064 上総攻め
大永四年四月二三日。(一五二〇年)
弟信貞とその義兄三浦義意が率いる軍が、酒井定隆が守る土気城への攻撃を開始した。義意がついているので間違いはないと思う。
史実では『八五人力の勇士』というなんとも中途半端な異名を持つ男、それが三浦義意である。一〇人力では過小評価になるが、一〇〇人力では過大評価になる。そんな感じなのか? ただ、八五人分働いてくれるのであれば、俺は満足。それで十分。
本来であれば、数年前に後北条家(伊勢家)と戦い、三年間の籠城の末に討ち死にしている義意である。あの北条早雲(伊勢新九郎)と厳しい戦いを繰り広げた男。誰にも言わないが、俺の中ではかなり上位の評価だ。だから第一軍団の副軍団長にした。
義意の最期は壮絶なものだ。父親の切腹を見届け、自らは鉄の芯の棍棒を持って北条軍へと突撃。五〇〇人ほどを殴り殺して自刃した。話半分だとしても二五〇人は殴り殺しているが、これは作り話の可能性もある。だが、実際の義意を見たら、本当に切羽詰まったら五〇〇人くらい殴り殺しそうだ。
俺なら『八五人力の勇士』ではなく、『五〇〇人力の勇士』と評していただろう。五〇〇人も中途半端な数かな?
その翌日には十郎兵衛の軍が、椎津城を攻め始めたと報告が舞い込んできた。
相変わらず十郎兵衛の動きは速い。さすがは武田二四将に名が挙がるだけはある。
西村正利に命じておいた真里谷城内の兵糧の処分だが、半分ほどを燃やすことができた。元々多くなかった兵糧が、半分になったため籠城できるのはせいぜい五日ほどだと聞いた。思ったよりも早く終わりそうで、何よりだ。
この時、信方率いる兵二万は真里谷城を包囲しつつあったが、まだ完了しているわけではない。だが、大方の包囲は終わっていたため、真里谷側は兵糧がなくても簡単に討って出ることができない状況になっていた。
そんな俺のところに、磐城の情報ももたらされる。
白川を降した海野棟綱の第四軍団は、その勢いのまま磐城を攻めた。元々領地を佐竹に奪われて、力が落ちていた磐城が第四軍団の猛攻を凌げるわけもなく、簡単に陥落した。
そこで第四軍団は大舘城に入り、占領した土地の安定を図ることに。
この時点で甘利宗信の第三軍団が下野から、金丸筑前守の第七軍団が越後から蘆名が治める岩代に侵攻。さらに伊達と相馬の軍も岩代に進軍した。
最近は留守番ばかりだった宗信は張り切っているそうで、破竹の勢いらしい。もちろん、第七軍団も順調に進軍していて、第三軍団とどちらが先に黒川城を落とすか競っているようだ。また、伊達・相馬連合軍もかなり気合が入っているようだ。
さて、三方向から攻められた蘆名だが、これからどうするか。降伏か玉砕か、それとも他の動きを見せるのか?
「申しあげます。土気城が落ちましてございます」
信貞と義意がやってくれたようだ。信貞は見事に初陣を飾った。
次郎は文に傾倒し武はからっきしだが、信貞は文武に優れている。このまま良将に育ってくれれば、兄としてとても嬉しいところだ。
「酒井定隆はどうした」
「捕縛したとのことにございます」
「ご苦労であった」
伝令を下げて、地図を見る。と、そこにまた伝令だ。
「申しあげます。椎津城を攻め落としましてございます。真里谷信清殿はご自害されましてございます」
「ご苦労、下がってよし」
十郎兵衛も椎津城を落とした。これで残るは真里谷城の真里谷信勝だけとなった。
準備はしたが、どうしても戦いは避けられなかったこの三城。そのうちの二城を落とした。これで信勝は丸裸になった。ここで降伏すれば、同じ武田の血を引く誼で、死罪にはしない。信勝は家督を息子に譲らせて出家。息子には一〇〇〇石くらいを与えてやれるんだがな。
「頼昌。里見はどうしているのか?」
「板垣殿の指揮下に入ってございます」
「引き連れてきた水軍は全部であろうな?」
「確認させましたが、全てを出してきたようです」
「ならばよい」
里見は生き残ったか。ここで中途半端な臣従なら、真里谷を倒したその勢いのまま安房に雪崩れ込んでいたところだ。
里見義通、実堯兄弟、またはどちらかに先見の明があったか。さて、真里谷は生き残るかな?
