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男神の回顧録13・男神の油断【第12幕下】

 わたしが『影』で立っていたすぐそばの扉が、勢いよく開く。

 しまった、アイーダ女史とヘレンだ。気配に気づくのが遅れた。

 咄嗟に『影』を解除する。その瞬間、視界は魔界の真っ黒な宙に切り替わった――のだが。


「ふっ……んううううううー!」


 突然、魔王の身体に戻った『影』が肉体に残っていたわたし本体を刺激し、辺りに魔精力が溢れかえる。

 抑えようとしたが、無理が祟った身体では無理だった。全身から龍が舞い上がるように立ち昇り、あっという間に魔界の宙を金と銀に染めた。


「しまっ……た……っ!」


 これまでひたすら隠していた『魔王復活』の事実。わたしの意識が無い時はムーンに結界を張ってもらうことで対処していたが、今は傍にいない。

 魔精力を押し留める術はなく、後から後から溢れかえる。


 そもそも魔王がこれほどの魔精力を蓄えられるのは、強靭な肉体があってこそ。しかもいまはわたしの神力もあり、その勢いは初代魔王の比ではない。

 しかし女神プリーベ様に痛めつけられた状態では、その膨大な魔精力を制御することはままならなかった。


「くっ……」


 どうにか身体を起こし態勢を立て直す。金と銀に彩られた魔界の宙が、魔王復活を祝うように鮮やかに煌めく。

 その星のような瞬きを見て思い浮かぶのは、ついさっきまで顔を合わせていたマユのこと。


  ……あんなに泣いて。

 大公宮へ――ディオンの元へ行ってしまっても、終わりではない。

 舞台の幕さえ下りれば、すぐにでも攫いに行けるのに。――マユさえ望んでくれるなら。

 マユは……魔王でもいい、と言ってくれるだろうか?


“マ、オー!”

“ううううー!!”


 世界各地の魔物の声がわたしの元へと届く。

 とにかく、魔王復活を果たしてしまった。こうなってしまってはもう引き返せない。地上の魔物が活性化することだけは抑えなくては。

 こうしている間にも、世界各地の魔物が狂喜乱舞し、騒ぎ出そうとしているのがわかる。


 ――この世界に生きる魔の者、すべてに命じる。いまひとたび、沈黙を守れ。


 溢れ出る魔精力を魔王の意志に変えて全世界に張り巡らせる。すると、魔物の気配がヒュウッと治まった。

 いきなり抑えつけることはしたくなかったが、仕方がない。

 物語が終わるまで、あと四日。それまでは……。


“――魔王!”


 事態に気づいたムーンが鮮やかに染められた魔界の宙から現れる。


「すみません、ムーン……」

“また勝手に動いたか”

「時間が無かったものですから」


 言い訳してはみたものの、明らかにわたしの油断が引き起こしたこと。

 申し訳なさに、思わずうなだれる。

 わたしはどこまで未熟で不甲斐ないのか……。


“さっそくルークが奏上したいことがある、と言ってきているが”

「少し待ってください。まずはリンドブロムで何が起こっているのか教えてもらえませんか?」

“それならば尚更ルークに会うべきだ。リンドブロムの動きは常に探っている”


 ルーク……地上では土のトルクと言われているこの鹿の魔獣は、情報通ではあるが人間を忌み嫌っている。

 そんなルークの話と言えば

『魔王が復活するほどの事態。早速、人間界へ侵攻を』

といったところだろう。

 話も長いし後回しにしたいところだが、真っ先に抑えなければいけない魔獣でもある。


「……仕方ありませんね」


 乱れた髪を直し、衣装を整える。

 するとムーンが、わたしを乗せるために態勢を低くしながら

“そうだ”

と思い出したように言葉を付け加えた。


“ペントが魔物サルサを捕獲したと言っていた”

「サルサ?」


 サルサと言えば、ミーアに付いていたカイ=ト=サルサか。

 そうだ、野外探索でいったい何が起こったのか、その辺りも聞いていなかった。


 謁見の間への道すがら、まずはムーンが知っていることを聞くことにした。


 それによると、マユはフェルワンドを召喚することでヴァンクを退け、その後フェルワンドとの契約に成功して地上へ帰還。

 一方、地上ではヘイマー家の魔導士がガンボの魔法陣を起動。どうやらマユが居合わせていたらしく、スクォリスティミの鳴き声に引き寄せられ、ガンボ本体が召喚されてしまう。

