054 上洛
大永三年六月一日。
六角定頼は史実では管領代になるほどの人物だが、今の六角定頼は兄氏綱が矢傷が元で鬼籍に入ったことで六角の家督を継いで間もない。
六角は近江南部に根差した大名で、大和や伊賀にまで勢力を伸ばしている。
六角定頼の時代は六角家にとって華々しい時代だったが、その孫の六角義治は観音寺騒動を起こして六角家の凋落を招いた。
史実ではこうだったが、現在、六角定頼は人生最大の判断を迫られている。美濃の不破関から諏訪頼満の第六軍団が近江へ侵攻したことによってだ。
この近江の守護は京極家で、今は京極高清が当主をしている。
京極家は足利幕府の四職の家柄だ。四職のことは過去に説明したから省くが、つまり京極家は名門なのだ。
京極家は飛騨守護、出雲守護、隠岐守護、近江守護だったが、今では近江の北側の半国守護にまで落ちぶれている。
これは応仁の乱の混乱もあったが、一番問題だったのが京極騒乱と言われる家督争いだ。この京極騒乱はなんと三五年も続いた家督争いで、京極の家を大きく傾けた原因になっている。
その京極高清だが、なんと俺に降伏してきた。まさか名門の京極が降伏してくるとは思ってもいなかったので、驚きをもって桑名に迎え謁見する。
「京極中務少輔高清にございます」
白髪の目立つ頭を下げたのは、京極の当主である京極高清だ。
その後ろには息子の京極高吉(次男)が座って頭を下げているが、この京極高吉は兄の京極高延(長男)と仲が悪いと聞いている。
たしか、史実でも家督を争って浅井亮政(浅井長政の祖父)の台頭を許した奴らだったはずだ。
「甲斐左大将信虎である。中務少輔殿、よくきてくれた」
「はっ、ありがたきお言葉」
京極高清は俺に降ったが、その家臣たち全てが俺に降ったわけではない。
先ほども名前が出た浅井亮政は、築城されたばかりの小谷城で武田軍を迎え撃つ構えを見せている。
「中務少輔殿、高延殿の姿が見えぬようだが?」
京極高延は浅井亮政の元にいるので、浅井亮政同様俺と敵対するのだろう。
「お恥ずかしい話でございますが、息子は左大将様に反抗するようで、小谷城に入っております」
「ほう、帝の意を受けて上洛する我が武田に刃を向けると言われるか?」
「申しわけ次第もござりませぬ」
頭を床につけて愚息の行いを詫びてはいるが、俺が京極高延と浅井亮政を滅ぼすことを期待しているんだろうな。
俺を使って家督を次男高吉に譲る。本当にそう考えているなら、京極高清という人物は思った以上に強かだ。
「あの愚か者とは親子の縁を切りまする。また、愚息高延が左大将様に反旗を翻したお詫びに、某は隠居してこの高吉に家督を譲りとうございます」
筋を通してきたな。だが、これはこっちの思うつぼだ。
京極が支配している北近江は俺の直轄領にしよう。高延のことを理由に他の土地に移封すると言ったら従うかな? まあ、従わなくてもいい。その時は潰すだけだ。
「分かった。高延はこちらで処理する。そこでだ、中務少輔殿は飛騨に移封とする。元は飛騨の守護職だったのだ、そこで一から我が武田のやり方を学んでくれ」
「そ、それは……。承知しました。左大将様のご配慮に感謝いたします」
これで北近江に地盤を築ける。琵琶湖、今は近淡海と言われているが、その近淡海の北側を手に入れることができた。
もっとも、浅井の他にも北近江の西側には高島七頭という勢力がいて、高島を中心として平井、朽木、永田、横山、田中、山崎といった家が治めている。
この高島七頭は敵対しなければ、無視していい。大した勢力ではないし、近江全域を平定する時間が惜しいからだ。
▽▽▽
大永三年六月十三日。
愛発関を通って朝倉軍が北近江に入って、諏訪頼満の第六軍団とともに北近江を平らげてくれた。
朝倉は武田と婚姻同盟を結んでいるし、浅井とはまだそれほど親密ではない。おかげで、北近江を平らげるのに時間はかからなかった。
その報を聞いた俺は、東海道を西進して甲賀郡に入った。
「殿。管領細川高国様、六角定頼殿が面会を求めておいでです」
「通せ」
俺は上座に座ったまま、細川高国と六角定頼を迎え入れた。六角定頼はともかく、細川高国はあからさまに不満の表情をした。
「信虎殿、此度はご苦労であった。これよりは澄元を擁する三好之長を京より追い出す軍に加わるがよい」
名乗りもせず随分と上から目線だな。まあ、細川高国は自分は管領で俺は田舎大名だからと高を括っているわけだ。
「京へは進軍しますが、我らは独自に進軍します。六角殿はどうされるか?」
細川高国は無視して、若き六角定頼を見つめる。
この六角定頼は織田信長で有名な楽市楽座を最初に行った人物でもある。ただし、領内の関所はさすがに排除できなかったようだ。それでも、観音寺城の城下を活気溢れる町にした手腕は評価するべきだろう。
「左大将様が上洛する理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
そうきたか。だが、隠す必要もない。しかし、六角定頼は若いな。たしか俺の三つか四つ上の年齢だったか?
