第二話 異世界転移
――暗闇の中で僅かに何かが揺れた気がした。
意識の底に、徐々に光が差し込んでいく感覚。
それは夢か、記憶か、それとも――。
「……っ……」
俺は差し込む光を迎え入れるように、ゆっくりと瞼を開けた。
最初に視界に映ったのは、見慣れた天井だった。
高く、荘厳な石造りのアーチ。
ここは?などというお決まりのセリフを言うまでもなく、壁にはギルドの紋章が刻まれた旗が揺れ、中央には円形の黒曜石のテーブルが鎮座しているそこは、先ほど俺たちがガチャを引いた《オルディレスト城》の円卓会議室だった。
「……うっ……」
僅かに痛む体をゆっくりと起こすが、何よりも頭が重く感じる。
まるで長い眠りから覚めたような、鈍い感覚が全身を包んでいるような……。
その時。
「……起きたか?」
低く、力強い声が頭に響いた。
声のする方を見やると、そこには――燃え盛るライオンの鬣を持つ屈強な男―――ギルドメンバーの一人であるゴラクZさんが椅子に座ってこちらを心配そうに見ていた。
……だが、彼の顔を見た途端、何かが違うことに違和感を覚えた。
いつも見慣れていたはずの彼の顔。
しかし、やけに鮮明すぎる。
鬣の毛の一本一本はきめ細かく、燃え盛る毛先からは僅かに火花が散っている。
……こんなにグラフィック綺麗だったか?
―――いや、俺の記憶ではこんなに細部までは描画されていなかったはず……。
すると俺がそう感じたことに彼は気づき、再び口を開いた。
「……マスターも気づいたか……?」
その言葉は、俺が目を覚ましたことに対してではないことは明白だった。
ただ、理解はすれど、この事実に俺は納得は出来なかった。
「……あぁ……いや、でも……俺が気絶……? そんなわけ……いや、それよりもなんでまだ―――」
そこまで口にした俺は記憶を辿る。
思い返すのは、虹色の粒子に消えたウィンドウ。
そして、そこから突如途絶えた感覚。
「……これは……サービス終了の演出じゃない、のか? 何かが違うような……」
俺の言葉にゴラクZさんは唸りながらも俺に手を差し伸べる。
「ウム……猫バイトやサクラノヴァは既に目が覚めてこの城を探索している。……マスター。今一度みんなを集めてこの状況を整理しよう」
彼の言葉に俺は深く息を吐き、手を借りながら立ち上がった。
足元はしっかりしていて、既にふらつきはなかった。
……けれど心の奥には、どこか言葉にできないざわめきが渦巻いている。
「……うん。みんなを集めよう……」
何かが起きている。
ただ、それだけがわかる今、俺は会議室の扉を静かに開いた―――。
◆◇◆
数分後――
「おーい! マスター! ゴラクZさ~ん!」
俺がゴラクZさんと会議室の前で待っていると、長い回廊の向こう側から猫耳を揺らしている岩の巨人――猫バイトさんが手を振りながら重厚な音とともに駆け寄ってきた。
そしてその後ろには、黒いローブを翻す骸骨の姿――サクラノヴァさんが、静かについてきているのが見える。
「―――よし。全員、揃ったな」
円卓に戻った俺たちは、再び席に着いた。
景色はついさっきと同じもの。
けれども先ほどまでの談笑とは違い、どこか 空気は重く、静かだった。
「……それで……今のこの現状について、サクさん、何かわかったことは?」
ようやくひねり出した俺の問いに、円卓の向こう側で静かに座っていたサクラノヴァさんがゆっくりと顔を上げた。
黒いローブの奥から覗く骸骨の顔は無表情でありながら、どこか思案の色を帯びていた。
何度も見た顔だった。
けれど―――。
「……いくつか確認できたことがある」
―――そう彼が発したその声を聞いた瞬間、俺は思わず目を見開いた。
それは、確かにサクラノヴァさんの声だった。
けれど――いや、これは違う。
かつて聞いたことのある、あの落ち着いた知性の響きじゃない。
今の声は低く、乾いていて……どこか無機質……。
声帯で発するものとは違い、脳内に直接響くような、そんな……冷たい声。
「……ちょ、ちょっと待ってください、サクさん! ……そ、その声……どうしたんですか?」
当然の如く俺が問いかけると、サクラノヴァは一瞬だけ沈黙し、そしてゆっくりとゴラクZに視線を向ける。
「……ゴラクZ。まだ話してなかったのか?」
俺がゴラクZさんに視線を向けると、彼は炎の鬣を揺らしながら、わずかに肩をすくめた。
「……ウム。マスターにとってはみなが揃ってからの方が伝わりやすかろうと思うてな……」
その仕草は、どこか気まずそうで――何かを隠しているようだった。
「……まったく。いや、まぁそれもそうだな……この点に関しては俺の方が適任だろう……」
そしてサクラノヴァは呆れたようにため息をつく。
何が何やらという状況の俺に対し、目の前の彼は音もなく立ち上がり、そしてローブの袖をゆっくりと持ち上げた。
「こ……れは……?」
そこにあったのは――何度も見た白く乾いた骨。
肉も皮もない、完全な骸骨の腕だった。
けれど、それをわざわざ今見せる必要性がどこに……。
「……俺は、ゲームで骸骨の姿をしていた。だが今は――本当に骸骨になっている」
「―――――――は?」
何を、言っているのだろうか。
言葉が喉に引っかかる。
本当に骸骨?
