第十五話 決意
その日、王都の東区はいつも通りの静けさに包まれていた。
白壁に青い屋根、手入れの行き届いた庭には季節の花が咲き、風に揺れる。
中庭の噴水が陽光を受けて煌めき―――そこに位置する王都守護隊の隊舎の窓からは、訓練を終えた隊員たちの笑い声が微かに漏れていた。
そんな穏やかな風景の中、私は隊舎の門を潜る。
「―――戻ったぞ」
隊舎に入り、発した私の声に、一人の青年が慌てた様子で部屋の中から飛び出してきた。
「ソフィア隊長! どうでしたか!?」
廊下の奥から駆け寄ってきたのは、若いながらに優秀な隊員――リュカ。
栗色の髪を揺らしながら、少し汗ばんだ額を拭い、息を整える間もなく私に声をかけてきた彼は最近ここに配属されたにも関わらず、今ではその人懐っこさに誰もが気を許してしまっている。
その瞳は好奇心と尊敬の色を宿していて、まるで小動物のようにまっすぐだった。
私は彼の勢いに少しだけ肩の力を抜き、微笑を浮かべる。
「……うん、とりあえず王は私へ城への調査を一任してくれたよ。……これで第一目標は達成といったところだな!」
そう言いながら私が隊服の襟元を軽く整えると、その言葉を聞いたリュカは目を輝かせて拳を握りしめた。
「そうですか! 流石は剣聖さまですね!」
「こら、その呼び方はこの隊では禁止だぞ? 仰々しくて恥ずかしいんだからな……」
私は眉をひそめながらも、口元は緩んでいた。
リュカは「へへっ」と笑いながら、首をすくめる。
「でもみんなはちゃんと認めてますよ! ……あっ、そうそう! 先日の“竜の厄災”の件で、ルーファスさんが申し訳なさそうにしてましたよ!」
「ルーフが? ルーフは今どこに?」
私は少しだけ表情を引き締め、リュカの肩越しに隊舎の奥を見やる。
リュカは「こっちです!」と手を振りながら、療養室へと案内してくれた。
扉を開けると、窓際のベッドに座っていた赤毛の青年が顔を上げた。
腕には包帯が巻かれ、まだ赤みの残る火傷が痛々しくも、その瞳はしっかりとこちらを向いていた。
「ルーフ、傷はもう大丈夫なのか?」
「隊長……! えぇ。まだ少し火傷の跡が残っていて腕は痛みますが……それでももう剣を振ることはできますよ!」
「……そうか……。今回は私の不手際で……すまなかったな……」
そう口にしながら私は彼の包帯に目を落とし、静かに言葉を紡ぐ。
……私があの時咄嗟に剣で炎を散らせていたのなら……。
―――そう後悔の表情を浮かべて彼の手を握ると、しかしルーファスは慌てて首を振り、手を前に出して制するように言った。
……ただ。
「っ、いえいえ! むしろ僕らのせいで竜を取り逃がしてしまい、申し訳―――」
「―――謝るな。隊の責任はすべて隊長の私にある。……今は気にせずゆっくり傷を癒してくれ」
私は彼の言葉を遮るように肩に手を置き、しっかりと目を見て言った。
それを聞いたルーファスは一瞬だけ目を潤ませ、深く頷いた。
「……ありがとうございます。……ところで、やはり隊長はあの竜を追うのですか?」
「……あぁ。王の証言はもらったからな。あとの懸念は―――」
私は窓の外に視線を向ける。
遠くに見える空の青が、どこか不穏に揺れているように感じた。
「えぇ、隊長の予想が当たっているか、ですね……。にしても竜が人助けなんてあり得ますかね? 話に聞いたこともありませんが……」
ルーファスは包帯を巻いた腕を見つめながら呟いた。
その声には、大きな疑念とわずかな希望が入り混じっているのがわかる。
だがそう思うのも当然だ。
魔獣同士で助け合うというのは聞いたことはあるが、竜というのは伝承の中でも特に群れで行動するという文献はない。
圧倒的な力による誇りと自尊心から単独で行動することを望む……と思っていたのだがな……。
「……そうだな、あくまで憶測の域を出ないが……結果として推定竜が村の住民を助け、襲わなかったことには疑問が残る」
私は腕を組み、思考を巡らせる。
リュカは壁にもたれながら、静かに言葉を継いだ。
「なんか、僕に隊長やルーファスさんほどの力はないですけど……何か異常なことが起きているんじゃないかって、嫌でも考えちゃいますよ……」
「……そうだな……奴を含む者が村を見逃した理由が善意であることを願うばかりだ……」
私は二人の顔を見渡し、少しだけ口元を緩めた。
「さて、そろそろ私らはここを発つ。ルーフ、次に会うときはみんなでご飯に行こうか」
その言葉にリュカは目を輝かせ、ルーファスは嬉しそうに顔を上げた。
「―――っ、はい! 隊長!」
療養室に明るい空気が満ちる。
私はその光景を胸に刻みながら、静かに隊舎を後にした。
―――次に剣を抜く時は、私の敵が誰であろうと必ず隊員を守る。
そう誓うように剣の柄に手を添え、突如現れた謎の城がある《グレイヴミルの森》がある方角を窓から見据える。
「異常……か」
私は先ほどリュカが言った言葉を心の中で反芻し、誰に言うでもなくつぶやいた。
