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第二十一話 運命の分かれ道




……初めは"恐怖"だった。


人間だと思っていた者が、突如として人の理を外れた姿へと変貌する。

そんな経験はこれまでの人生で一度たりともなかったのだから。

それは強者と剣を交えるよりも、凶暴な魔物と対峙するよりも遥かに本能を揺さぶる恐怖だった。

体が震え、明確に"死"を予感させる空気が背中を伝い、呼吸が思うようにできない。


直接見たことはなかったが、話には聞いたことがあった。

死者の骸を成し、寂れたローブに身を包む大魔法使いの成れの果て――リッチ。

初めて目にする眼窩に宿る光は冷たく、静かで、そして彼が何よりこの世の者ではないのだと強く告げていた。


私は思わず扉まで後退していた。

いや、させられたが正しいのだろうか。


扉まで下がり、数多の経験からか手は剣の柄に添えられていた。

反射的な防衛行動。

騎士としての訓練が私の体をそう動かしていたが、圧倒的な敗北の未来を予感し、どうしても柄を握ろうにも思うようにいかなかった。


私は今日、ここで殺されるかもしれない。

そう思って目の前の存在を見て、次に抱いたのは"納得"だった。


出会った時から感じていた圧倒的なまでの余裕。

城を取り囲むほどの広範囲に広がる皮膚を焼くほどの熱量の中で過ごしているという事実。

遠距離からの対話が可能という聞いたことのない大魔法。

そして、彼から感じていた声の違和感。


これほどの力を持つ者が、ただの人間であるはずがない。

むしろ、そうでなければ説明がつかないと思っていた。

私が追っていた竜をいとも容易く捕らえた挙句に、それをたかが珍しい生き物として見ることができる精神性。


彼が“人外”であることは、もはや当然の帰結だった。


……ただ―――。


私は剣聖として、これまで多くの都市を巡ってきた。

その過程で数多の魔物も見てきた。

人に仇なす者もいれば、人と共に生きる者もいた。


――――だからこそ知っている。

力ある者が必ずしも悪であるとは限らないと。


それは、私がこの身をもって学んできたこと。


私は再度、冷静になって彼を見る。

そこには私を見下ろす骸の冷徹の瞳。

けれどどこか暖かく……。


―――それを見た私が、最後に彼に抱いた感情は――――純粋な"敬意"だった。


恐怖はまだある。

けれど、それを差し置いてすら感じる彼らの圧倒的なまでの圧力に対する尊敬。

恐らく彼らはただ強いだけではないのだろう。

私に問いかけたように、話を理解し、自身の力を誰のために振るうかを選んでいる。


そしてそれは――――――私が目指していた“騎士”の在り方に、どこか似ていた。


だからこそだろう。


私は剣を抜かなかった。


だからこそだろう。


私は頭を下げた。


――この者たちとなら、きっと、腐った王都を変えられる。

そう確信したから―――――。




◆◇◆




目の前の彼女は、静かに頭を下げていた。


その姿は、騎士としての誇りを捨てたものではない。

むしろ、覚悟を示す者のそれだった。

彼女は王都の腐敗を変えるために、己の信念を貫くために――俺たちに、頭を下げたのだ。

そしてそれだけで俺たちは……。


「―――あぁ、その条件を吞もう」


彼女のその言葉に、俺はサクラノヴァさんと顔を見合わせ―――微笑んだ。

……いや、サクラノヴァさんは分かんなかったけど多分微笑んでいる、はず……。

ってそんなことはどうでもよくて。


「……ありがとうございます……って、勿体ぶって悪いんだけど俺の姿はこのままなんだよね……。一応この後ろの二人に対してになるんだけど……いい?」


そう俺が提案すると、しかしソフィアさんは不思議そうに首を傾げた。

……そしてその理由に、俺は後から気が付いた。


「……二人? いや、そちらのリッチは既に―――」


そう彼女がそう口にしたと同時。

炎の鬣を揺らすゴラクZさんが、四つん這いの姿から堂々と立ち上がり前に出る。


「ムゥ……俺もずっとこのままではあったのだがな……しかし四つん這いになるのは本能的なのか悪くなかったぞ?」

「――――んなッ!? か、飼い獣じゃなかったのですか!?」

「あ~~~、そうだった……ごめんゴラクZさん、忘れてた……」


床で座っていた燃える獅子が、唐突に立ち上がり、言葉を話す光景に彼女は目を見開き、思わず一歩後退しようとするも、すでに扉まで後退している事実に気が付かず、頭を打ち付けた。