何を馬鹿なことを……。だって―――。
「そんな……いや、だって、これはゲームで―――っ!」
「―――いいから、触ってみろ。自分の体を」
相変わらず無表情……いや、骸骨であるから表情が変わることはないのだが、それでもあまりにも無機質に感じてしまうほどのサクラノヴァさんの言葉に、納得はできないながらに俺は自分の腕へと手を伸ばし―――気づく。
このゲームは五感を再現していることで有名なゲームだった。
だから当然、肌を触る感触もあれば、人に触ることもできる。
……ただ、このシステムにおいてこのゲームは初期版であることから完全ではなく、モンスターの素材を除いたプレイヤーの肌感は、たとえそれが骸骨の肌であろうが、竜の鱗であろうが、その感触は人の皮膚と変わらないものだったという特徴があった。
……だが、今俺が触れているのは、間違いなくゲームで触れた竜種モンスターの鱗そのものであり、魚の鱗や亀の甲羅のような硬質な触り心地に、息を呑む。
ざらりとした、冷たい鱗……。
「……っ!」
思わず驚いた俺は胸元に手を当て、再び目を見開いた。
――――鼓動がある。
そして、それは一つではなかった。
「……心臓の音が……三つ……?」
「ははっ、そうか。お前は竜種の王だったな。……おめでとう。お前も立派な化け物の仲間入りだよ」
サクラノヴァはそう淡々と告げた。
その言葉に、この事実に俺は、もはやこれがドッキリのようなものではないことを否が応にも理解させられた。
普通の人間に心臓は三つもなく。鱗はないし、内に感じる竜の魂の存在を確かに感じるから……。
「……要するに、これはもうゲームじゃないってことだな。……まぁ今は俺たちはもう“ログインしているゲームにいるわけじゃない"ということだけ一旦呑み込め。……話を続けるぞ」
円卓の空気が、さらに重くなる。
誰もが言葉を失っていた。
いや、既に目が覚めていた二人は話を先に聞いていたのか、もう既に呑み込んでいたのだろう。
そして、サクラノヴァさんだけが淡々と説明を続ける。
「……まずこれが一番重要な点だが……俺たちはログアウトをすることができない。……ステータス表示も、ウィンドウ機能も一切反応しないからだ。……まるでシステムそのものが消えていると思ってくれて構わない」
「……いや~ほんと、訳が分かんないよね……」
サクラノヴァさんの言葉に猫バイトさんが小さく呟き、耳をぴくりと動かす。
その巨体に似合わぬ繊細な反応が、さらに場の緊張を際立たせた。
俺も試しに内心でウィンドウ画面を開こうとするも……しかし何も反応はなかった。
「……だが、幸か不幸か……。仕様は謎だが、かつて自身のインベントリにあったものは、“アイテム”という初期魔法を使えば引き出すことができた。魔法としては初歩中の初歩だが……今のところ唯一、物資を取り出せる手段だ。みんなもできるか試してくれ」
「魔法で……アイテムを?」
俺は眉をひそめながら、ふと思う。
「なぁ、というか未だに信じきったわけじゃないんだけどさ……仮にここがゲームじゃなくて現実だとするなら、元が人間の俺らは魔法なんて使えなくなるのが当然じゃ――――」
俺がそう言いかけた瞬間だった。
「――アイテム」
ゴラクZさんが低く、はっきりと唱えた。
瞬間――その手のひらに小さな赤い薬液が、ぽん、と現れた。
「……はっ?」
「――アイテム!」
驚きに目を見開く俺を置き、続いて猫バイトさんも耳をぴくりと動かしながらそう唱える。
すると彼の手元にも、同じように小瓶が現れ、彼はそれを軽く振ってみせた。
「……っ! マジか……」
俺は言葉を失った。
今しがた目の前で起きたそれは演出でも幻でもない。
確かに、そこに“現れた”のだから。
前を向くと、サクラノヴァさんが無言で俺に目配せする。
その眼窩の奥に灯る僅かな蒼い光が、「試してみろ」と語っていた。
俺は、息を飲み、手を前に出す。
そして、恐る恐る口を開いた。
「……アイテム」
その瞬間、空気が震えたような感覚が走り、そして――。
瞬きよりも僅かな間に、手のひらに小さな青い薬液が現れた。
「……これって……」
俺は震える手でそれを持ち上げる。
当然重さがある。
冷たさも感じる。
ガラスの質感も。
液体の揺れでさえ。
それは……確かにこれが“現実”であることを指し示していた。
「……魔法が使える……のか」
呟いた俺に、サクラノヴァが静かに言う。
「あぁ。他にも多くを試したが……基本的に以前覚えていたモノは問題なく使用できると考えていい。……加えて、このギルドの倉庫にあったものを先ほど猫バイトと確認し、全部あることも確認した。……だが、そのどれもが“データ”ではなく、実体として顕現していた。武器も、防具も、素材も。触れれば質感があり、重さもある。……ただの再現ではなく、完全な物理化。どのようなシステムが干渉しているかは分からないが……あくまで簡易的に取り出せるのは俺たちのインベントリに入っているもののみ、ということだと考えていいだろう」
「ま、要するに――」
と、サクラノヴァさんに続いて猫バイトさんが腕を組みながら言った。
「これは、異世界転移ってやつなんじゃないかって僕は考えてるんだよね~。……今までのゲームの中にいるんじゃなくて、かつてのゲームが現実になった……みたいな?」
「異世界、転移……」
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