061 上総攻め
お久しぶりです。武田信虎を読んでくださって、ありがとうございます。
また、評価してくれた方、ありがとうございます。
さらに、誤記報告してくださった方、ありがとうございます。
そんな貴方に、奥州攻め!
の前に、実は上総が残っていたので、上総を取ろうと思います。
大永四年二月一〇日。(一五二〇年)
まだ寒い二月。奥州は雪で閉ざされているが、奥州攻めの準備は着々と進んでいる。
その奥州から伊達稙宗と相馬盛胤が、俺の下にやってきた。まさか稙宗がやってくるとは思ってもいなかったし、盛胤も蘆名に呼応して下野に攻め込んできたのに、稙宗と共にやってくるとは思ってもいなかった。
しかも、稙宗と盛胤の妻は共に蘆名の出身で、伊達と蘆名、相馬と蘆名の結びつきは強いはずなのに、寝返ってきた。
「面を上げよ」
大広間で重臣たちが勢揃いの中、二人と謁見する。
問題はこの二人よりも先に降った大崎義兼だ。
大崎は知る人ぞ知る、奥州探題の家柄だ。その大崎のプライドをズタズタに引き裂いたのが、足利義稙から左京大夫をもらった稙宗だ。
本来、左京大夫というものは奥州探題の家柄である大崎が世襲している。それを義稙のバカが左京大夫を伊達に与えてしまい、それによって奥州を束ねるのは伊達だと思われてしまったのだ。
落ちぶれたとは言え、大崎は足利の支流だから名門意識が高かったはずだ。義兼は怒り狂ったんじゃないかな。しかし、大崎は落ちぶれ、伊達は勢力を増しているため、義兼はどうにもできなかった。
プライドもくそもなくなった義兼は、いち早く俺に服従することで家を保とうと考えた。よしんば、奥州を任せてもらえるかもしれないと思ったかもしれない。
「甲斐左大将様に拝謁叶い、伊達稙宗、この上なき誉に存じあげたてまつります」
稙宗は俺より一〇歳年上の、脂がいい具合に乗っている働き盛りだ。こいつはとにかく子だくさんだ。史実の俺こと信虎も子だくさんなので、威張って言うことじゃないが、婚姻外交で奥州と羽州に一大勢力を築いている。
また、名乗りに左京大夫を使わないということは、奥州探題の件に触れたくないのだろう。だが、そうは問屋が卸さない。
今さらだが、奥州というのは前世で言う青森県、岩手県、宮城県、福島県の総称になる。羽州(出羽)については山形県と秋田県になる。厳密に言うと、多少越県しているところもあるが、こんな感じだと思ってもらっていいだろう。
「某、相馬盛胤と申します。左大将様の下で働きたく、はせ参じましてございます」
叔父縄信と甘利宗信にこてんぱんにやられて逃げ帰ったことは、まったく触れないのかよ。なかなか厚顔な奴だ。
この盛胤は俺より二〇以上年上で、白髪が目立ち顔の皺も深い。とても四〇代には見えない面構えだ。
さすがに相馬の家系について前世の記憶はない。関東に関してはそれなりの知識を持っている俺だが、奥州の武将の細かいことは知らない。
まあ、伊達や南部のような有名な名前は知っているけどな。特に南部は元々甲斐の出身で、源義光公を祖とする武田と同じ源氏の家だ。俺の家臣にも南部の支流がいたりする。
「二人ともよくきた。俺が武田信虎だ」
「「はっ!」」
末席に座る義兼が、鬼の形相で稙宗を睨んでいるのが視界に入ってくる。相当恨んでいるようだな。
「二人の所領は安堵してやる」
「「ありがたき幸せにございます!」」
「ただし」
俺がそう言うと、二人は頭を下げたまま肩を震わせた。
「稙宗は左京大夫を返上せよ。大崎と無用な争いを起こすな」
官職を返上なんてできる(する)ものなのかな? 『職』と言うくらいだから返上できると思うけど、形骸化した官職を返上する奴なんていないよな? そこら辺はよく分からんな。
これは完全な言いがかりだが、先に服従してきた大崎を優遇するのは当然のことだとも言える。さて、稙宗はどう答えるかな?