「そんな言葉で推し量れるものなら良かったんだがな……」
王都の隊舎からは《グレイヴミルの森》は遠く、見ることはできない。
―――だが、それでもなおその先にある何かが怒りを持って呼吸しているかのような。
……まさに、来るものすべてを焼き払うかのような圧力を持った空気に……私は何度目かのため息を吐いた。
「隊長? どうかしたんですか?」
「ん? あぁ……なんでもないよ……! 行こうか……!」
……気づけば、震えている自分の手を抑えるように私は強くこぶしを握り締めるしかできなかった――――。
◇◆◇
「……え? 何もしない?」
俺は思わずそう口にしていた。
円卓の上に置いた腕を組み直しながら、サクラノヴァさんの言葉を反芻する。
―――《オルディレスト城》円卓会議室。
黒曜石で造られた五つの椅子が円形の机を囲むように配置されているその四つに俺たちは今、座って今後のことについて会議していた。
「……そうだ。何もしない」
俺の言葉にサクラノヴァさんは再びローブの裾を静かに揺らしながら言った。
骸骨の顔に表情はないが、眼窩の奥に揺れる青い光に僅かな興奮が込められている気がする。
……うん。やっぱりこの無表情にも慣れてしまえばなんのその。
もはや恐怖よりもサクラノヴァさんらしさが感じられるようになってきたし、昔よりもずっと表情は豊かになった気もするな……。
「んで、それはなんで?」
「……簡単な話だ。俺らが動かずとも王都側は調査に来ていたのだろう? であれば今後も待っているだけで、その王国最強と噂される“剣聖”はおのずと現れるだろう。……王国側としては脅威を示した未知のダンジョンを攻略するのに最大戦力を割かない理由はないからな」
「いやダンジョンて……うーん、まぁ確かにそれが合理的だけどさ? でもその剣聖が現れた後は俺たちはどうしたらいいんだ?」
俺の問いに、隣に座る猫バイトさんとゴラクZさんも、彼の答えを知るために頷いた。
―――本来、こうした決定事項はギルドマスターである俺がやるべきなのだろう。
けれどもこのギルドで俺らが全員、ギルドマスターの俺ではなくサクラノヴァさんに意思決定を委ね、それを皆が良しとているのは彼を信頼しているからというのもあるが、厳密にいえばそれだけじゃない。
俺たちがサクラノヴァさんの意見を最優先にしているのは、彼が一番頭が良く、論理的だからだ。
冷静で、誰にも平等で記憶力もよく、そして何より感情に流されない。
それはこの異世界のみならず、ゲームの世界でも俺たちみたいな集団をまとめるには必要不可欠な資質だった。
それぞれが強すぎるからこそ、意見が割れたら収拾がつかなくなる。
……現に、ギルドが出来た当初は何回かの衝突もあった……。
だから俺たちはそれを防ぐために、あらかじめ「最終判断はサクラノヴァに委ねる」ってルールを決めている。
当然、個人の意見を言うことはある。
それでも、最終的にどう動くかは必ず彼の判断に従う――それが俺たち【ネクサス・レグリア】として規律だから。
「ウヌ……待つだけってのは性に合わんが……しかし俺が外に出るわけにもいかんしなぁ……」
サクラノヴァさんが今後のことを考えている中、ゴラクZさんは炎の鬣を揺らしながら低く唸る。
だが、すぐに思考を纏めた彼はそんな不安そうな俺らに対し、冷静に言葉を重ねる。
「……まず、武力での制圧はナシだ。……城がある領地である国とは良い関係を築いていきたいからな」
「それは確かに~! あっ、でも今更できるかな~? ほら、無意識とはいえ僕らって兵士たちを何人か負傷させてるっぽいし?」
「ウゥム……それは申し訳ない……」
「あぁいやっ! ゴラクZさんを攻めてるわけじゃなくて!! ごめんよ~~!」
と、自らの失言に岩の腕をぶんぶん振りながら猫バイトさんが必死に弁解し、ゴラクZさんはわざとらしく笑みを浮かべた。
その光景を見ながら俺はあることを思った。
「なぁ、面白そうな案が一個あるんだけどさ……やる?」
―――俺らは異世界にいる。
けれども、そこには仲間がいて。
「え~! なにそれ聞きたい聞きたい!!」
前とは変わらない日常がある。
「ホウ? マスターが考えることはいつも面白いからな……俺も興味がある」
きっと、彼らがいなければ俺はここにいることに耐えられなかったと思うし……多分、みんなも同じ気持ちだと思う。
「……ふん、話だけは聞こうか……ほら、もったいぶらずに早く話せ」
「まぁまぁ急かすなって!」
サクラノヴァさんの言葉とともに円卓に笑みが伝播する。
―――だから。
「まずはさ――――」
―――俺は必ずこの仲間達を護ろうと思った。
このギルドのマスターとして。
一人の仲間として。
ただもし。
もし、それを阻む者が現れるのなら、俺は――――。
俺は必ずそいつを許さないだろう―――――。
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