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男神の回顧録7・男神の嘆息【第6幕】

 わたしが聖獣とマユを引き合わせたのは、これからマユに降りかかるであろう災いから護ってもらう為だった。

 しかし、聖獣と契約したマユが大事にしていたのは自分自身だけではない。ヘレンやアイーダ女史、パルシアンで働く人々、そしてガンディス子爵家――自分に関わる人間、すべてだった。


 だから聖獣たちはそんなマユの意図を汲み取り、アイーダ女史の危機をマユに報せた。マユがいなければ助けられないから、と彼女を表の世界へと連れ出した。


 そもそもアルキス山に魔物の群れが押し寄せたのも、すべてはマユが目覚めたからだった。

 マユが下着事業を思いつき、ザイラ子爵夫人がその計画に乗り、あの場所に人を集めたから魔物はそちらへと向かってしまったのだ。

 本来なら無人のアルキス山など見向きもせず、ワイズ王国領へと向かうはずだったのに。


 〝辺境の地パルシアンにいる分には、マユが物語に影響を与えるはずがない〟


 それは、わたしの驕りだった。

 人と人が関わる以上、それは確実に世界に影響を及ぼす。

 マユ以外のこの世界の人間を、所詮『作り物』だと軽んじていたからに他ならない。



   ◆ ◆ ◆



“だいたいねぇ! 私はセルフィスの味方だったのよ、これでも!”


 魔界の魔王城に戻り、ムーンを帰してわたし一人になった途端、スラァ様が甲高い声を上げた。

 キィィーンと脳裏にその喚き声が響く。その威力たるや、わたしの神力でも緩衝しきれないほどだ。


「……味方?」


 やや痛む頭を押さえながら聞き返すと、スラァ様は

“そうよ”

と憮然とした声を出した。


“責任を感じて、身の程を弁えすぎるほど弁えてマリアンセイユに接して”

「……え」

“魔王であることも言えず、当然『仮初めの世界』であることも言えず、ただひたすら陰に徹して”

「え、あの……」


 どうもおかしい。スラァ様には悟られぬように行動していた筈なのに、どうやら全部筒抜けのようだ。

 ましてやわたしの思惑などもすべてバレてしまっているように感じる。


「スラァ様……いつから、その……」


 わたしの考えに気づいていたのでしょうか、と恐る恐る聞いてみると、スラァ様が「はぁっ!?」とさらに1オクターブ声を上げた。


“最初からに決まってるでしょお!?”

「え!?」

“データとものづくりにしか興味を示さなかったセルフィスが! たった一人の人間の魂を気に掛けること自体、もうオカシイから!”

「……」


 ひどい言われようだ……。まるで全く気の利かない朴念仁と言われたような。


“そう言ってるのよ。ような、じゃないわ”


 わたしの思考を読み取ったスラァ様が、フン、と鼻息を漏らす。

 どうやらこれは、わたしが神力に慣れただけではないな。『女神のロッド』をかなり使いやすく改造したらしい。

 やはりスラァ様は侮れなかった……。


“あんたは、とっくに彼女に惚れていたのよ。だから自分の手で守ろうとしたの。わざわざ『器』の中に入ってまでね”

「……」

“何だかんだ言い訳していたけど、要は同じ世界にいたかったの。邪魔されずに、彼女を手の内に入れたかったのよ。じゃなきゃ、わざわざ魔王になろうなんて思わないわ。『女神のロッド』だってあるんだし、彼女を助けたいだけなら『器』の外からどうとでもできたはずよ”


 そう言われても、あまりしっくりこない。

 あのときは時間もなかったし、もうこの手しかない、と思ったのだが。


“初代魔王と聖女シュルヴィアフェスの物語は当然頭に入っていたから、無意識にそれになぞらえていたのよ”

「……そうなんでしょうか」

“ああ、もう、想像を絶する恋愛音痴ね!”


 信じられない、と言わんばかりにスラァ様が叫ぶ。

 だから、頭に響くんですが……と苦情を言いたいのだが、女神に逆らうことはできない。何しろ、今は叱られている身でもあるし。


“とにかく時間がないから、用件だけ手短に言うわ!”