「承知いたしました。左京大夫は返上いたしまする」
ほう、素直に返上するか。なかなか思い切ったことをする。これは稙宗の評価を変えなければいけないかもしれないな。
出世しようとがむしゃらかと思ったが、家を保つために名実の名を捨てるか。
「ならばよし」
これで大崎の顔は立てた。何より義稙の顔も潰れる。
「雪解けを待って磐城と岩代を攻める。伊達と相馬はそれと同時に蘆名を攻めよ」
武田よりも縁が深い蘆名を攻めるのを了承するか、拒否するか。俺はどちらでも構わないが、面白いのは了承のほうだろう。
了承して蘆名を攻めると見せかけて、こちらが油断しているところを奇襲するという選択肢もある。そうなると、情勢が混沌とするだろうな。もっとも、武田が油断していたらの話だが。
二人は顔を下げたままだが、どうするか相談しているようだ。
「「承知いたしました」」
ほう、了承したか。今後の両家の動きをしっかりと、監視させてもらうぞ。
「骨は拾ってやるし、お前たちが戦死したら息子に家を継がせて家を保つと約束する。攻め入っただけでお茶を濁そうなどと思うなよ。俺は中途半端は好かんから、やるなら死力を尽くして戦え」
「「はっ!」」
これで二人の覚悟が分かる。
完全に俺に従属するか、裏切って刃を向けるか。目端が利く稙宗は、俺が勝っている間は裏切らないと思うが、盛胤は蘆名に義理立てする可能性が十分にある。さて、どうなることか。
▽▽▽
大永四年三月一日。(一五二〇年)
南部安信の弟の南部高信が使者としてやってきた。
先にも述べたが南部家は甲斐源氏の流れを汲む家で、源義光公を祖とする同族だ。
「よくきたな、高信。俺が信虎だ」
「はっ、甲斐左大将様のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じあげまする」
高信は俺とさほど変わらぬ年齢で、兄の安信を助けて津軽郡に領国を広げた人物だ。この時代の南部は青森県の一部と岩手県の一部に勢力を持っていて、なかなか領地は広い。ただし、青森県内で石高が多い津軽地方は南部の領地ではない。青森県で津軽を得ることは、国力を高めるためには必須のことだが、史実で南部がこの津軽郡を完全に得るのはもう少し先の話である。
これも先述したのだが、この時期の奥州はまだ陸奥国と言われ、青森県、岩手県、宮城県、福島県の集合体だ。明治維新以降に陸奥(青森県)、陸中(岩手県)、陸前(宮城県)、岩代(福島県内陸部)、磐城(福島県の太平洋側)に分割される。だから、今回は青森県や岩手県という言葉を使っているが、面倒だよな。
さて、南部だが、今は大した勢力ではない。領地が広いだけの小国だ。だから、俺の麾下に入って家を大きくしたいのだろう。
俺は同族だからと言って、南部を依怙贔屓するつもりはない。俺が優遇するのは、俺の政策を理解して民を大事にする奴だ。
戦が弱いのは大したことではない。戦は強い奴に任せればいいのだから。だが、領国経営は領主が行うのだから、俺の政策を理解していなければいけない。これは戦云々ではなく、領地を持つ者すべてが理解して実行しなければならないものだ。
「南部は津軽がほしいのであろう?」
南部安信が俺を見つめてくる。惚れるなよ。
「ご明察、恐れ入りまする」
両手をついて頭を下げる。
「津軽は任せる。だが、それ以上は許さぬ。いいな」
「はっ、ありがたき幸せ」
津軽には北畠、大光寺、大浦などの勢力がある。大光寺と大浦は南部から分かれた家だが、今はそれほど仲がいいというわけではないようだ。まあ、同族なのだから、圧力をかければ南部に従うかもしれない。
俺の名前が津軽に轟いているとは思えないが、それでも大大名である俺の後ろ盾を得た南部に逆らった者が、どうなるか想像できない奴の末路を心配する気にもならない。時代が動いているということを、知るべきだ。
武田信虎を読んでくださり、ありがとうございます。
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