まだ六角の家督を継いで間もないことから、完全に家内を掌握していないようだな。
全盛期には六角の六宿老なんて言われる名臣たちに囲まれて、管領代になる人物だ。その時に細川京兆家など滅ぼして管領になればよかったのにな。所詮は家格や血を重んじる古いタイプの男ってことだ。
「恐れ多くも帝より上洛の勅令をいただいたためにござる」
「勅令……」
俺が勅令を受けたというのは、噂ていどには知っていたはずだ。
「京やその周辺では争いが絶えず、帝のご心痛を思うとこの信虎、胸が締めつけられる思いである」
細川高国は顔を真っ赤にして俺を睨んでいる。
争いのど真ん中にいるのだから、俺にバカにされたと思っているんだろうな。
細川高国と六角定頼が下がった後は伊賀三家との謁見だ。百地、藤林、千賀地の三家だ。
この頃の伊賀はまだ忍者の里ではない。伊賀忍者の祖と言われる百地三太夫(百地丹波守)はまだ生まれていない。と言っても、諜報や工作に長けた者たちであることに変わりはないが。
「そのほうらが望むのであれば、伊賀以外に所領を与えるが、どうする?」
伊賀は山国なので米があまり穫れない貧しい国だ。
俺が三人に移封を仄めかしたのは、何も善意からのことではない。
伊賀にはこの三家を頂点に伊賀一二人衆という組織がある。織田信長はこの伊賀一二人衆と戦った第二次天正伊賀の乱に五万とも一〇万とも言われる兵数を送ったとされている。
高々数千の伊賀勢に五万以上の兵を送らなければならないほど伊賀一二人衆が強かったのか、完全に伊賀一二人衆を滅ぼすために絶対に負けない数を揃えたのかは分からないが、それだけ厄介な者たちだということだ。
だったら、美味しい餌を鼻先にぶら下げて伊賀一二人衆をバラバラにしたらいいと思っただけである。
「ありがたきことなれど、我らは伊賀に骨を埋めとうございます」
百地丹波守が代表して答えた。四十代の人物だ。
この百地丹波守は有名な百地丹波守ではなく、その父親か祖父といったところだろう。
「そうか、ならば無理にとは言わぬ。だが、そなたら伊賀勢にはしっかりと働いてもらうぞ。俺は情報を重要視する。伊賀も甲賀も関係なく、俺のために大切な情報を持ってきてくれる者は大事にするつもりだ」
「はっ、ありがたきお言葉をいただき、我ら一同、甲斐左大将様の御為粉骨砕身働く所存にございます」
この数日後、細川高国が比叡山延暦寺に入ったと、六角定頼より情報がもたらされた。
どうやら細川高国は俺を討てと六角定頼に命じたらしいが、六角定頼はそのようなことはできないと断ったらしい。
俺を攻撃すれば、それは朝敵になるということなので、細川京兆家の争いどころの話ではないのだ。六角定頼はそのことを分かっていて細川高国を持て余していたところ、業を煮やした細川高国が比叡山延暦寺に入ったらしい。
「殿、これで六角は動くことはないでしょう。今浜に諏訪殿の第六軍団の半数を置き、この甲賀に第六軍団の半数を置き、殿は直轄軍と板垣殿の第二軍団、越中武田家の信守殿、そして朝倉殿の軍を率いて上洛できましょう。仮に六角殿が動いたとしても第六軍団で対処はできましょう」
軍略方を任せている真田頼昌が、地図上に駒を置いていく。
「他に意見はないか?」
主だった者を集めての軍議だ。意見はどんどん言ってくれ。
「某は真田殿の案でよろしいかと存じます」
信泰が真田頼昌を支持したか。他の者たちも異論はないようだ。
「では、三日後に進軍する。直ちに今浜の第六軍団に伝えよ」




