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第58話:先生とスラム街


 山あいの道を、行商人の荷馬車に揺られて進む。

 御者の話では、俺達はそこそこに有名らしい。

 嫌な噂でないことを祈るが……。


 メンバーは変わらず俺、アレット、ウスティナ、ピーチプレート卿の4人だ。

 久しぶりに揃って行動した気がする。


 ふと、隣に座るアレットを見やる。

 白地に花柄のスカーフ……いつの間に買ったのだろうか。


「――っ」


 俺の視線に気付いたアレットは、サッと動いてスカーフで口元を隠す。

 一瞬だけ、顎の横に吹き出物ができていたのが見えた。

 ……なるほど、それでか。見なかった事にしておこう。


「失礼しました。スカーフ、素敵だなって思ったので」


 言っていいのは、ここまでだ。


「あ、ありがとうございます……」


 消え入りそうな声で応じるアレットが、俺の意図に気付いていないことを祈ろう。

 褒めた内容自体は嘘ではないわけだし。



 北西部のピアースロックへは、迂回せずに向かう。

 迂回ルートだと学院で執り行われる降誕祭に間に合わないリスクがあるからだ。


 直線で向かう場合、ピアースロックは岸壁の穴からダンジョンを経由する形になる。

 まぁ……そこまでは、比較的スムーズな旅路になる筈だ。



 今向かっているのは、セルシディアの街。

 かつて魔物の襲撃によって半分以上が崩壊したという。

 比較的復興が進んでいる東側と、魔物の生息域に近かったために復興が追いつかずスラム化している西側。


 カティウスのいる教会は東側にあるし、解呪屋と会える確率が高いのは西側だ。


 子供の頃にフィッツモンドに行く道中で少し立ち寄っただけだから、現状がどうなっているかなんて把握していない。

 覚悟は、決めておかないと。



 あとは魔導ナプキン大量生産体制の完成報告の期日も、残り2周間を切っている。

 ジュドーは元気にしているかな。

 冒険者ギルドに便りが来ているのを確認できたら、報酬を支払おう。


 シャノンが手紙を介して代行者を手配してくれるか、最悪、高速で飛行できる召喚獣で俺を輸送してくれるという話になっている。

(とはいえその召喚獣を呼び出すためには希少な宝石が必要になるから、本当に最終手段だ)


 そちらの報酬金と印刷装置の使用料については、シージャック事件解決への協力に伴う褒賞金から捻出できる。


 それと、ゆうべ駆除した雷雲海老サンダーロブスターの群れも、かなり足しになるだろう。

 雷雲海老の大量発生って、よほど水が汚くないと起きないぞ……。

 この辺の川では、水を汲まないほうが良さそうだ。

 とはいえ川が流れているのは、切り立った崖の下。汲みに行くより、事前に用意したほうが早い。



「旦那がた。門が見えてきたよ」


 石造りの、緩やかなS字カーブを描いた勾配がある。

 その奥には大型の馬車が擦れ違えるだけの幅の石橋があり、そこを超えたらようやく関門だ。

 他の街に比べて随分と物々しい雰囲気だ。治安悪いのかな?

 とはいえ、無事に検問は通過できた。



「ありがとうございました」


「それじゃあどうもね! 達者でね!」


 快活な御者の見送りの言葉を背に受けて、俺達は大通りを歩く。

 真っ白な石畳、真珠のような石壁に、青い屋根か。

 どことなく、聖堂騎士団の鎧を彷彿とさせる色合いだ。



 それはともかく、一つ問題にぶち当たった。


「大抵この規模の街なら検問所の近くに地図があると思うのですが、ありませんね……できれば今日中に、だいたいの設備の目星をつけたいのに」


「立て看板でも売り物でも置いてないみたいですね……」


 アレットも付近をあちこち駆けずり回ってから、肩を落とす。

 ウスティナが僅かに思案したのち、うなずく。


「余所者に地形を把握されると困るような事情があるのかもしれんな。大抵こういうところは夜のうちに建物が動くようになっている」


「外敵を混乱させるため、ですか」


 俺が答えると、ウスティナは少しだけ口元を緩める。


「ああ。10年前に実用化されたと聞いている。もっとも、スラム街のほうは区画整備が追いついていないだろうから、つまりは……わかるな」


「おおッッッ!!! そのような仕掛けが無いから一度だけ見れば充分という事ですなッッッ!!!」


「ご明答だ」


「では、スラム街から探索してみましょうか」


 場所によってはスラム街の上に柱を立てて、そこに地面を作って覆い被せるようにして街が作られている箇所もあるようだ。




 ◆ ◆ ◆




 清潔感のあった東側に比べると、西側のスラム街の状況はひどいとしか言いようがない。

 ゴミが転がっているだけじゃなくて、土埃まみれの瓦礫が積み重なって段差になっているところまである。

 隅っこでは瓦礫の上に雑草が生い茂っているところを見るに、かなり長い間ここは放置されていたようだ。


「先生……」


 アレットは不安に思ったのか、俺のローブを掴んでくる。


「なるべく離れないようにしないとですね」


「はいっ」



 幅の広い坂道にたどり着く。

 かつては凱旋パレードのルートにもなっていたのだろうか?