 ミーアに付いていたサルサがガンボを退けようとペントに擬態するが事態は収拾せず、マユがペント本人を召喚してその場を収めたらしい。


 稀に見る魔獣召喚合戦となった訳だ。マユが確かに旧フォンティーヌ邸の『聖女の魔法陣』を入手したことは分かったが、そこからどうして結婚という話になったのかは見当もつかない。


 ヘイマー家の魔導士によるガンボの魔法陣起動は、確かにプリーベ様のプロットにもあった。

 ミーアがディオンルートに進んだ場合に起こりうる事態だ。ミーアの攻略対象の一人、ヘイマー家の男が候補から完全に脱落するイベントだったと記憶している。

 勿論本来は魔獣本体を召喚するものではなく、あくまで幻影だったのだが。


 やはりミーアは、ディオンの妃になろうとしている。着々とその道へ進んでいると言っていい。

 しかしマユは自分が正妃になることが大事なのだと言っていたが……。



   * * *



『――という訳でございます』


 話し終えたルークが、ふむ、と満足げに畏まる。白い頭から突き出た金の角がギラギラと輝き、それはまるでルークの野心を表しているかのようだった。


 ワイズ王国領およびリンドブロム地下に魔物を遣わせているルークによると、大公宮ではすでにマユを迎えるための準備がなされているという。

 とりあえず三日後に結婚の儀だけ執り行ったあと、大公世子ディオンと正妃マリアンセイユの名の下、ミーアを側妃に据えるつもりらしい。


 話は分かったが、マユがなぜそんな条件を飲んだのかはわからない。ミーアが得するばかりで、マユには何一つ旨味が無いではないか。

 強いて言うなら、正妃になることぐらいか。自分の立場が脅かされる心配だけは、もう無くなったことになる。


 しかしマユはフェルとの契約に成功したはず。何かあれば彼が護る。命の危険はもう無いはずなのだが……やはり正妃の立場を捨てられなかったのだろうか。

 そう言えば、公爵家のメンツがどうとかアイーダ女史がどうとか言っていたか。自分ではなく、周りを慮ってのことかもしれない。


 思案にふけるわたしをよそに、ルークが『ふううう』ともったいぶった溜息をついた。


『リンドブロム大公家は、両者とも聖なる者として認定するつもりのようです』

「……やはり、ですか」


 正妃と側妃に据えるのであれば、二人に優劣をつけるようなことはしないだろう、とは思ったが。


『聖女の素質を持つ者が二人いるというだけでも頭が痛いことですが、その両名とも大公宮に取り込むとは、何とも強欲なことでございますな』

「人間側も必死ということでしょう」


 ディオンの奴め、マリアンセイユもミーアも、とは欲張りな。

 まさかあわよくばとか思ってはいないだろうな……。


 思わずギリリ、と奥歯を噛みしめると、ルークが何を勘違いしたのかグワッと顔を上げ、瞳をランランと輝かせた。


『ですから、魔王! 魔王復活の狼煙を上げましょう! この『聖なる者の選定』とやらの舞台をぶち壊してやればいいのです!』

「それはしません」

『え……ええっ!?』


 これは異なことを、とルークがハクハクと荒い息を吐く。


『魔王が目覚めたこと、それはすなわち人間側の暴虐が限界を超えたということですぞ!』

「一理ありますが、わたしはまだ世界の全容を把握していません」

『世界についてならわたくしの調査した概要が……』

「ですから、それはまた後程。これから時間をかけて精査します」

『何を悠長なことを……。自然は荒らされ魔物は捕らえられ、人間によって世界は破滅に向かっているのですぞ!』

「少し誇張し過ぎのような気がしますが」

『魔王が目覚められたことが何よりの証拠ではありませんか!』

「きっかけはアルキス山の殲滅です。一部の事象が突出しているだけのこと、と認識しています」

『それはそうですが、いま最もこの世界を把握しているのはわたくしでございます。わたくしの情報があれば、』


「――()()()。わたしは、誰ですか?」


 いい加減うんざりしてピシリと言い放つと、ルークがヒュッと息を飲み、ビクリと白い体躯を震わせた。

 それはそうだろう。かなりの魔精力を込めて彼の名を呼んだのだから。……愛称ではあるが。


『ま、魔王でございます……』

