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男神の回顧録6・男神の動揺【第5幕】

 ムーンからマユと聖獣がホワイトウルフを殲滅した、という話を聞いたあと、どう動いたのかはよく覚えていない。

 気が付けば、わたしは月明りが差し込むバルコニーに佇んでいた。


 ギルマン領、アルキス山ふもとにあるガンディス子爵の別邸。その一番奥、誰の目にも触れないような離れの、夜風がそよぐバルコニー。

 手すりに両腕をつき、項垂れていたマユがハッとしたように顔を上げ、こちらを振り返った。


「何でここに……」

「それはこっちの台詞です」


 あなたは黒い家(リーベン・ヴィラ)にずっといなければならないはず。誰の許可を得てこんなところまで?

 どこも怪我はしていないのか。魔精力の状態は?

 聖獣召喚の悪影響を受けたりはしていないのか。何がどうしてこうなったのだ?


 初めて身体を伴って動いた。

 さきほど見つめた自分の左手。魔王が支配するのは、この世界のすべて。

 だけど――この手で掴みたかったのは、世界なんかじゃない。

 唯一、彼女だけだったのに。


「なぜ、表になんか……!」


 ずっと、大切に。誰にも見つからないように、誰もが彼女を脅かさないように。

 辺境の地パルシアンで、護りたかった。


 いつからこれほど強く想うようになったのだろう。

 わたしが何のために『影』として動いていたのか。

 この瞬間、はっきりと自覚してしまった。


 マユのことは、大事に思っていた。その命を手折ってしまった責任、ということだけではなく、愛しく思っていた。

 それはわかっていたつもりだったし、だからこそマユを護れるようにと陰で苦心していたのだが。


 しかしその想いは、いつの間にこんなに重く、ひどく自分勝手で我儘なものになっていたのか。

 もう引き返せない……このときになって、ようやく気付くとは。


 左手に力を込め、抱き寄せてしまいたい衝動に駆られる。

 いっそこのまま、マユを魔界へ連れ去るイベントを起こしてしまえばいいのではないか、と。


 ――ヒロインがいかに悩み傷つきながらも一生懸命に考え、努力して、自らの人生を選び取るか。そこが重要なんだから、絶対に干渉しないでね。


 不意に、スラァ様の声が脳裏に蘇って、我に返る。


「ちょっ……セルフィス! ちょっと痛い!」


 わたしに右腕を掴まれたマユが、苦しそうに叫ぶ。わたしの左手を振りほどこうともがいているのが視界に映った。

 慌てて手を離し、後方に飛びのく。


 一体わたしは何をしようとしていたのか。とんでもない事態を引き起こすところだった。

 いけない、マユの魔精力(オーラ)は魔の者を魅了する。それは魔王も例外ではなく――身体を伴った今は、特にマユに近づきすぎてはいけない。

 今のわたしは魔王としてはまだ不完全であるし、ただでさえ冷静さを欠いている。


「――失礼いたしました。魔物と戦ったという話を聞いて、居てもたってもいられず……」


 自分の立ち位置を思い出せ。そして、その役割を。

 物語は、まだ始まったばかり。スラァ様に与えられたわたしの役割は、この物語のエンディングまでこの世界を守ること。

 そして、自ら誓ったわたしの使命は、マユがこの世界で最も望む生き方を選べるようにすること。

 本来は、そうだったのに。


「ごめんね。淑女としての評価は下がっちゃったかもしれない。でも、魔導士としての評価は上がったと思うんだ」


 肩をすくめてペロリと舌を出す、無邪気なマユ。

 本来の役割を自覚したはずだった。しかし何も知らずにおどけるマユを見ていると、どうしても黒い靄のようなものが胸の中で広がっていく。


 マユは今でもやはり、大公子妃になりたいと思っているんだろうか。

 わたしに熱心に魔法について質問したりしていたのは、すべては大公世子ディオンのためなんだろうか。


「……ですかね」