その反応にゴラクZは少しだけ肩をすくめて言った。


「失礼な……などと言える格好ではなかったからな、致し方ない……どうもお初に、俺がゴラクZだ。……周囲の熱量の件では悪かったな……こちらについては今しがた解決したところだ。すぐに周囲の兵士たちもよくなることだろう」


その言葉に、彼女は口を開けたまま固まっていた。

だが、次の瞬間――。


「ちょっと~!! 僕の登場シーンはまだですか~!!」


いつの間にか指輪を外して、人間姿から岩の巨人へと変貌していた猫バイトさんが両腕をぶんぶん振りながら割り込んできた。

猫耳がぴょこぴょこ跳ねていて、妙に元気だ。


「~~~な、な、な!? 」


そして、彼女は先と同じような驚愕の表情を浮かべる。

その顔はもはや情報過多で処理が追いついていないという表情だった。


「おぉ! いい反応!! どう? かっこいいでしょ!」


その彼女の反応に猫バイトさんが得意げにポーズを決める。

岩の体に猫耳という、どう見ても“かっこいい”の定義から逸脱した存在。

ゆえに。


「こっ、これは……岩……!? ゴーレムでも……いや、それにしては粗雑な……」

「はぁ~~~~~!!?!? 今あんなゴミクズより粗雑って言った!?!? ちょっと!!! サクラノヴァさん!!! 僕この人嫌いなんだけど!!!!!!」


あまりの酷評に猫バイトさんが岩の拳を振り上げながら叫ぶ。

しかし彼女はそれに対して冷静に頭を下げた。


「あぁいや、すまない……私に知識がないばかりに気を悪くさせてしまって……」

「ふん! あとでもっとカッコよく変えてやる~~~!!」


そうして猫バイトさんはぷいっと顔を背けているが、俺はそのやり取りを見ながらも彼女に向き直る。


「……それで、どう? ソフィアさん」


彼女はしばらく沈黙した後、静かに言った。


「……正直、驚いている……」

「あ~、そりゃそうだよね、こんな人外だらけなんて―――」


と、俺が彼女の心境に同意を重ねようとしたとき―――。


「―――いえ、そうではなく……どうしてかは自分でもわからない。……けれど、この状況に少し高揚している自分がいることに、驚いているんだ……」


彼女は確かにそう言った。

俺はその言葉に、思わず口角が上がった。

――そしてこの瞬間、俺は確信した。


「……! そっか。それはよかった。……流石、剣聖の名に恥じない傑物だ」

「……?」


彼女が少しだけ首を傾げる。

そして俺は仲間の元に歩き、再び彼女を見据えて宣言した。


「よーし! では約束通り、俺たちは今から無条件で貴方の指揮下に入るよ! それでいいかな?」


その言葉に彼女は目を見開いた。


「……あ、あぁ、本当に感謝する。……だが、本当にこれだけで良かったのか?」


―――が、彼女が思わず言ってしまったその問いに、場の空気が一変した。

猫バイトさんが「おっ……?」と岩の耳をぴょこぴょこさせ、ゴラクZさんは炎の鬣を揺らしながらニヤリと笑う。

サクラノヴァさんに至ってはローブの裾を静かに払いながら自身の指につけた指輪を確認していた。


「あ~……ソフィアさん……それは言っちゃまずかったかもしれない……ですね」


それを見た俺が苦笑しながら言うと、彼女は少し困惑したように眉を寄せる。


「……? それはどういう……」


だが、その疑問が口を離れるより早く、サクラノヴァが一歩前に出た。


「では、時間もないからもう一つだけ協力してほしい」

「……? あ、あぁ、私にできることならなんでも……」


彼女は真剣な表情で頷いた。

……これが彼女にとっての運命の分かれ道だとは知らず。


そしてサクラノヴァは、眼窩の奥の青い光を揺らしながら言った。


「そうか。それはよかった。では―――――今からこの中の一人を選び、戦ってくれないだろうか?」

「―――――え?」


そして、同盟が無事に決まり、穏やかになった円卓に―――――彼女の声が響いた――――。





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