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第3話 胸のモヤモヤが治まらないわ

『マユー、暗いぞー』

『暗いー』


 ロワネスクにあるフォンティーヌ邸の離れの塔。そのすぐそばの庭で、ヘレンの焼き菓子をむしゃむしゃと食べていたスコルとハティが、ふと顔を上げた。

「あ、ごめんね」

と言い、二人の頭をワシャワシャと撫でる。


 今日は一週間後の実技試験に向けてクロエと練習していたから、学院から帰ってくるのがいつもより遅かった。

 だから夕飯後、夜になって辺りが真っ暗になってから、二人を召喚したんだけど。

 ボケーッと東の空ギリギリにある下弦の月を眺めたまま私が何にも喋らないものだから、心配になったんだね。


「ちょっとねー、雲行きが悪くって」

『クモユキ?』

『……って、ナニ?』

「先の見通し、ってことね」

『見通しー?』


 無邪気にわらわらと懐いてくる二人の頭を撫で、無理に笑顔を作った。

 愚痴ったところでどうにもならないって、分かってるから。



   * * *



 脳裏に蘇るのは、魔導士学院から出てきたディオン様の姿。

 近衛武官と共に現れた彼は、いつもの無表情ではなくどこか苦し気というか、切なげというか……平たく言うと、男っぽい顔をしていた。


 ――『兄上だって男だぞ』というシャルル様の言葉がよぎった。


 だから理由は、すぐに思い当たった。

 魔法実技場に行くと、誰かが使用していた跡が残っていたから。暖炉の火は消えたばかりらしく、レンガがほのかに暖かい。


「ああ、確か私の前にアンディが使用許可を取っていたわ」


 私が何となく気になって暖炉に触れていると、それに気づいたクロエがそう教えてくれた。


「アンディ・カルム?」

「そう。ミーア・レグナンドとペアを組んだはずよ、確か。二人で練習していたんじゃないかしら?」

「そう……」


 ということは、アンディとミーアが練習しているところをディオン様が覗きに来た、というところかしらね。こんなところまで足を延ばすなんて、意外だけど。

 凄く、嫌な予感がした。思わず眉間に皺が寄る。


 ふと、暖炉のすぐ横の地面に、何かが落ちていることに気づいた。

 拾ってみると、手の平に収まるぐらいの小さな箱――魔燈。暖炉に火を灯すのに使ったのだろう。

 と、いうことは……?


