第1話 お城の舞踏会ですって!
クォンとハティ達の初顔合わせから、十日近く経った。
私はと言うと、日中はみっちり授業を受けてたまにクリスと話をしたり、昼休みは図書館に行ってときどきクロエとお喋りをしたり、休み時間は近衛武官にいろいろな話を聞いたり……と、孤独だった最初の一カ月と比べれば、それなりに楽しく過ごした。
ミーア・レグナンドは落とし穴に落とされたあと、何かを吹っ切ったように積極的に動き始めた。
私が見かけた時はいつも、貴族の子息達と一緒にいる。そのせいで他の貴族令嬢の反感を買っていたけど、そのバリケードのおかげかケガをしたり物を壊されたりといった実害は無くなったようだ。
感心するのは、いつも決まった青年と一緒にいる訳ではない、ということ。日によって時間帯によって違うのだ。誰とでも明るく朗らかに接しているが、特定の恋人などはいないようだ。
強いて言うなら、子爵子息のアンディ・カルムか伯爵子息のベン・ヘイマーと一緒にいることが多いけど。
でもこれは、彼らがこのゲームでのミーアの攻略対象であり、ミーアと何らかのイベントがあるからよね、きっと。何しろモブキャラとは違って人目を引く容姿をしてるんだもの。
……となると、ミーアはアンディとベンを天秤にかけているのかしら。それともシャルル様かディオン様、いわゆる大公子ルートに進もうとしてる?
シャルル様ならいいんだけど……いやそもそも、婚約者の私がいるのに『ディオンルート』なるものは本当に存在するのかしら?
そこもよくわからないのよね。どうして私は自分の知らないゲーム世界に来ちゃったんだろう、本当に。
市井および聖者学院内も調査していると思われるセルフィスにその辺の情報を貰いたかったんだけど、彼は頑として口を割らない。
「マユはそのまま、堂々としていれば大丈夫ですよ」
という、何とも大雑把な励まししかしてくれなかった。
相変わらず2m以上近づいてこないし、学院に入る前より心の距離が遠ざかったようで少し寂しい。
こんなことを言うと、
「マユはもう16歳でしょう? 子供ではないのですから」
と馬鹿にされそうだわ。だから言わないけど。
大人だから、子供だから、とかじゃないんだけどなあ。でも、どうやって説明すればいいんだろう?
* * *
“皆様、集まりましたね”
聖者学院の大講堂に、大公世子ディオンの声が響き渡る。思わずビクッとして辺りを見回したけれど、みな平然とした顔をしていた。
どうやらマイク的な魔道具を使って声を全体に届けているようだ。
入学式から一カ月半、ディオン様が久しぶりに学院生の前に姿を現した。1時間目が休講になり、大講堂に全学院生が集められたのだ。
前列には上流貴族八家。二人掛けのゆったりとしたソファが四つ並んでいて、私とクロエ、ベンとクリス、それとH4の面々が二人ずつに分かれて座っている。
その後ろは高さ1mぐらいの衝立を挟んで、下流貴族の席。木でできた簡素な椅子がズラーっと並んでいて、そこにぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
クロエも言っていたけれど、ここまで差をつけなくてもいいのにな、とは思う。
ただ私としては、クロエと一緒なので安心できたのだけど。ちょっとぐらいなら話をしても大丈夫そうだし。
ちなみにクォンちゃんは、特別魔法科に置いてある鞄の瓶の中で、静かにしているはず。
最近は首の後ろに張り付けておけば髪の毛で隠れて見えないのでそこが定位置だったんだけど、さすがにこんなに人が大勢いるとびっくりして暴れちゃうかもしれないし。
とは言え、早く終わらないかしら……瓶の中に閉じ込めておくのも、限界があるのよね。
正面の私達に向かい合うように置かれた立派な机の前にはディオン様が座っていて、少し離れた場所にこれまた立派な椅子に座ったシャルル様がいる。
私の場合シャルル様とは一日一回は必ず会うけれど、他の学院生は入学式以来一度も姿を見ていないのでかなりザワザワしていた。
“――本日は、大事なお知らせがあります”
ディオン様の一声で、講堂内は水を打ったように静まり返った。
一通り辺りを見回したディオン様が、言葉を続ける。
“この学院が開校してから、一カ月半が経ちました。約半分といったところですね。そろそろ、皆さんの修行の成果も現れ始めたことと思います”
まぁねー。私も、複合魔法がだいぶん形になってきたもの。
今は水と風を使って氷魔法に挑戦しているところ。原理は……とと、それはどうでもいいわね。
“来月に入ったら、学院長であるわたし、ディオンと弟のシャルルで皆さんの授業の様子を見て回りたいと考えています”
へっ!? それって、授業見学!?
