051 上洛
大永三年一月二五日。
細川高国から書状がきた。内容はいたって簡単で、高国が京へ戻る手助けをしろというものだ。
今は細川澄元と三好之長に京を追われて六角定頼に庇護されている細川高国は、上から目線の書状を俺に送ってきやがった。
舐め腐ったその書状をくしゃくしゃにして鼻をかんでやった。
「殿、その書状にはなんと?」
「読みたいか?」
「殿の鼻水がついていますので、内容だけお聞かせください」
ちっ、道悦の奴め、俺の鼻水くらいなんだというのだ。
「細川高国が上洛したいから、俺に軍を出せと言ってきただけだ」
「不思議な内容ではござらんが、何ゆえ鼻をかまれましたか?」
今度は長尾景長だ。
「文面が気に入らなかっただけだ。今後、細川高国の書状は焼き捨てろ」
「それはまた乱暴な」
分かっている。分かっているが、どうも細川とか足利とか一向宗は好きになれん。
「しかし、それは好都合ではないでしょうか?」
真田頼昌が目をキランッとさせて、くしゃくしゃの手紙を見つめている。ほしいならやるぞ。
「ああ、好都合だ。俺が上洛軍を起こしても、高国は味方だと思うだろう」
「では、細川高国殿に返事をお書きください」
「嫌だ」
「「「「………」」」」
飯富道悦、長尾景長、織田信定、真田頼昌の四人が苦笑いを浮かべた。なんだよ、その目は。
「ちっ……。信定、返事を用意しろ」
「しょ、承知しました」
一番下っ端の織田信定に返事の内容を作らせ、それを祐筆が清書して俺が署名する。一般的な流れだ。
筆まめは好感度アップ? そんなものは家臣や友好的な人物へ送るんだよ。そうすれば、家臣なら喜ぶし、友好的な人物の好感度も上がる。
だが、殺すか追放が決まっている奴に、なんで俺の直筆の書状を送らなければならないんだ。
「細川の争いが俺の上洛の役に立つか、頼昌のほうで精査するように」
「承知しました」
これでいいんだろ? まったく……。
「次はなんだったか?」
「小畠虎盛殿との面談ですな」
「虎盛か、呼んでくれ」
小姓が虎盛を呼びにいったので、その間にお茶を飲んで心を落ち着かせる。
しばらくして虎盛がやってきた。虎盛は兵糧方をよくまとめている。今年は上洛するから虎盛の仕事は一段と重要になるし、忙しくなるだろう。
「殿にはご機嫌がよろしくないようで」
頭を下げて挨拶するが、第一声がそれかよ。
虎盛は生真面目な奴なのに、最近は少し冗談を言えるようになった。まあ、本当に少しだが。
「ち、聞いていたのか」
「たまたま聞こえてきたのでございます」
「腹立たしいことを思い出させるな。それよりも仕事の話だ」
小姓が紙の束を俺の机の上に置いた。
「さればでございます。保有米の話ですが、現在、美濃の稲葉山城、尾張の清洲城及び岩倉城、信濃の高遠城、三河の安祥城に兵糧を運び込んでおります。二月中には、上洛軍を一年支えるだけの量の備蓄が完了します」
「上洛軍の兵糧を決して切らすなよ」
「承知しております。幸いにも、武田領内は毎年収穫量が増えていっておりますれば、まだ余裕がございます」
俺が言わなくても、虎盛であればそつなく兵糧を供給し続けるだろう。
虎盛は書類の内容を淀みなく説明していき、最後にこう締めくくった。
「青木信種殿の開拓方が農地を増やしてくださり、昨年は六万二〇〇〇石ほど石高が増えております。おそらく今年も同様か、それ以上が見込めますでしょう。もしも不作になったとしても秋山信任殿が他国より買い入れる段取りを進めています。兵糧についてはご心配には及びません」
私、失敗しないので。なんて言い出しそうだぜ。
まあ、自信があるのはいいことだ。その調子でがんばってくれ。
「はい、次~」
虎盛の次はなんだったっけ?
「次は、春日大隅殿が参られました」
「おう、通してくれ」
春日大隅は武田の譜代家老衆だったが、今は旗本の馬廻衆だ。そこで今回新設する鉄砲組を任せることにした。
鉄砲組は中砲と鉄砲、そして大砲を運用する部署で、今後のことを考えれば必ず役に立つだろう。
「春日大隅にございます」
「おう、よくきた」
大隈はこの時代の人物としては大柄だ。俺も大柄で六尺以上あるが、大隈は俺よりもさらに一寸ほど背が高い。
このガタイが息子の春日虎綱に引き継がれるのかな。春日虎綱は高坂昌信のことだな。高坂弾正と言ったほうが分かるかな?