 拭い去れない焦れた気持ちが、つい出てしまう。

 そのらしくないわたしの様子に、マユが「ん?」と首を傾げた。しかし深く追求する気は無いのか

「ところでさ」

と話を続ける。


「例の『聖なる者』の夢見、それとミーアの話。セルフィスは知ってたのよね?」

「……はい」

「今、そのための学校が作られてて、公爵が勝手に私の参加を断ったことも」

「ええ」


 それはゲーム本編での正規のあらすじだ。マユが目覚めたことで対応を変えるかと危惧していたが、フォンティーヌ公爵は頑なだった。

 それが分かり、安堵した覚えがある。

 ――マユが物語に関与することは、もう無い、と。


「何でそんなことになってるの? セルフィスは大公に私のことを報告してたんじゃないの?」

「報告はしていましたが、マユが起きているのを知っていたのは大公殿下のみです」

「それは知ってるけど」

「マユを学院に入れるとなりますと、起きて元気になっていることを公表することになりますから。公爵が望まない以上、その意向を曲げてまで強行することはできなかったと思います」


 当然、大公の間諜などというのはわたしの嘘な訳だから、わたしから大公に報告している訳がない。

 しかしフォンティーヌ公爵については実際にこの通りだったのだから、何も問題はないだろう。


 マユは

「ふうん……」

と呟いたあと、不満そうに唇を尖らせた。


 もしリンドブロム聖者学院の話を事前に聞いていたら、やはりマユは学院へ入学する道を選んだのか。

 確かに、パルシアンから一切外に出られない生活はもう2年も続いている。基本魔法の下地は四属性とも既にできているし、これ以上引き籠っていても新しく何かを得られることは無いだろう。

 その辺はわたしの方から何かきっかけを、と考えていたのだが。


「さっきさ、『何で表になんか』って言ってたけど」


 マユが両腕を胸の前で組み、わたしを尋問するかのように声を尖らせる。


「セルフィスも、公爵と同じく私に引っ込んでてほしいの? おかしくない? だってセルフィスは、私に大公子妃になってほしいんだよね? だから間諜をしてるんだよね?」


 最初はそうだった。マユが望む人生を、と思っていた。

 こうして表の世界で認知される機会を得たことは、わたしだって喜ばないといけないだろう。


 だけど今は、どうしておとなしくしていてくれなかったのか、という気持ちの方が強い。

 ゲームのエンディングまで、あと四カ月弱だったのに。


 しかし、これはわたしの我儘だ。スラァ様も言っていた。ヒロインが悩み傷つきながらも一生懸命に考え、努力し、自らの人生を選び取ることが重要なのだと。

 ミーアの話と思って聞いていたが、それはマユにも当てはまるんじゃないのか。


 マユを『召喚聖女』とすべく導いたのは、わたし。

 しかし、『リンドブロムの聖女』の主役は聖女――それはつまり、マユをヒロイン格に押し上げる行動だったんじゃないのか。

 だったら、わたしはマユの選択を見守るしかないのだ。それがたとえ、マユがディオンの元へと去ってしまう結末だったとしても。


 お喋りなマユが、珍しくわたしの言葉をじっと待っている。

 わたしは気持ちを切り替え、マユと視線を合わせた。


「マユが表に出たら、私の役目は終わりです。仕事が無くなります」

「えっ、そっち!?」


 マユはそう叫び、慌てて自分の口を押えた。

 そしてすぐさま、何事かを考え始める。


 少し狡い言い方をした。マユの気持ちを試すような言い方を。

 マユが表に出れば、わたしはもう来ませんよ、と。……そんなつもりは、毛頭ないのに。


 どうやらマユもそのことに思い至ったらしい。たっぷり考え込んだあと、


「ねぇ、もし大公の間諜という仕事が無くなったら、今度は私が雇うわ!」


と、妙に明るい元気な口調でわたしを励ました。

 その台詞に、思わずガックリと肩を落としてしまう。


 それはどういう意味で言っているんだろう。わたしはただの便利屋なんだろうか?


