の都とその周辺を支配しているだろう。
問題は安芸武田の勢力が、ほとんどないことだ。俺が援助していることで、大内は安芸武田を滅ぼすのを躊躇っているようだが、どう転ぶか分からない。
もっとも、安芸武田が領地を失ったとしても、そこまで困らない。中国地方への足がかりを失うことになるが、それに代わる場所を確保すればいいだけだ。
もし、大内が侵攻したら、武田光和を脱出させよう。その後、武田光和を擁立した俺が大内を潰せばいいのだ。どうせ大内は俺に臣従しないだろうから、潰すに限る。
太平洋側は志摩水軍に琉球までカバーしてもらい、日本海側には海軍を新設することを方針として出した。
武田に降った海賊衆を使うのは勿論だが、水夫の育成をこれまで以上に力を入れろと檄を飛ばした。
「準備を怠るな。何事もそつなく準備すれば、成るものだ。よいな」
「「「「はっ」」」」
武田信虎を読んでくださり、ありがとうございます。
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