この戦いの後のことを考えねばならないな。この上総をどのように統治するか。親王任国だから、帝に献上するか。いや、それをやって本当に親王が上総にやってきたらシャレにならない。統治は武田がして、税を朝廷に上納すればいいか。だとすれば、多くの城を廃城にして残った城に代官を入れる感じかな。
その代わりに朝廷の領地、禁裏御料所や公家領(荘園)について整理させてもらおう。上総の石高は三〇万石程度。ここから上がる四割の税、一二万石程度を武田が朝廷に上納する。そこから公家に分配してもらえばいい。
公家たちは文句を言うかな? だが、どうせほとんどが横領されていて困窮しているのだから、この制度のほうが公家にとってはいいと思う。
一二万石では不足だと言われるかな? そうしたら、官位を与えれば大名たちからお礼の品が届くはずだ。と言ってやろう。
俺が天下を取ったら、室町幕府のような守護職は置かない。だから、今後は官位官職が重要になる。
そもそも、徳川家康は朝廷の領地を一万石程度に定めたはずだ。他に一一万石もプラスがあるのだから、公家領がどれほどあるかは知らないが俺の方が好条件だと思う。もっとも、そこら辺は天下人になってからだな。
さらに数日後、磐城の田村と二階堂が降伏したと報告を受けた。これで磐城に敵対勢力はなくなった。
蘆名攻めも順調で、第三軍団と第七軍団が黒川城を囲んでいる。伊達・相馬連合軍は激しい抵抗にあって、まだ黒川城には到着していないらしい。
甘利宗信からの報告では、伊達・相馬連合軍はかなり激しく戦っているらしい。本気で蘆名と決別したようだな。
「出羽。佐竹はどうだ?」
「動きはございません」
風間出羽守は無表情で答えた。
「動くと思っていたんだがな」
磐城、下野、下総を武田が手に入れた今、佐竹は海以外武田に囲まれてしまった。領地を広げるためには、武田と戦わなければいけない。
武田が蘆名や真里谷、それに磐城の白川や岩城などを攻めている時が、佐竹からすれば最後のチャンスだ。しかし、磐城はすでに武田のものになった。まだ間に合うかもしれないが、真里谷城もほぼ死に体だ。
佐竹が磐城に向けて動けば俺が常陸に攻め込み、下総に向かえば第四軍団が常陸に攻め込む。
佐竹は今の領地で我慢するしかない。あとは……。俺が西国へ出陣する時に、同盟国として出陣して西国で領地を得るかだな。その時は常陸を召し上げて、西国に領地を与えよう。
五月に入ってすぐに、真里谷城が落ちた。真里谷信勝は降伏した。兵糧がなくて、最後は酷い姿だったらしい。これで上総は完全に制圧。
俺の前に引き連れられてきた真里谷信勝と酒井定隆の真里谷勢。いや、勢というほどのものではない。誰もこいつらの味方をしなかったのだから、戦いが始まった時には孤立無援の状態。こいつらは時勢が分からない愚か者だ。
「望みはあるか?」
望みなど聞いてやる義理はない。勝者は敗者の生殺与奪権を持っている。
だが、これくらいの度量を見せてもいいだろう。
「女子供たちは助けてほしい」
信勝の言葉はそれだけだった。自分の命乞いをしないだけよい。
「信勝は隠居して家督を息子に譲れ。以後は出家しろ」
「……温情に感謝いたします」
定隆は特に何も言わなかった。この男、千葉の家臣だったが、千葉が滅んでからは真里谷に仕えた。千葉も真里谷も武田が倒してしまったので、武田への恨みが強いのだろう。
定隆の処分は国外追放。一年以内に武田の領国への立ち入りを禁止するというものだ。
俺への恨みを晴らしたければ、俺に勝てる大名に仕官すればいい。もしくは、内部に潜り込んで内紛を起こすか。まあ、やりたければやればいい。俺だって黙ってやられるつもりはない。
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