「はっ」
「そう硬くなるな。取って食おうってわけじゃないんだ」
まあ、日ノ本の国で初めて鉄砲を運用することになるから、誰も何も教えてくれない面倒な仕事ではあるが。
すでに長島では大砲を運用しているけど……。それでも地上で鉄砲の運用はまだ行っていない。
三段撃ち、狙撃、雨天下での運用、色々あるが大隈はどうやって鉄砲を運用するかな。楽しみだ。
「はぁ……」
「まあいい。大隈、お前にやってもらいたいことがある」
「なんなりとお申しつけくだされ」
「そうか! お前には新設する鉄砲組を任せる。鉄砲組は俺の直轄だが、鉄砲の使い方は板垣信方に聞くがいい」
「は、はぁ……」
まあ、鉄砲なんて言葉は初めて聞いたと思うから、そういう反応になるわな。
「鉄砲は今後の武田の主力になる武器だ。気合を入れて取り組んでくれ」
「はっ! よく分かりませぬが、誠心誠意、相努めまする!」
「おう、頼んだぞ」
春日大隅が下がって、次は……。
「教来石信保殿が参られました」
教来石信保は甲斐の土豪なんだが、俺に仕官してきた。
武田家臣団の中で教来石なんて聞き覚えがないなと思っていたんだが、記憶を辿っていって思い出した。この教来石信保の子の代になると馬場姓を名乗っている。そう、信保は武田四天王の馬場信春の父親だ。
今回、信保を軍略方に配属するつもりだ。
「教来石信保にございます」
信保はあまり特徴がないな。顔に特徴があるわけではなく、背も高くない。そして威圧感があるわけでもない。だが、能ある鷹は爪を隠すというからな。
「信保、お前はそこにいる真田頼昌の下で働いてもらう。軍略方だ」
「某のような者に過分なるお役をいただき、感謝の言葉もございません」
「しっかり務めろよ」
「はっ!」
信保も下がっていき、小姓が温かなお茶を淹れなおしてくれたので啜る。このお茶は静岡で作っているお茶で、いい香りだ。
「三枝守綱殿が参られました」
今度は三枝守綱か。守綱も甲斐の土豪……かな? 昔の甲斐国の在庁官人だった家系とかなんとか。でも、三枝は武田二四将の三枝虎吉が出る家だ。優遇する気はないが、だからと言って冷遇するつもりもない。
ひょろっとした男が入ってきた。これで戦働きができるのか?
いや、守綱は文官として仕官したんだった。
「三枝守綱にございます」
「守綱、お前には普請方で働いてもらうぞ」
「は、ご期待に沿えますよう、努力いたします」
ふー、今日の仕事が終わった。書類仕事は肩が凝るぜ。
仕事で疲れた俺を癒してくれるのは、俺の子供たちだ。
長女の華子(楠浦殿の子)は今年で五歳になる。可愛い盛りだ。
長男の一郎(上杉殿の子)は今年で四歳で、ほぼ毎日のように上杉憲房が顔を見にきている。将来はいい男になるだろう。
次女の栄子(九条殿の子)も今年で四歳だ。俺に一番懐いていると思う。可愛いな。
次男で嫡男の五郎(近衛殿の子)は三歳になる。嫡男なので回りがうるさいかもしれないが、真っすぐな男に育ってほしい。
三男の次郎(上杉殿の子)も三歳になる。こちらも上杉憲房が顔を見にきている。ジジバカだ。
四男の三郎(九条殿の子)、五男の四郎(楠浦殿の子)、六男の六郎(勧修寺殿の子)は二歳だ。
どの子もすくすくと成長している。このまま健康に育ってほしい。
「面会者は以上か?」
「以上になりますな」
飯富道悦が頷いた。
「ところで、長島はどうなっているか?」
いつまでも尾張にいるわけにもいかないので小田原城に戻ったが、今年は上洛するので尾張にいたほうが近くて便利なんだよな。
尾張は直轄地にするので上洛が上手くいったら新しい城を築城するつもりだ。名古屋城だな。
さきほど面会した三枝守綱も長野憲業の下で名古屋城の築城のために尾張へ向かうことになるだろう。
まあ、その前に他の城を築くことになるかもしれない。そちらの方が戦略的に重要なら名古屋城は後回しでいい。
「兵糧攻めがそうとう堪えているようですな。連日長島に兵糧を補給しようとする船を全て沈めていると聞いております」
真田頼昌が報告してにやりとするので、俺もにやりと返してやる。
「信泰は援軍を求めてきていないか?」
「問題なく対応しております。もっとも、海軍を合わせて四万の兵で囲んでいますので援軍は必要ないかと存じます」
「ならばよい」
そろそろ長島も攻め時か……。
よし、決めた。
「二月の下旬になったら、出陣する。長島を一気に滅ぼすぞ」
「殿が出るまでもなく、長島は落ちましょう」
「いや、これはケジメだ。俺が長島の腐れ一向宗どもに引導を渡してやる」
頼昌が仕方がないな、といった感じで「分かりました」と答えた。
道悦、景長、信定もため息混じりだ。
今月は土曜日更新します。




