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【間話】地上に降りた聖獣

「あら……まあまあまあ!」


 黒い家(リーベン・ヴィラ)の風通しをするため、窓を開けバルコニーに出ていたヘレンが大声を上げる。


「……おや」


 本棚の本を整理していたアイーダ女史も、ヘレンのその声を聞いて窓の外へと顔を向け、じっと目を凝らした。


 庭の向こうにある小川のさらに向こう。森の木々に紛れて、灰色の狼がじーっとこちらを見ている。

 東の空には眩しい太陽が。……ということは、あのやんちゃで元気なスコルの方だろう、と二人は判断した。


「スコルさん、ですか!?」


 ヘレンが思い切って話しかけると、灰色の狼が周囲を警戒しつつタタタタッと走って来た。黒い家(リーベン・ヴィラ)の庭は周囲を背の高い木々が囲んでいるため、牧場などで働いている使用人から見られる心配はない。

 しかしスコルはもともと魔精力(オーラ)を抑えるのが苦手なため、二人以外の誰かに気づかれるのではないかと警戒しているようだ。


「あら……あらっ!? すごく大きくなりましたね!」


 近づくにつれその大きさが分かったヘレンが、驚いて思わず声を上げる。

 ダン、と以前よりも重い音色を響かせバルコニーに上がってきたスコルは、

『うん、そう』

と、やや困ったように俯いた。


『だから……オレもハティも、もう顔は出せなくなるかも』

「えっ」

『だって、森の狼の姿じゃなくなっちゃうしさぁー』


 不満そうにブフゥ、と息を漏らすスコル。アイーダ女史が

「より魔獣に近い姿に変わっていく、ということですね」

と聞いてみると、

『うん、そー』

とつまらなそうな声で返事をした。


 マユはフォンティーヌの森の護り神と言っていたが、これだけ魔獣フェルワンドに酷似した姿をした二人。

 彼らはやはりれっきとした魔獣で、マユが魔界に行ったことでその拠点も魔界になるのだろう、とアイーダ女史は推測した。


『でも頑張れば、狼の姿になれるようになるからさ、魔法で』

「そうですか……」

「マユ様は、お元気ですか?」


 これだけはどうしても聞かないと!とグイッと身を乗り出したヘレンに、スコルが力強く頷く。


『うん。ちゃんと魔物の聖女にならないといけないから頑張るってさ』

「そうですか!」

『だから、マユも……しばらく来れないって』

「え……」


 ヘレンがショックを受けたように肩を落とすのに対し、アイーダ女史は殆ど反応しなかった。

「そうですか」

とだけ呟き、ゆっくりと目を閉じた。何となく、察しがついていたらしい。


 その様子を見たヘレンがさらにショックを受け、

「じゃあ、もうマユ様は、こちらには……!」

と声を上げ、ポロポロと涙をこぼす。


『いや、でも、ほら、マユのことだからさ! アイちゃんとヘレンに何かあったら強引に来ちゃうかもな!』

「それでは駄目なのでしょう、『魔物の聖女』としては」

『あー、うん、そうだけどー。でも、魔王はマユには甘いからなー』


 はっはっはっと誤魔化し笑いをしたスコルが次の瞬間、『あ、ヤベッ!』と小さく声を上げる。


「魔界の話は禁じられているのでしょう、スコルさん」

『お、おう……』

「ですが、今のお話でわかりました。マユ様は、魔界で魔王に大切に扱われているのですね? かつての聖女シュルヴィアフェスのように」


 初代フォンティーヌ公爵の日記を隅から隅まで目を通したアイーダ女史が、落ち着いた様子でそう訊ねてみると、スコルは

『あ、うん。まぁな』

とコクリと頷いた。


 それならいいのです、と答えたアイーダ女史の瞳は、淋し気ながらも何か覚悟を決めたような、そんな力強さがあった。


「マユ様ほど、“無沙汰は無事の便り”を地でいく方はいらっしゃいませんから」

『ブサ……何だ、それ?』

「何の便りもないことは無事である証拠なので心配はない、ということです。それだけやらなければならないことがあり、目標に向かってがむしゃらに突き進んでいらっしゃるのでしょう」

『うん、その通り』


 コクコクと頷くスコルに、アイーダ女史がふっと口元を綻ばせる。

 それを見たヘレンも、落ち着いたのか涙を拭い、

「あ、あの、スコルさん!」

と歯切れよく切り出した。


「それでは、マユ様に渡してほしいものがあるのですが!」

『渡してほしいもの?』

「お洋服とか下着とか……今度来られた時に渡そうと思っていたものが色々とあるのです」

「本もありましたね。前に来られたときに絵本は持っていかれたのですが、古代語辞書や魔物事典、学院で使っていた教材も持っていきたいからこちらに運んでおいてくれ、と仰っていたのです」

『えー? 何かいっぱいあるんだな。うーん』


 しばらく考え込んでいたスコルは、やがてピンと耳を立てた。


『そうだ、今日の夜にハティに来るように言うよ。ハティなら直接、魔界棚に運べるから』

「畏まりました」

「用意しておきますね」

『うん。ん-と……じゃあ、アイちゃん、ヘレン。元気でな!』


 スコルはそう言うと、身を翻してあっという間に森の奥へと消えて行った。


 人間と魔物は、近くなりすぎては駄目なのだ。近すぎると、お互いの存在が危うくなる。

 どちらか一方は己の世界を捨て、片方の世界を選ばなくてはいけなくなる。


 スコルは魔物の世界に帰った。フォンティーヌの森の護り神として、これからも地上に降りることはあるだろう。しかしそれは、あくまで聖獣として。

 もう、アイーダ女史やヘレンの前に姿を現すことは無いに違いない。



   * * *



 その日の夜、ハティも黒い家(リーベン・ヴィラ)の庭に現れた。

 アイーダ女史やヘレンと少しだけ言葉を交わし、預かった荷物を魔界に送った後

『アリガト。バイバイ』

という言葉を残し、二人の前から去っていった。


 ヘレンは諦めきれなかったのか、太陽が照り付ける昼、月が輝く夜に、お菓子を用意して黒い家(リーベン・ヴィラ)のバルコニーに佇むことがあった。

 当然、二人はヘレンの前に姿を現すことはなかった。

 しかし小川の向こうにそっとお菓子を置いておくと、本当にたまにだが、翌日には無くなっていることがあった。

 そのことに喜びを感じたヘレンは、まるでお供え物をするかのように小川の向こうへお菓子を置きに行った。


 そんな珍妙なことを、ヘレンは飽きることなく続けていた。

 彼らが現れる限り、マユは無事に元気で魔界での日常を過ごしているのだ、と思えたから。


 アイーダ女史は特に何も言わず

「今日はお菓子が無くなってました!」

と嬉しそうに報告するヘレンに、ただ黙って頷いていた。



 そんな二人の前にマユが姿を現すのは、約1年後――魔王がいよいよクレズン王国の粛正に乗り出すときである。


「久しぶり! あのね、ちょっと緊急事態なのよ!」


 いきなり聖獣を伴って現れ、そう切り出すマユに、二人は心底驚かされることになる。

 魔物より、魔獣より、マユの方がよほど『何でもあり』だということを、二人はこのとき改めて思い知ることになるのだった。

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