 そう喚くと、スラァ様は神々への披露の途中経過と、天界から見たこの世界について説明してくれた。


 まずは、プリーベ様の反応。

 マリアンセイユが起きることは勿論予定していなかったが、

「ミーアの障害としてはその方が効果的か」

と好意的に受け止めていたという。


 そして神々への披露だが、見られているのはミーアの周辺であるロワネスク近郊だという。現状としてマリアンセイユの動きはまだ物語から除外されていたため、こうして『女神のロッド』でこっそり話しかけることができた、と。


“でも、今後はかなり難しくなるわ。マリアンセイユは物語の登場人物に昇格してしまったから”

「昇格……?」

“ええ。ミーアの敵役として”


 今回の件で、マユは完全に表舞台へと足を踏み入れることになってしまったらしい。

 具体的にどうなるかはマユ次第だが、学院への入学を希望している彼女がその方向へ進むのは間違いない、と言う。

 つまり、聖者学院でのミーアの奮闘ぶりを描く物語、『リンドブロムの聖女』世界へのマユの登場が確定してしまった、ということだ。


“これからは、私の許可なくマリアンセイユに接することを禁じるわ”

「え……」

“マリアンセイユも神々に見られるようになるの。せめて偽名を使ってくれれば誤魔化せたんだけど”

「偽名……」


 そうか。わたしが思わず自分の真の名をマユに名乗ったから。

 もし神々の前で、わたしがマユの前に現れ……そして、マユがわたしを『セルフィス』と呼べば。

 姿形といい、その名前といい、管理限定十級神『セルフィス』じゃないのか、神を箱庭の世界に関わらせているんじゃないのか、という話になってしまうのか。


 厳密に言えば、神が箱庭の世界に立ち入ることは禁止されている訳ではない。ましてやわたしは管理限定十級神で、神力も小さい。

 しかし歪みが生まれ世界が破綻する可能性が高い行為のため、

『神が立ち入るときは時を止める』

が暗黙のルールになっている。

 決して推奨されてはいないその行為をしていることが分かれば、プリーベ様の評価が地に落ちてしまう。


“ただ、あくまでミーアの物語だからマリアンセイユの姿をずっと追っている訳じゃないわ。必ず隙はある”

「え……」

“今みたいに、私があなたに話しかけられるときは神々は見ていない、ということ。そのタイミングでなら、マリアンセイユに会いに行ってもいいわ。勿論、細心の注意は払ってもらうけど”


 その言葉を聞いて、緊張して上がっていた両肩がやっと下りる。

 すうっと一筋、冷たい汗が背中の真ん中を流れたのがわかった。


 罰として消滅させられるかもしれない、と思った。でもそうではない。しかも、許可さえあればマユに会いに行ってもいい、と。

 スラァ様の『私はセルフィスの味方』という言葉が蘇ってきて、心の底からの安堵の吐息が漏れた。


「……いいのですか?」

“まぁね、仕方が無いわ”


 ――マリアンセイユから、もう『セルフィス』という存在を引き離すことはできないから。


 そう呟くスラァ様の声を、どこか遠くに感じる。

 極度の緊張から解放されて気が緩んだのか、視界に黒い靄がかかった。


「う……」

“ちょっと……セルフィス?”

「すみません、もう、頭が……」


 初めて魔王の身体で動き、魔法も使った。その無茶もあるだろう。

 こめかみの奥から黒い触手が伸びる。

 そしてズルズルと闇へと引きずられるように、わたしは意識を失った。



   * * *



 このあとわたしは一週間ほど眠りこけ……目が覚めたのは、マユが大公宮へと向かったあとだった。

 ムーンによれば、聖者学院の入学試験だそうだ。もう、どうにもならない。

 そもそもわたし自身は、もう勝手に動くことは許されないのだし。


 とりあえず、ムーンを通してガンボへ大公宮の様子を探ってくるように指示を出すことにした。勿論、魔王の命令であることは伏せて。


 ガンボの覗き見(ハイド・サーチ)で視た映像を、魔精樹の結晶に閉じこめてもらう。

 魔王が起きていることを公にできれば直接映像を飛ばしてもらうのだが、今はその事実を伏せている以上、仕方がない。


“ああ……『蘇りの聖女』か”


