第89話:先生の復讐
ダンの出生の秘密をアレットが暴いた、その翌日。
アレットに抱えられて研究施設から移動してきた先、眼下に魔物の群れがいた。
嫌な予感がしたから降りるよう促す。
魔物達は、こちらに攻撃してこない。
それどころか、降り立ったアレットを見るなり、ひれ伏した。
「おお、魔王リリザレット様!」
などと一番前に出てきたのが、リーダー格だろう。
筋骨隆々の巨体で、頭がナメクジだ。
「……お前、誰ですか?」
名前を知っているという事は、
「あなた様の部下でございます。この街の住民は半分ほどを叩き殺してみせました。あとで下々の者達に調理させましょう。そちらの男は? それも生贄ですね? 魔王様のお手を煩わせるまでもありませぬ。どうぞ私が引き取――」
――ズバァ
アレットは目にも留まらぬ速さでハルバードを一閃する。
「……る……?」
ナメクジ頭の巨体は、緑色の体液を撒き散らし呆気なく倒れ伏した。
続いてアレットは、赤黒いマジックミサイルで辺りの魔物達を焼き尽くす。
「ぜぇ……はぁ……今まで、わたしの何を見てきたのやら。わかってない。まっっっったく、わかってない!! 解釈違いもいいところですね!」
「今殺害した魔物は、住民に伝えたほうがいいでしょう」
「なんでですか?」
「きみと先ほどの魔物が関連付けられているでしょう? きみが虐殺に関与していると印象付ける事で得をする連中がいます。なら、無関係である事を証明しないと」
「なるほど! さすが、わたしの先生!」
* * *
俺の頼みを聞いたアレットは、魔物の死体を幾つも束ねて引きずっていき、民衆の前に掲げる。
怒れる民衆を宥めるのに少しばかり時間を要したが、最終的にはみんな傾聴してくれた。
「皆の者! この街を荒らした不届き者は、わたしが始末しました!」
みんな、その声に、そして掲げられた魔物の死体に目を見張った。
今度のざわめきは、アレットが魔王ではなく自分達の味方なのではと囁く声ばかりだった。
「あなた達は王都へ向かい、庇護を受けるといい! 彼らなら――」
――グジュウウッ
突然の事だった。
太く大きな氷の槍が、アレットの右目を頭蓋骨ごと貫いた。
アレットは両膝で全身を支えながら天を仰ぎ、動かなくなった。
「アレットさん……そんな……!」
どんなに揺さぶっても、瞬きひとつしない。
絶命していた。
俺が油断していたせいだ……。
こんなにも簡単に、きみを死なせてしまった。
きみは、俺の生き甲斐だった。
3年後に、まだきみが俺を愛していてくれているなら、俺はきみと添い遂げようと思っていた。
たとえきみが他の人を愛したとしても、俺は応援するつもりだった。
きみが何者かによって変質させられた事を証明して、不信や偏見から守りたかった。
……すべて、叶わなかった。
耳鳴りが引いて、ざわめきが聞こえてくる。
人だかりをかき分ける誰かが、声を荒げていた。
その声の主は……
「すっこんでろ野次馬ども! 不甲斐ない勇者ちゃんに代わって、この俺が始末してやったんだよ! そこのベソかき野郎も討伐対象だ! 道を開けろオラァ!」
「――ミゼール・ギャベラー!!! お前が、お前がやったのか!」
「あんなに魔物をブチ殺した時ゃ平然としてやがったのに、てめえの身内が死ぬ番になった途端にベソかきやがって、矛盾してねぇかぁ、オイ!? まぁ心配すんなよビロウズくぅん! お前も同じところに送ってやるからよ!」
ミゼールは詠唱の代わりと言わんばかりに罵詈雑言を吐き散らす。
それから間髪入れずに魔術を発動させてきた。
「メテオストライク!!」
空から隕石が幾つも降り注いできて、広場を炎上させた。