 王国のパレード様式のセオリー通り花吹雪を片付けるための溝が掘られていた痕跡がある……。


 だが、遙か上のほうを通る橋から放り捨てられたであろうゴミが坂道を転がり落ちて積み重なっていて、坂を降りきったトンネルまでぎっちりとゴミで溢れかえっていた。

 小さなトンネルを抜けると水路に出るような構造のようだが……腐ったゴミが水に溶けてドロドロになっている。


 水質汚染と雷電海老サンダーロブスター大量発生の原因は、間違いなくコレだな。

 きっとゴミに紛れた薬品か何かが悪影響を及ぼしたんだろう。



 ……む。

 曲がり角から誰か出てくる。

 ボロ布に身を包み、杖をついているようだけど……。


「ゴホッゴホッ……おお……珍しい花の香に釣られてみれば……久しく嗅いでおらぬ匂いが混じっておるな……」


 低くしわがれた男の声は、更に続く。


「些か血の匂いが強すぎるが……」


 曲がり角から完全に姿を表したのは、鼻をひくつかせる、マズルのある顔立ち。

 犬か、或いは狼の獣人だ。ただ、その両目は白く濁っていて何も見えていないだろうことが伺えた。


 獣人は、ウスティナのほうへ、ゆっくりと歩み寄る。

 ピーチプレート卿が俺とアレットを下がらせ、盾と槍を構えた。

 だが――


「森の者たちは息災だったか……? スレイドリン・ゾラクェンよ……」


 ウスティナに親しげに話しかける様子からは、敵意など微塵も感じられなかった。


「スレイドリンは死んだよ。私はウスティナだ」


「……なるほど。それは……失礼した」


 スレイドリン。それが、どうやらウスティナのかつての名前だったらしい。

 とはいえ余計な詮索はするまい。名も顔も隠していたということは、つまり明かしたくないということだ。


「ゴステトゥーロ。貴公こそ、その両目はどうした。牙も抜かれているようだが」


「ああ、毒にやられてな……そなたもくたばり損ないらしく、些かばかり覇気を失ったようだな」


「レディに掛ける言葉ではないな」


「そなたがレディと名乗るとは」


「クククッ……往年の意趣返しだ。それで、何をしている」


「見ての通り、ゴミに囲まれておる。奴隷制度の廃止が即ち、儂のような役立たずを保護することには繋がらなかったらしい」


 やっぱり元奴隷だったか……。


「如何に戦働きで武功を上げようとも、両目と両足を駄目にしてしもうた故な……誰も引き取ってはくれなんだ」


 特に気負った風でもない語り口だが、それとは反対にアレットが肩を落とす。


「何の仕事にも、就けなかったのですね……」


「応さ。戦も雑事もままならぬとあらば、性奴隷くらいのものだが……男では性奴隷に使わないのが王国の通例らしくてな。もっとも、斯様な病人ではそばに置くのも難儀だろうて……」


 放ってはおけない。


「両目以外なら治療は可能です。待っていてください、すぐ表通りから治療薬を買ってきます」


「支払える金は無いぞ……なにせ奴隷からそのまま野良犬だからなクッフフフフ――ゴホッゴホッ……少し、横になる。儂の事なら気にするな」


 そう言って、ゴステトゥーロはその場に寝転んでしまった。

 立ち尽くす俺とアレット、それからピーチプレート卿を他所に、ウスティナが自嘲気味に呟く。


「いつぞやの私と同じさ。命以外に失うものが無いと周りが思っているから、そこらで寝ても誰も奪いに来ない」



 ……対象を設定、ゴステトゥーロの内臓。

 魔力量、始点および終着点を決定――……

 ――“免疫イミュナイズ付与エンチャント”!!


「ではそれがしからも、ヒールをば」


 少しは楽になるだろうか。

 現時点では彼に、これ以上のことはできないだろう。

 スラム街の探索を続けよう。


 道すがら、ピーチプレート卿が首をかしげる。


「もしや、治療薬のアテがお有りなので?」


「霊薬学科の生徒に色々と教えていくにあたってテキストをお借りしたことが。冒険者の店で同様のレシピを購入できれば症状に合わせてカスタマイズしたものを自作できます」


「おお……頼もしいですなッッッ!!!」


 などと話をしているうちに、道に迷ってしまったようだ。

 スラム街から大通りに出てきてしまった。

 そして……



「ヒール」


 聞き覚えのない女性の声とともに、俺達全員にヒールがかけられる。

 無差別にヒールを行う行為を、辻斬りから転じて“辻ヒール”と呼ぶんだったかな。

 大半は魔力の余った人達による無償の慈善活動だが、稀にゾンビの判別や金銭要求といったケースもあり得る。


 少しすると、紫色の長い髪をした女性が目の前に出てきた。

 柔和な笑みを浮かべていて、こちらに敵意は無さそうだった。


「ご無事ですか? 街の案内が必要とのことでしたので、皆さまをお探ししておりました」


「は、はい……その、ご心配をお掛けしましたが僕達は無事です」


 こっちも無難な返答をしておくが……うーん、会った覚えがない。

 たぶん完全に初対面だ。


 シャノンのツテで来てくれた現地ガイドさんか?

 いや、もっと踏み込んだ話、この街の不穏分子を監視している草の者とか?

 俺達は顔を見合わせるが、どうやら誰も面識がないようだった。


 改めて確認だ。

 ……右目には眼帯で、武器は刀、でもって詰め襟のコートだろ?

 しかもその詰め襟にしたって胸元は開いているデザインだし、下半身は……


「あ、あのっ!? レオタードに黒タイツってことは、バニーさんだったりするんですかっ!?」


 アレット、その訊き方はどうかと思うよ……



「あら。そういえば、申し遅れましたね。私は此処を拠点とする冒険者の、ヴェラリスと申します。ようこそ、セルシディアの街へ。皆さまを歓迎いたします」


 ヴェラリスと名乗ったその女性から、満面の笑顔とともに右手が差し出される。

 白い絹の手袋はシミひとつ無かった。たぶん、マメに取り替えているのだろう。



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