幕間:共に立つ栄誉
今回はエミール視点です。
ボクは、お師匠様の宣言に従う。
投げ入れ坂の美化がお師匠様の理想を体現する事に必要なのであれば、ボクは全身全霊を以てこれに臨む。
錆びた鉄の塊など何するものか。
そんなものは雷属性の魔術で、たちどころに精製してくれる。
このボクの、紫電の迸る両腕を見るがいいッ!
「おー、すげーなボウズ!」「俺ン所もやってくれぃ」
「バロウズ先生に教えてもらったけど、オイラもいつかはあれくらいできるのかなぁ」
誇らしい。実に、誇らしい!
お師匠様の偉業が、こうして間接的とはいえ皆の目に触れている。
……そうとも!
この紫電は、お師匠様のご指導ご鞭撻なくしては有り得ないものだ。
あなた方も、いずれ知るだろう。
お師匠様の教育が、どれだけ高い価値を持つのかを!
この手のアレは、そう! 後からジワジワ効いてくるのだッ!
昼になって、姉さんが差し入れのお弁当を持ってきてくれた。
「エミール。あんまり気合い入れ過ぎちゃ駄目よ」
「そうは言ったって、直接お師匠様のお役に立てる事は、そんなに多くないんだよ」
「だったら尚更よ。今回限りにしたくないでしょ」
「……わかってる」
アレットとかいう小娘が羨ましい。
あいつ、いつもお師匠様の隣に陣取っているじゃないか!
ボクだって最初は遠慮して後ろのほうを半歩下がって付いていったんだぞ。
まぁその結果、お師匠様が歩くペースをどんどん遅くしていって、最終的に歩く時は隣になったけど。
なんでも、隣にいるほうが顔を見やすいから、だそうだ。
どこまでも……ッ!! 理想的な、教師……ッ!!
教職を志すならば、あのお方のように在りたいものだなぁ。
「どうもイースト・セルシディアの雲行きが怪しくなってきたわ」
「どういう?」
「いい? 絶対に騒がないでよ?」
「わかってる」
姉さんは声のトーンを落として、耳打ちしてくる。
神妙を通り越して沈痛な面持ちを見るに、マジで相当に厄いネタのようだ。
「バロウズ先生達が武装蜂起を支援している、なんて話が出て――」
「――誰だそんな事抜かしやがったクソ野郎は――あいたたたたた痛い痛い痛い」
は、挟まれて、顔が縦に潰れる!
「……騒ぐなって言った筈よ」
「ごめん」
「まったくもう……とにかく、情報の出処を探っているところだから、見つけるまで迂闊な行動は控えてね」
「わかってるよ」
もしもボクが感情に流されて軽挙妄動に奔れば、お師匠様に迷惑がかかるだろう。
それだけは避けねばならない。現状、上手く行っているとは言い難いが……。
「お師匠様は、その件についてご存知なの?」
「ええ。バロウズ先生は、自ら護衛を務めつつ行政および多数の東側の住民を立ち入らせることで誤解を解く、というプランを出していたわ」
「曲がりなりにもスラム街だから冒険者でなければ歩く事もままならない、治安の悪い地域であることをしっかりご理解の上で、復興計画の陣頭指揮を取られるご自身の立場を最大限に活用する事で抜本的な解決へと速やかに導くという事か! さすがはお師匠様……実にスマート……!」
ならばボクにできる事なんて、お師匠様を信じて作業を続ける他にないだろう。
姉さんは何故か生暖かい目でボクを見ているが、敢えてボクは何も言わないでおくとしよう。
「私、もう行くわね。また連絡ちょうだい」
「ああ。ありがとう、姉さん」
お弁当は、サンドイッチだ。
炊き出しのごはんはウェスト・セルシディアの住民のものだから、ボクが食べるわけにはいかない。
「おっ……カスタードクリームにベリージャムか」
美味い!
ラズベリーとバニラと、それからチェリーか!
これもまた、ボク好みの味付けだ。
手作り? いや、まさか。
流石にそれはないな、スクランブルエッグも黒焦げにする程の料理下手だから。
何処かで買ったと考えるのが妥当かな。
「……ん?」
視線を感じて振り向くと、猫耳幼女が瓦礫に腰掛けていた。
おおおおっと! “幼女”はお師匠様の仰せられるには、あまり好ましくない表現であった!
幼子と表現すべきか?
彼女は、じっとボクを見つめていた。
目的が解らないことには、如何ともし難い。
ここは紳士的な態度で訊いてみよう。
「どうした?」
これで良し。
あんまり優しすぎると今度は気色の悪い媚を売るみたいで、まさしくロリコンそのもの……駄目だ。それだけは。
「それ、おいしい?」
指を咥えて涎を垂らしている辺り、どうせボクが不味いと嘘をついても聞く耳持たないだろう。
この食いしん坊さんめ。
「食べてみれば解るよ。口に合うかどうかは保証できないけど」
「わー! ありがとー! ……んっ、おいしい!」
「言うまでもないけど、他の人には内緒だぞ」
「うんっ!」
……まったく、これじゃあボクの食事が足りなくなっちまうじゃないか。
これくらいならどうってことはないけど。
走り去っていく後ろ姿をぼんやりと眺めながら、ふと廃墟の屋上に近付く。
「それで……ヒルダちゃん、だったわね。話って、何かしら?」
ジェイミーとヒルダが上にいるようだ。
「実は私さ、女体化の薬を作ろうとしてて……もし良かったら、いつか実験台になって欲しいんだけど」
「そうねぇ……理由を聞かせて貰えないかしら」
「あはっ。確かに理由は必要だったね。ジェイミーさんはさ、心は女の人なんだよね?」
「ええ、混じりっけなしのオトメよ!」
「でも身体は男じゃん? この前みたいに、うちのクソ野郎共が変な警戒をするじゃん?
身体が女になれば、もう我慢しなくていいんだよ。平気なふりして、傷付かなくても。
私はね……男なんて、いなくなっちゃえばいいって、思ったんだ」
「そう……」
ヒルダのやつ、様子がおかしい。
あいつが長話をしたところを今まで見たことがないけど、あの声の震え方は、普通ではない感じがする。
或いは――
「だって、そうだよね? あいつらさえいなければ、私は……私は……っ!」
「あら! ちょっと大丈夫!?」
「――触んなッ!!」
「きゃっ!?」
「あっ……ごめん……」
「大丈夫よ……こちらこそごめんなさいね」
「と、とにかく、考えておいて。それじゃあね」
――或いは、あの声こそが、ヒルダの隠し続けてきた本性だとしたら?
ボクだって身に覚えがある。お師匠様に救われるまで、ボクは毎日のように虐げられてきた。それを思えばボクだって声が震えるし、怨嗟は制御不能になるだろう。
問題は、ヒルダがボクには一度もそんな一面を見せなかった事だ。
ボクでは未熟ゆえ、打ち明けるに値しなかったのだろうか?
……いや、仮に、お師匠様にも打ち明けていなかったら?
「あれ? エミールじゃん。盗み聞き?」
ヒルダは降りてきてボクを見るなり、ひどいことを言う。
「ボクは何も聞いてないぞ」
「そう」
それきりヒルダは、作業場へと戻ってしまった。
黙々と掘り出し物を消毒している姿に、あの件について問いただす勇気はボクにはなかった。
でも、それでいいんだと思う。
お師匠様も同じ立場なら、そうしておられた筈。