 わたしの指示を聞き結晶を受け取ったムーンが、どこか納得したように頷く。


「『蘇りの聖女』?」

“そうだ。『聖女の再来』と言われている男爵家の娘と対抗するように、最近その名が急速に広まっている”


 恐らくマユが……いや、ガンディス子爵の企みだろう。

 ミーアへの牽制。マユを派手に担ぎ上げるための。


“マデラが『地上が何やら騒がしい』と言っていたのでな”

「……」


 その〝騒がしい〟事態にする気は全くなかったのだが、こうなってしまっては仕方がない。

 しかしマデラが注目しているとなると、他の魔獣にそのことが広まるのも時間の問題だろう。

 特にルークは危険だ。もし魔王が目覚めたことが分かれば、真っ先に地上を攻めたがるに違いない。聖女が誕生する前に、と。


“どうするつもりなのだ?”

「目覚めはしましたが、しばらく動く気はありません。リンドブロム大公国が決める、その『聖なる者』とやらがどうなるのかを見届けましょう」

“静観か”

「はい。魔王が目覚めぬ以上、古の約定は有効です。魔獣達がリンドブロムに攻め入ることのないよう、わたしの代わりに彼らを見張っていてください」

“……フン”


 ムーンが鼻息を漏らし、やや不満そうに首を捻る。


“それは構わぬが、いつまで魔王復活を伏せておくつもりだ? みな魔王を待ち望んでいる。自ら魔獣達に命令した方が手っ取り早いはずだが”

「待ち望んでいるからこそ、いきなり抑えつけるようなことはしたくありません」


 ましてや、わたしは二代目だ。彼らが付き従っているのは、自分たち一体一体を力で捻じ伏せた初代魔王。

 そこには畏怖の念があり、ある種の信頼関係が存在する。

 魔界に亀裂を生じさせたくはない。この世界に長く――少なくともマユが生き続ける間、君臨し続けるためには。


 約定があるから地上を攻められない――この方がまだ、魔獣達も納得できるだろう。それは、初代魔王の意思なのだから。


「その代わり、リンドブロム以外での多少のことには目をつぶります。ムーンもそのように」

“……承知した”


 確か、神々への披露が終わるのは『聖なる者』の決定の場。

 そこまで待てば、あとは自由に動ける。

 動けても……マユがディオンを選ぶのなら、もうどうしようもないのだが。



   * * *



 その後、ガンボが献上した結晶には、上流貴族八家と大公世子ディオンの姿が映し出されていた。

 マユの入学試験は既に終わり、入学を認めるかどうかの話し合いをしているようだった。……これも、本来は無かったはずのイベントだ。


 ああ、そう言えばディオンはこんな顔をしていたか、とつい目がいってしまう。藍色の髪に黒い瞳の、理知的な青年。

 この会議の前――試験会場で、ディオンとマユは初めて顔を合わせたはず。


 本来なら会うはずのなかったマリアンセイユと対面したとき、彼は何を思ったのだろう。

 そしてマユは、彼にどんな感情を抱いたのだろうか。


“マリアンセイユ・フォンティーヌ公爵令嬢の聖者学院への入学を、認めます。――特別待遇として”


 そのディオンが、ひどく冷静に上流貴族の面々に言い渡す。

 異を唱えるものは誰一人おらず――マユの入学が、正式に決まってしまった。


「……いよいよ賽は投げられた」


 つい、独り言が漏れる。シンと静まり返る魔王城……わたしの言葉を聞く者は、誰もいない。


 後は本当に、マユの行動次第で物語は紡がれる。

 わたしができることは、殆ど無いと言っていいだろう。


 どうか、今度マユに会うときは、冷静を保てるように。マユがどのような決断をしても、受け止められるように。

 いま再び、自分を戒める。


「――もう物語は止まりませんよ、マユ」


 わたしの溜息交じりの言葉は……その祈りと共に、真っ暗な魔界の宙へと消えて行った。

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