 そのとき、急に魔法実技場の入口の方からバタバタという足音が聞こえてきた。驚いて振り返ると、はあはあと息を切らしたミーアが現れる。


「あっ!」


 ミーアは私とクロエの姿を見るとビクッと肩を震わせた。慌てて制服を裾を掴み、恭しく頭を下げる。


「も、申し訳ありません! お騒がせしてしまいまして」

「それはいいけど、どうしたの?」


 自分たちの実技内容を探りに来たんならただじゃおかないわよ、とでも思ったのか、クロエが珍しく厳しめの口調でミーアを問い詰める。

 本来、魔法実技場は許可された時間以外に近づくことは禁じられている。危険な技を練習していたり、極秘の魔法を試していたりすることがあるからだ。


 クロエの圧に押されたのか、ミーアの視線がおどおどと泳ぐ。


「あ、あの、忘れ物を……」

「……ああ、ひょっとしてこれかしら?」


 ミーアに悪気は無さそうなので、なるべく優しい口調で話しかける。手に持った小箱を見せると、ミーアは「あ!」というような顔をした。


「そうです! 本当に申し訳ありません!」


 ミーアはガバッと頭を下げると、「失礼します」と一声かけて講義場を駆け下りてきた。

 誰も入っていいとは言ってないけど。でも私の方からわざわざ届けてあげるのも変だし、まぁいいか。


 魔道具『魔燈』は魔道具の中ではそう珍しくはないが、誰もが手に入れられるものではない。

 炎の模精魔法を使うミーアにとっては、失くしてしまったら練習にならない。確かに大事だろう。


「はい、どうぞ」


 思えばこんな近くで顔を合わせるのは初めてかもしれない、と思いながらミーアの小さな右手の手の平に載せる。

 ありがとうございます、と言いながら受け取るミーアの顔は、やや紅潮し強張っていた。走ってきたのもあるけど、少し緊張しているのかもしれない。


「きっ、規則を破ってしまって、申し訳ありませんでした。ま、魔燈マッチを失くした、と思ったら居ても立っても、いられなくて……」

「……そう」


 つっかえながら喋るミーアにあくまで朗らかに対応したけれど、着々とディオン様を攻略しているのかと思うと心穏やかではいられない。

 目の前にいるミーアは本当に華奢で可愛くて、さすがこのゲームのヒロインだな、と思う。


 ミーアが胸を押さえ、ふう、と溜息をつく。その動きに合わせ、右耳の桃水晶のイヤリングがゆらゆら揺れていた。

 確か、元の世界では

「男性は揺れるものに目が行く習性があるので、可愛いモテ女子になりたければ揺れるイヤリングを身に付けるとよい」

とか言っていた気がする。

 この世界でも通用するのかもしれないわね。まぁ確かに、ミーアに良く似合ってるし、可愛らしいもの。


 あの鉄仮面のディオン様の表情をあれだけ崩れさせるんだもの、ミーアは確実にディオン様の気を惹いているのだろう。


 いいわよね、ヒロインは。自由に好きな人を選べて。

 上手くやれば、途中でどれだけ辛い思いをしようが、最後は報われるって決まってるんだもの。


 本当だったら、私だって別にミーアの恋路を邪魔したくはないわよ。だってディオン様と結婚したい訳じゃないんだもん。お幸せに、と手を振って放り投げてしまいたいわよ。


 だけどこの世界で生きていくためには、私はディオン様の婚約者を降りる訳にいかない。兄のガンディス子爵が学院への入学に協力してくれたのも、父のフォンティーヌ公爵がそれを黙認してくれたのも、すべては私を未来の大公妃にするためなんだから。

 もう、この道以外は選べない。


 ううん、最初から私には選択肢なんて無かった。

 パルシアンの黒い家(リーベン・ヴィラ)から外に出ても、私は結局堅く冷たい檻に囚われている。



   * * *



「マユ様。魔導ランプが消えかかっていますよ」


 アイーダ女史の声で、我に返る。

 気が付けば、テーブルに置いてあった魔導ランプがチカチカと点滅していた。

 チューリップのようなガラスの手燭灯ランプを片手に、アイーダ女史が塔からゆっくりと歩いてくる。女史の動きに合わせ炎がゆらゆらと揺れ、独特の香りが中庭を包んでいた。

 コトリ、とその美しいランプがテーブルに置かれる。柔らかなオレンジの炎の明かりがふんわりと広がる。


 魔導ランプは火事の心配もないし光量も調節できてとても便利。

 ……だけど、天然油を使った手燭灯ランプの持つあたたかみには敵わないわね。落ち込んでいた心が癒されるようだわ。


「コアが少し傷んでいるようですね。代わりにこちらをお使いください」

「ありがとう。うっかりしてたな……。あ、二人はひょっとしてコレが暗いって言ってた?」

『違うー』

『マユが何か凹んでるからよぉ』

「ふふふ、ごめんね」


 私たちのやりとりにアイーダ女史は一瞬頬を緩ませたものの、ぴしっといつもの表情に戻る。


「とはいえ、もう夜も更けてきました。そろそろ中にお入りになってくださいね」

「……うん」

『あ、待って、アイチャン!』


 ハティが急に何かを思い出したようにバタバタしだした。『エート、エート』と言いながらクワッと牙を剥きだす。

 その途端、宙から布切れのようなものがふわっと降ってきた。鼻先でそれを受け止めたハティが、ハイ、とでも言うようにアイーダ女史へと差し出す。


『これ、あげる』

「この端切れがどうかしたのですか?」

『密猟、食いちぎった』

「えっ!?」


 ハティとスコルにはワイズ王国領の森林にも足を延ばしてもらい、密猟犯がいないか調べてくれとお願いしてあった。

 まさかその密猟犯を食い殺したのかとギョッとすると、スコルが

『違う、違う!』

と割って入る。


『夜に変な動きをしている人間たちを見つけて、ハティが吠えて追い返そうとしたらしいんだけど』

「それで?」

『ホワイトウルフの子供が生け捕りにされて攫われそうになってたからさ。袋を噛みちぎって助けたんだってさ』


 これはそのとき噛みちぎった布切れ、ということらしい。よく見ると白い毛が付いているし、ほのかに魔精力が残っている。何かの証拠になるかとそのまま大事に取っておいてくれたのだそうだ。