「地上に降りるかどうかを決めるのは?」

『それは勿論、魔王で……』


 ガクガクと機械仕掛けのおもちゃのようにルークの首が下がり、膝を折って態勢がぐぐっと低くなる。


「ご理解いただけましたら、今日はこれでお引き取りを」

『し、しかし……』

「……」


 わかってはいたが、ルークはかなりしつこい魔獣だ。

 情報は有難かったが、あまり長い時間付き合わされてはたまったものではない。

 ただでさえ、あの後マユがどうしているのか気になっているというのに。


「わたしが二代目の魔王ということはご存知ですね?」

『はい……』

「ひょっとして、何も知らぬ魔王と侮っていますか?」

『いえ、そんなことは!』


 ガバッと顔を上げたルークがブンブンと激しく首を横に振る。

 

「同じように、魔獣もすげ替えることは可能ですよ。至極簡単です」


 すっと右手を横に出し、手の平を上に向ける。わたしの魔精力が左手から黒い煙となって立ち昇り、渦巻く。

 やがてそれらは一つにまとまり、直径5mほどの巨大な球になった。ブブブ、と今にも暴れ出しそうに身震いし、謁見の間の空気を揺らしている。


 その様子を一瞥し、これ一発で魔王城は崩壊しそうだな、と思いながら振り返り、ルークに微笑みかけた。


「初代魔王があなた方をどのようにして配下にしたのかは知っています。空席ができれば、新たな魔獣を作れますね」

『はぐっ……』

 

 ルークの身体がガクガクと震えだし、白い毛並みが灰色へと染まっていった。大量の汗をかいたのか、足元には丸い水溜まりができている。


「……試してみますか?」

『い……いえっ! 大変、申し訳ありませんでした!』


 その水たまりの上にビチャリと腹ばいになり、ルークが凄まじい勢いで頭を下げる。角が床に当たった音がガキーンと鳴り響き、謁見の間の床がわずかに揺れた。


「わたしも、あなたの見識は頼りにしています。千年かけて積み上げたものを無駄にはしたくありません」

『は……ははっ』

「ですが、最終決定はわたしにあることを忘れないでください」

『わ、わかりました……っ』


 ルークは再び這いつくばるように頭を下げると、そのまま逃げるように謁見の間を出て行った。


 くるりと手首を返し、手の上の球を自分の中に収める。

 すると、扉の奥で一応控えていたらしいムーンがぬぅっと謁見の間に顔を出した。


“なかなか派手なやりとりだったな”

「いささか体調がすぐれないもので、少々強引に帰って頂きました」


 はあ、と思わず溜息が漏れる。

 さてと、まずはマユの方を……と玉座から腰を上げかけたが、ムーンに

“待て、魔王。まだ終わっていない”

と引き留められた。

 ちらりと視線を寄越したがムーンは微動だにしない。いいから座れ、と無言で訴えた気がして、渋々玉座に座り直した。


「……何です?」

“あからさまに面倒くさそうな顔をするな。マデラが謁見したいと言っている”


 王獣マデラギガンダか。確かに地上に詳しい彼の話は聞いておいた方がいいのだが……。


“二人の聖女と会ったそうだ。どうすべきか魔王の指示を仰ぎたい、と”

「はあっ!?」


 二人の聖女と言えば、マユとミーアのことだろう。なぜマデラが二人と?

 リンドブロムには立ち入るなと伝えてあったはず。さすがにマデラもスクォリスティミを探しに行ったあとは控えていたはずだ。

 となると、二人がマデラに会いに行ったということに……。 


 しかしやはりおかしい。確かにミーアにはマデラギガンダの洞窟に行くイベントがあったとは思うが、それはマリアンセイユを魔界へ追放するためのものだ。

 ディオンの側妃にしてもらうには正妃マリアンセイユが必要なはず。なぜマユを追放する必要がある?


 しかも同じ場所にマユもいたとは……マユはなぜマデラに会いに行った? いったい地上では何が起こっている?

 これはさすがに、後回しにはできない。


「わかりました。では、マデラをここへ」


 そう告げるとムーンが頷き、長い体躯をくねらせて魔界の宙へと消えていった。

 


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