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第十四話 剣聖




王城《グラン=マギステリア》。

その最奥に位置する玉座の間には再び重く沈んだ空気が満ちていた。


「……なに? 第九から第十二までの守護隊が、全壊……だと?」


そう語る老齢な王の声は低く、しかしその一言が玉座の間の温度を一段下げたような冷気を帯びていた。

報告を受けた近衛騎士たちもまた、そのあまりにも信じられない事実に無言で視線を交わす。


「……はっ。城の周囲を異常なまでの熱気が取り囲んでおりまして……我らが部隊を含め、一定距離に近づいた途端に火傷を引き起こすほどの熱が襲い掛かっている状況です……」


そう告げるのは、王の前で跪く男―――王都守護第七番隊隊長のレイヴ=タイバーだった。

レイヴは自身が発している言葉の可笑しさに気づきつつも、事実であることに畏怖を覚えていた。

やがて王はしばらく唸ったのち、近くの近衛兵に命を下す。


「……ふむ。最早選り好みをしている余裕はない、か……では、城の警備にあたっている第五以下の王都守護隊を―――すべて向かわせよ!」

「―――っ!?」


王のその言葉にレイヴは、正気か!?という言葉を必死に飲み込んだ。

しかしその驚きの矛先は、決して守護隊の身を案じているわけではない。

彼の思いはその逆―――。


(そこまでの戦力を動員するだと……!? 戦争でも起こすつもりか……!?)


王都守護第七番隊に位置する彼の実力は言うまでもなく、王都でも選りすぐりである。

しかし、この王都 《サルトルーク》には、レイヴよりも更に上に位置する守護隊―――それぞれに異名がついた部隊がいる。

……いや、正確に言えば部隊とは名ばかりの人外が五人、か。


そんな途轍もない戦力を注ぎ込むに値することに、レイヴは恐れを抱いた。

だが――その時だった。


玉座の間に響いたその声を、レイヴは耳で聞くより先に肌で感じた。


「―――その必要はありません、陛下」


凛とした澄んだ声。

……だがそこに宿る、まるで剣の刃先のような鋭さと冷たさに、レイヴは思わず振り返った。

扉の前に立つその姿を見た瞬間……背筋が凍る。


初めて見たわけではない。

何度も何度も会議にて顔を合わせることはある。

しかし、彼女の銀色の軍装に映る自らの姿はいつだって怯えた表情をしている。

それはつまり、本能的に自分が彼女に対して恐れを抱いているということ。


「―――ソフィア=グレイス、か……」


王もまた驚いた表情で彼女の名を呼ぶ。


ソフィア=グレイス。


王国が誇る最強の剣士にして、その高い実力から剣聖とまで呼ばれる存在。

当然その名を知らぬ者は王都にはいない。

この国において、圧倒的な知名度と実力を誇る彼女は、唯一、王と対等に話すことができる人物でもある。

だが……そんな彼女がなぜここに!?

と、そんなレイヴの疑問を同様に感じた王もまた彼女に問いかけた。


「……貴様には北方にある竜の討伐を命じていた筈だが?」


その言葉に騎士たちの背筋が一斉に伸びる。

そして、その問いに対して玉座の間の奥、漆黒の大理石の上を銀髪の女は静かに踏み出した。

彼女の足音が部屋に響くたび、騎士たちは無意識に息を呑む。

その圧は、言葉よりも雄弁に彼女の格を物語っていた。


「……確かに命は受けました。ですが、そこで予想外の事態が発生しました」


王はその姿を見据えながら、眉をわずかに動かす。


「……貴様ほどの人物が予想外と? ……申してみよ」


王のその言葉に彼女は目を伏せず、王の視線を正面から受け止める。


「……先刻、竜の討伐に向かった我が隊は、竜と見られる紅き体表を持つ魔物との接触直後、攻撃を受け……隊が痛手を負いました。灼熱の魔力を纏ったその竜は、通常の魔獣とは一線を画す存在。我が隊の精鋭であっても、接近すら困難なほどの熱圧に晒されました」


彼女の言葉に、王の御前で未だに膝をつくレイヴ=タイバーがわずかに肩を震わせる。

彼の額には汗が滲み、拳を握りしめていた。


(……あのソフィアの隊が、痛手を……? それに熱気といえばあの……?)