 前に突然宙から鞍を出したように、ハティは自分の持ち物をロッカーのように魔界に保管しておくことができて、必要に応じて出し入れができるらしい。


「お手柄だったね、ハティ!」

『エヘヘ』

「――これは……!」


 ランプの明かりで布切れを調べていたアイーダ女史は、急に驚いたように声を上げた。


「ん? 何かわかったの?」

「……はい。ですが、迂闊なことは言えませんのでわたくしの方で預からせて頂いてもよろしいですか?」

「それは……いいよね? ハティ」

『ウン!』

「フォンティーヌ隊は、今も密猟犯を追ってるのよね?」

「ええ。明日にでも、ガンディス子爵に約束を取り付けたいと思います」


 そう言うと、アイーダ女史は布切れを大事にそうにハンカチで包み、塔へと足を向けた。しかし途中で振り返り、

「先ほども言いましたが、もうそろそろお開きにしてくださいませ」

と私たちに声をかける。


「うん」

『アイチャン、バイバーイ!』

『バイ、バイ』


 元気なスコルと最近ようやく挨拶を覚えたハティの声に、アイーダ女史が律義に頭を下げた。


「密猟犯が夜に動くとは思わなかったわ」

『魔物は夜の方が凶暴だってのに、いい度胸してるよな。どうやら昼間のうちに罠を張ってたらしいんだ』

『危なかったの』

「ホワイトウルフの子供を生け捕りにしてどうする気なのかしら……」

『繁殖でもさせるんじゃねぇの?』

「そんなブリーダーみたいなこと……まぁ、あり得るわね」


 ホワイトウルフが激減したのなら、その価値はますます上がる。

 手元で殖やせば確かにボロ儲けね。


「ねぇ、小さいとは言えホワイトウルフ、魔物でしょ。人が飼うことなんてできるの?」

『んー……多分、無理』

『そのうち食われて終わりだな』

「ひぃっ! じゃあ、ハティは人も魔物もどっちも助けたのね」

『ウン!』

『バカだよな、人間はー』


 人間と魔物は相容れない。

 人間を蹂躙し、魔物を従えられるのは『魔王』だけ。

 人間を守護し、魔物と話ができるのは『聖女』だけ。


「……大公殿下のお告げはやっぱり正しかったんでしょうね」

『お告げ?』

「そう。“遠くない未来、魔王が目覚める。しかしわれら人間の元には若き聖なる者が舞い降りるだろう”ってね」

『魔王、怖いかなー』

『んー、じぃちゃんの顔も怖いしなー』

「怖いんだ、アッシメニアの顔って……」


 クスクス笑っていると、塔から顔を出したアイーダ女史が

「マユ様! お時間ですよ!」

と我慢しきれない様子で叫んだ。

「わかった!」

と返事をし、スタンドランプを持って立ち上がる。


「ハティとスコルもお疲れさま。ありがとうね」

『ウン!』

『またな!』


 おやすみ、と声をかけて手を振ると、二人の姿がポヒュンと消えた。

 残されたのは、藍色の空に浮かぶ舟のような半月だけ。


 ミーアのことをあれこれ考えても仕方がない。

 ハティとスコルのおかげで、魔界のことや魔物のこと、私だけが知っていることはたくさんある。

 この世界を救う『聖なる者』になるのは、私よ。


 そう心に決めて見上げる下弦の月は、気のせいかさっきよりずっと大きく、輝いて見えた。

 だけどその光はあまりにも強く眩しすぎて――私の背後にも心の中にも、濃く暗い影を落としていた。

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