今度こそ、民衆は逃げ惑った。
俺は既に、右腕を失っている。
付与術が使えない以上、丸腰では勝ち目がない。
左手にアレットのハルバードを持ち、距離を取る。
この開けた空間では、メテオストライクなどの大技を選択肢に加えられてしまう。
相手の懐に潜り込みながら閉所に誘い込む……今の俺にできるかはわからないが、これが最善策だ。
「こ、の!」
ハルバードという重量級の武器を片手で扱うのだから、十全に性能を発揮できるわけじゃない。
一応これでも身体は鍛えているが、限度というものがある。
「ふらふらじゃねぇかビロウズくん! 腕がオシャカじゃ動きづらいだろうよ! あぁ?」
抵抗虚しく、ミゼールの義手に押し負けた。
仰け反って腹の守りが空いたところへ、容赦ない蹴りが叩き込まれる。
「何とか言ってみろや! ザコ! ほら死ね!! ボケ!! カス!!」
蹴られて、蹴られて、這いつくばって、路地裏に逃げて……
――ドクンッ
何かが、胸の中から右肩に繋がったような気がした。
喩えようのない寒気も、耳の後ろを虫が這うような不快感も、何かを憐れむような誰かの視線も…………
「――ッ」
俺は弾き飛ばされたかのように跳ね起きて、近くの教会らしき建物へと逃げ込んだ。
扉を閉めて、閂を下ろした。
ミゼールはそれを扉ごと破壊して入ってきた。
「俺は、この弱肉強食の中で、優秀でやる気があって従順な奴だけが生き残るべきだと……強者に守られるべきだと、心の底から信じて……生徒を教えてきた……俺も、ずっと、そう教わってきたから、それこそが正しいと思っていた!」
「……」
逃げる。
逃げる。
「だがその結果がこれだ! 手の掛かるゴミの処理を押し付けられ、お前が横から掻っ攫って一流に育て上げちまった! その後も、お前に先輩としての威厳を見せてやろうとするたびに失敗した! 俺はとうとう学院に見捨てられる瀬戸際! 俺一人でお前に挑めってよ!! ぜぇえええええんぶお前のせいだ! クソが!」
俺は逃げる。
ミゼールのアイスジャベリンが壁を崩す。
「仲良しこよしの馴れ合いばかりの緩いお前なんかに一体何ができた!?」
俺は逃げる。
ミゼールのメテオストライクが俺の足元の階段を黒焦げにしていく。
「俺達は間違っちゃいないし能力も上だった筈なのに、どうしてお前なんかの為にあんなに集まるんだ? お前の何が良かったんだ?」
俺は振り向く。
ミゼールのアースクェイクが渡り廊下をズタズタに崩していく。
階下の事務室らしき場所へと、俺は落っこちた。
――ズシンッ
ミゼールも、着地する。
義手を構えているが、何かを撃ち出すつもりだろうか。
「もう逃げ場はねぇぞ!! 受け入れろ、ビロウズ!!」
俺は右腕を隠し、左腕で一枚の紙切れを握った。
「……あ? そんな紙切れ一枚で今更どうしようってんだ? 血文字で詫び状でも書くつもりかァ!? 頭悪すぎて――」
――ジャキンッ
螺旋状に巻くよう魔力を流し込み、硬化させる。
それを、方向付与で飛ばす。
奴の右目の、すぐ手前で止めた。
「――ひいい!?」
……“静止付与”
これで奴の全身の動きを止めていた。
「あ、ぐ、身体が、動かない……!?」
「俺は頼んだ筈だよ。生徒の事を」
「ああ……今になって、ようやくわかった……!」
「何を?」
「そうだよ、いつだってそうだった! お前の近くにはいつだって、助けを求める誰かが都合良く転がってた! そうやってお前は、狡賢く人気取りをしたんだ!」
「……俺がそう仕向けたわけじゃない。助けを求める声は、お前の耳にも届いていた筈なのに」