「してその後……不可思議なことが起きました」

「不可思議、だと?」

「隊が後退する中、私は魔物にも僅かな痛手を負わせましたが……その後、竜は炎を撒き散らし逃走。向かった先は王都近郊の村――《エルメリア》。当然我が隊は再度編隊し、即座に追跡を開始しましたが……到着した時には、既にその竜の痕跡は消えておりました」


王は指先を軽く動かし、沈黙のまま思考を巡らせており、やがて口を開いた。


「……消えた? 魔物が倒されたというわけではないのか?」

「……その可能性はあります。ですが断定はできません」

「ふむ、それはなぜだ?」


ソフィアはわずかに視線を落とし、報告書の一部を思い返すように言葉を紡ぐ。


「……村の住民によると、我が隊が到着する前日に、王都の兵士を名乗る二名の男が訪れてきたとの報告がありました。彼らは王都守護隊の所属を主張していましたが、記録にはこの村に寄っている隊は存在しませんでした」


レイヴが目を見開く。

その情報は、彼にとっても初耳だった。


「……しかし、村の報告にあった竜の住処は既にもぬけの殻。そこに残されていたのは、焼け焦げた森と、空へ向かって抉られたような飛翔の痕跡。……それに、洞窟には二名ほどの死体がありましたが、特定は困難なほど体は損傷……あの魔物が彼らを殺した後に空を飛んだ可能性もありますが―――私は、何者かがあの竜を連れ去った可能性が高いと判断しております」


王は深く息を吐き、玉座の背もたれに身を預ける。

その目は、ソフィアの言葉の真意を探るように鋭く光っていた。


「して、その者があの城にいると?」


ソフィアは頷く。


「……ここに来る道中、竜のような影が空を翔ける姿を見ました。方角からしてそう考えるのが妥当かと」


玉座の間が静まり返る。

騎士たちは誰も言葉を発せず、ただその場に立ち尽くしていた。


王はしばし沈黙ののち、低く、しかし確かな声で告げた。


「……よかろう。では、未開の城の調査はソフィア=グレイス。貴様に一任する」


その言葉を聞くやソフィアは一礼し、すぐに背を向けこの部屋を後にした。

そしてレイヴはその背を見送りながら、心の奥底で呟いた。


(……城に竜、だと……? ふざけるな! 勝てるわけがないだろう!?)


だが、頭ではそう考えているものの、王都守護隊の隊長としての矜持が彼の足を止めることはなかった。

感情を押し殺し、背筋を伸ばして玉座の間を後にする――それが、彼にできる唯一の忠義だった。


そして王と兵士だけが残る玉座の間の中心――王の周囲には……冷たい怒気が立ち込めていた。


「……あの女……剣聖だと言われているだけで余と対等に話しおるとは……! たかが力のある平民如きが由緒正しき王族の血を継ぐ我に不遜な態度……!」


王は低く、しかし明確に不快を滲ませた声で呟いた。

その手は肘掛けを握りしめ、指先が白くなるほど力が込められている。

そして、目に怒りと屈辱を浮かべた王は、何もない空間に向け、言葉を発した。


「……おい、シェイド。……来い」


―――その一言が放たれた瞬間。


「はっ……王都守護二番隊長のシェイド、ここに」


どこからともなく、黒い影が現れた。

まるで空間の裂け目から滲み出るように現れた男は、漆黒のマントに身を包み、顔の半分を覆う仮面をつけ、王を見据えている。

その瞳は闇に慣れた獣のように鋭く―――冷たい。

だが王はそれを意に介することなく、淡々と告げた。


「……あの生意気な女を竜の仕業に見せかけて殺せ」

「……御意」


そして、その言葉を最後に玉座の間は完全な静寂に包まれた。

玉座の間の灯火がわずかに揺れる。


その炎は、まるで何かを予感するかのように――――細く震えていた―――――。




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