「マユが? 何のために?」

「そりゃー……ほら、魔法や魔物学の先生としてさ!」


 ね、だから……と歩み寄ろうとするマユを避けるように、同じだけ後ろに下がった。

 そんな言葉で宥められたくはない。

 聞きたいのは、そういう言葉じゃない。……そうじゃなくて。


 いや、でも。

 女子高生だった『繭』を殺めたのはわたし。マユが望む人生を、とこの世界連れてきたのもわたし。

 そもそも、それ以上を……自分のものにしてしまおうなどと望むのが間違いか。

 わたしが必要だ、と。そう言ってくれただけで、満足しないといけないのかもしれない。


 ふう、と息をつき、気持ちを立て直す。


「報酬は? マユは現金を持っていませんよね」

「ないけど! ……えーと、ヘレンにだけこっそり言って、ご飯を出してもらう」

「賄いだけですか」

「じゃあ、ブラジャー事業の利益が出たらそれでお給料を支払う」

「先の見えない話ですね」


 いつもの軽口を叩き、マユの反応を見る。

 マユは「えーと、じゃあ……」と呟いたあと、ビシッと左手の人差し指を私に付きつけた。


「私が大公妃になった暁には、絶対にセルフィスを引き立てる!」


 マユの力強い言葉が、まるで鈍器のようにわたしの頭に振り下ろされる。

 頭が揺れ、肩が揺れ……思わず、深い溜息が漏れた。


 ――それがどれほど残酷な言葉か。マユは何も、解っていない。


 本気なのか。本気で、大公子妃になるつもりなのか。

 顔も見たことのない、ディオンの元へ……それが、マユの答えなのか?


 いや、まだわからない。何しろマユは、この2年というもの、全く外の世界に触れていないのだ。

 大公子妃になるということがどういうことか、解っていないだけかもしれない。


「マユに聞きたいのですが」

「え」


 魔王の出番はないからとか、物語に干渉しては駄目だからとか、そういうことが全て頭から吹き飛んだ。

 どうしても確かめたい。マユは今、どんな人生を望んでいるのかを。


「大公世子ディオンと結婚して大公子妃になることと、かつての聖女のような唯一無二の魔導士になること。――マユは、どちらを望むのですか?」


 わたしの言葉に、驚いたように目を見開くマユ。

 まっすぐに視線が絡み合い……マユの唇が、わずかに開いたが。



“――それはルール違反ね。引きなさい、セルフィス”

「……!」


 脳裏に響く、スラァ様の声。一気に背筋が寒くなった。

 身体中の毛穴が開いたような感覚。視界がぐにゃりと歪み、膝から崩れ落ちそうになる。


 ――バレた。マユに干渉していることが。

 

 これはマズい、と右手を振り、マユを眠らせる。

 何事かを言おうとしていたマユは、ゆっくりと瞳を閉じた。意識を失い、前方に崩れ落ちる身体を咄嗟に両腕で受け止める。

 ふわりとマユの藤色の髪が絡みつき、温かみと重みがのしかかる。

 同時に、自分の撒いた種が引き起こした、事態の重さも。


“記憶操作まではいいわ。マリアンセイユへの負担が大きすぎるし、それは過干渉になる。そのまま眠らせて、魔界に戻りなさい。恐らく夢だと思うでしょうから”


 いつの間に『女神のロッド』の鉤先がわたしに取り付けられていたのか。全く気づかなかった。

 あの嫌な負荷も随分と軽く感じる。それは、ここが地上だからなのかそれともこの身体の内側が神力で満たされているからか……。ある意味、自分で自分の首を絞めたのだな。


 マユを抱きかかえて部屋に入り、スラァ様に言われた通り、ベッドに横たわらせる。

 そしてマユが起き出した痕跡をすべて消すと、わたしは鉛のように重くなった身体を無理矢理引きずるように、魔界へと飛び立った。


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