驚いて目を見開いていると、講堂内も一斉にザワザワし始めた。
私の隣にいたクロエが
「まぁ、確かに。途中経過で、ある程度は絞る必要があるでしょうね」
と呟き頷いている。
「絞る……」
「最終的には大掛かりな『聖なる者』の選抜試験があるけれど、学院生全員を参加させる訳にはいかないでしょう。まぁ、一次選考といったところかしら」
「なるほど……」
入学してから分かったんだけど、ここにきた下流貴族は全員が全員『聖なる者』を目指している訳ではない。
上流貴族やシャルル様に見初められないか、と期待している人たちがいて、これは男性も例外ではない。現在の上流貴族八家には五人も令嬢がいるため、婿に入りたい、何なら愛人でも、ということらしい。
一方、高望みはしません、と下流貴族同士で結婚相手を探している人もいる。貴族令嬢は貴族としか結婚できないので、生涯未婚率が高いそうなの。だからかなり必死らしい。
これら婚活組が8割を占めるという。さすが恋愛ゲームだわ。
勿論、真剣に修行のために来ている人たちもいるわよ。通常、魔導士学院を卒業した下流貴族は聖女騎士団に入団するんだけど、リンドブロム聖者学院に入学できた人間と言うのは、いわば魔導士としてはエリート。ここでの成績次第では、最初から幹部候補生として入団できるらしい。
つまり、ディオン様とシャルル様が授業見学に来るというのは、『聖なる者』を目指す人間、婚活を頑張りたい人間、エリート幹部を目指す人間、全員にとって重要なことなのだ。
でもその場合、私の魔法実技の授業はどうなるのかしら?
シャルル様も授業見学をするとなると、私に付き合ってもらえなくなるのよね。今のところ、私は他の科での魔法の披露を禁じられてるし。
うーん、私は真剣に『聖なる者』を目指しているのだけど。ディオン様の婚約者だからと言ってここで外されるのは非常に困るわ。
“そこで、授業見学に先立ち学院生と顔を合わせる場を設けたいと考えています”
ディオン様の言葉に、再びシーンと静まり返る大講堂。
“二週間後、リンドブロム大公宮でわたしの誕生日パーティが開かれます。その場に聖者学院の生徒の皆さんをご招待します”
一瞬だけ間が開いた後、ワアッという声が大講堂に広がった。飛び跳ねている人でもいるのか、講堂全体が微妙に揺れている気がする。
「キャーッ」
「嘘ー!」
「本当に!?」
という悲鳴みたいな声すら下流貴族席から飛んできた。
上流貴族の方々はと言うと、それらの騒ぎにやや渋い顔をしているものの、パーティについては大賛成らしい。H4は意味ありげにお互い目配せをしているし、ベンとクリスもこそこそと何かを話していた。
誕生日、パーティ? それっていわゆる貴族社会での夜会、舞踏会ってやつ?
何と! 婚活に来ている子息令嬢が殆どという話だったけど、まさかディオン様がそんな粋な計らいをするとはね!
いや、それはやはり、ここがゲーム世界だからかしら? 学園物とはいえそういうイベントが無いと華が無いものね。
「まぁ、悪くはないわね」
クロエがボソッと呟いた。
「ここのところずっと忙しかったのだけど、ようやく落ち着いてきたし。全然物色できてなかったからそろそろ候補を決めないと、とは思っていたの」
「クロエもなのね……」
「ええ。私の邪魔をしない、おとなしい可愛い子がいいわね」
さすがクロエ姐さん、婚活もテキパキこなす予定らしい。
だけど、私はどういうモチベーションで参加したらいいのかしら? ミーアを見張るために参加するの?
あ、でも、ディオン様の婚約者だからこそ、変な真似はできないわよね。誰よりも美しく優雅に振舞わなければ、付け入る隙を与えるのだもの。
そうね、完璧な令嬢を演じる、これを目標に頑張るしかないわ。
“静かにしてください”
ディオン様がややしかめっ面で注意する。その言葉に、またもや大講堂はピタッと音が無くなった。
“よって、明日からパーティ前日までの間、5時間目に『舞踏・礼儀作法』の授業を設けます。この大講堂で行いますので、まだ社交界にデビューしていない生徒は必ず参加してください”
え、それって私もよね?
ギョッとして顔を上げると、その気配に気づいたのか、バシッとディオン様と目が合った。
しかし右の眉をやや上げたあとすぐに目を逸らし、真っすぐ奥の学院生の方に視線を移してしまう。
“教師の合格が出れば、それ以上参加する必要はありません。最終日までに合格できなければパーティには参加できませんので、そのつもりでいてください。大公宮で開く以上、最低限のマナーは身につけて頂きたいので”
うわ、嫌味ー。デビュー前の下流貴族をビビらせてどうするのよ。
さっきの目配せにしてもそうよね。
「あなた、分かってますよね? わたしに恥をかかせないでくださいよ」
って感じの顔だったわ、あれは。
ちゃーんと分かってますわよ、あなたの婚約者として立派に務めを果たしてみせますわ。
「……マリアン、ディオン様と何かあったの?」
私たちの目と目の会話に何かを感じたのか、クロエがこそっと耳打ちする。
「何にもないわ。そもそも個人的に会話をしたことがないんだから」
「ええっ? 一度も?」
「ええ」
「そんなことでいいの?」
「今は学院長と一生徒なんだから、いいんじゃないかしら」
「そういうことじゃないんだけど……」
クロエはそう呟いたものの、ふっと肩をすくめた。
「まぁ、いいわ。今はマリアンの社交界デビューの方が大事よね」
「ええ」
「何かあれば相談してちょうだい。力になるわ」
「ありがとう、クロエ」
以前の私なら一人ぼっちで内心オロオロしていたところだけど、今はクロエがいるから心強い。
それに練習なら黒い家でも徹底的にやったわ。初日でさっさと合格して、後は家でみっちりとアイーダ女史やヘレンと作戦会議をしないと。
そんな訳で、第9章は舞踏会編よ。優雅に華麗に頑張るわ!