「うるせぇうるせぇうるせぇ! もしかしたらそいつを助けた結果、もっと多くの犠牲が出るかもしれないって考えたこと無ェのかよ!?」
「無いよ」
「こんな状況になったってのにお前まだ――」
――ガラン、ガラガラガラガシャア
壁を突き破って、誰かが来た。
……信じられない。
俺は、何度も自分の目を疑った。
アンデッドなら戦ったことがたくさんあるから、慣れていた筈なのに。
こんな時、自分の軟弱な精神が情けない。
アレット。
アレット……やはり、きみは人間をやめてしまったんだね。
自らの右目から突き出た氷の槍を引き抜き、床に捨てる。
グジュグジュと音を立てて、アレットの右目は完全に修復された。
とはいえ、眼球は黒くなっていた。
でも、それでもいい。
忌まわしい何かが起こした奇跡だったとしても、俺は……きみの蘇生を心より歓迎したい。
今度こそ、きみを守ってみせる……
不思議と、涙は出なかった。
まるで、俺の魂がそれを予測していたようだった。
アレットは一瞬だけ、俺を見て微笑む。
それからすぐにミゼールを見てニカッと笑った。
ギザギザの牙が口元からよく見える。
「どーもー。ミゼール・ギャベベベベラーさぁん」
「嘘だろ……お前、なんで生きて……」
「あれあれ~? いつものイキり腐った口調はどうしたんですかぁ~? わたしの右目をブチ抜いてくれましたよねぇ? 死ぬほど痛かったんですよ? 完全に殺意ありましたよね? そろそろ、復讐してもいいと思うんです。その権利はわたしにもあるでしょう? もちろん、先生にもね」
確かに、許すことは義務じゃない。謝罪を求めることも、恨み続けることも、誰かから阻まれていいものじゃない。
もう、いいかもしれないな。
「なあお前ら、無実を証明したいんだろ? 殺したら、遠のくぜ? 俺が口利きしてやるからさ、頼むから考え直せ! 同じ教師仲間だろ!?」
対象を決定……ミゼール・ギャベラー――
魔力量調節……――
痛覚神経系への危害対象範囲設定……――
……“痛倍付与”
俺は。
筒状にした紙の槍を。
しっかりと握った。
「さようなら、ミゼール・ギャベラー」
「そんな――」
――ズシュウウウッ
「かッ、あッ!! ひぎっ、ウッ!?」
紙の槍で、ミゼールの右目ごと頭蓋骨を貫く。
紙は瞬く間に血を吸って赤く染まり、質量を帯びる。
肉と脳漿の痙攣する振動が、手を伝わっていた。
――“炎上付与”
ミゼールの死体を焼く。
俺の右腕に付いている黒いネバネバは、外して魔剣の姿に戻した。
代わりに、ミゼールから義手を奪って付けた。
……黒いネバネバが僅かに残っているが、必要な対価だ。
「あーあ。やっちゃった。いいんですかぁ? 正当性を主張するのに、殺人の前科がついちゃいましたよ?」
手を後ろに組んで覗き込んでくるアレットの表情は、不釣り合いなくらい和やかだ。
俺は、答えられなかった。できれば何も言いたくない。
「……」
アレットを、抱きしめる。
「おーよしよし……」
俺の頭を、アレットは撫でてくれた。
よしてくれよ。きみを死なせてしまった俺に、そんな資格なんて無い。
だが……いつまでも沈黙できるほど、現実というのは上手く出来ちゃいなかった。
「ルクレシウス・バロウズ! 我々は国防騎士団実働部隊だ! 貴様は国家反逆罪により、この場で処刑する!!」
外から声が聞こえてくる。
両肩を掴まれる。
振り向けば、アレットは首を傾げて俺を見ていた。
「ほらね。だから言ったんです。結局、人は変わらない。話してわかる事なんて、人は結局わかりあえないという事だけ。だから、先生の邪魔をする奴は、わたしがぜぇんぶ殺してあげる……」
きみはそうやって、得意げに言うけれど。
俺は――




