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聖女の魔獣訪問1・フィッサマイヤ(2)

 燃えるような赤い長い髪を、無造作に首の後ろでひとくくりにした女。

 吊り上がった野生の狼のような琥珀色の瞳をさらに鋭くし、背もたれの無い丸い木の椅子にどっかと座っていた。両腕を胸の前で組み、正面の男を睨みつける。


 二十歳ぐらいの女は、元は白だったと思われる薄汚れた開襟の長袖シャツに茶色い厚手のベスト、そして暗緑色のパンツに黒の狩猟ブーツ、と村の男連中と変わらない恰好をしていた。

 着飾れば見違えるほど美しくなるだろうと思われるその風貌も、今はひどく険しく歪んでいる。広い額とシャープな顎のラインはより一層彼女の険しい目つきを際立たせ、真一文字に引き結ばれた大きな口は強情な性質を十分に窺わせた。


「ルヴィ、頼むから作戦に加わってくれよー」

「フザけんな、そんな作戦には絶対乗れない!」


 後の『聖女シュルヴィアフェス』ことルヴィの拳が、ダン!と木製の丸テーブルに叩きつけられる。二人の間にあったあちこち傷だらけの古い丸テーブルは、脚をギシシ、と折れそうなほど軋ませ、グラリと揺らいだ。

 ルヴィの剣幕に押されながらも、向かいに座っているニヤケ顔の男はまったく引く気配はない。


「エリックがディエールの森でソールワスプの巣の欠片を手に入れたんだよ。ってことは、そう遠くない場所に巣があることになる。それで探してみたらビンゴ、一部が剥き出しになった巣が見つかってよぉ!」

「何度も言わせるな、ハリー。不必要に魔物を痛めつければ、より凶悪な魔物を呼ぶことになる。それより村の警備と備蓄を……」

「だから! 警備や備蓄に力を入れるにしても、武器がいる! 武器はどうやって調達する!? 金だろ! 金はどうやって調達する!? 魔物だろうよ!」


 ハリーが身を乗り出して力説するが、ルヴィは「ハン」と呆れたような声で切り捨てた。


「そうやって魔物を狩り、その結果凶悪な魔物に報復される。魔物に報復されて人間がいきり立ち、また仕返しのように魔物を狩ろうとする。そして最終的には魔獣を招き、辺り一帯、全滅だ。この村を負の連鎖に巻き込むつもりか」

「お前だって親を魔物に殺されたクチだろ! 悔しくないのか!?」

「都合よくアタシの親を使うな! お前の本心は敵討ちなんかじゃなく自分の懐をあっためたいだけだろ! そんな私利私欲のためにアタシの炎は使えない!」


 今度は両拳をテーブルに叩きつけ、ルヴィはすぐさま立ち上がった。グラリと揺れた椅子を足で蹴り、ギロリと男を睨みつける。

 そしてこれ以上話を聞く必要はない、とばかりに男に背を向けると、ドスドスとブーツの重たい足音を響かせながら村の食堂を後にした。



 ルヴィが住んでいたのは、ディエールの森からほど近くにある『エルダ』と呼ばれる小さな村だった。

 ここ数日、ディエールの森では夕刻になると餌を探すソールワスプの姿が目撃されていた。そのため村では決して刺激することのないように、と通達がなされ、狩りも早めに切り上げていたはずなのだが、村長の息子であるハリーは独断で巣の捜索を行っていたらしい。


 火を使って巣からソールワスプを燻り出し、出てきたところを捕獲して炎で殲滅する。その後ゆっくりと巣を掘り出すというのが一番安全な手段だが、木が立ち並ぶ場所では炎の扱いは難しい。下手を打てば、森が全焼してしまう。

 そのため、燃え盛る実在の炎からまやかしの炎まで、自由自在にあやつれるルヴィの協力を願い出たハリーだったが。

 気が強く己の意見を決して曲げることのないルヴィには、到底受け入れられないものだった。


 孤児となったルヴィは炎魔法の素養があったことからこの村の村長に拾われた。下働きとして働き、十六になった年からは男達に混じり狩猟にも参加するようになったが、魔物狩りについては否定的だった。

 

 ハリーも、悪い人間ではない。孤児で下働きのルヴィを見下すことは無く、普通の友人同士のように接してくれる。忌憚なくお互い言いたいことを言い合える関係性を築いてくれた、言うなれば幼馴染だ。

 ただ、やはり目先の利益には弱い。それが、人間というもの。

 そして時折、欲望を漲らせたような目つきをするのも、男というものだろう。



「……ルヴィ、ごめん」


 憤然と歩き続けるルヴィに、十歳ぐらいの気弱そうな少年が駆け寄る。

 エリックだった。魔物の生態に詳しい臆病な少年で、ルヴィをとても慕っていた。


「ハリーに見つかって、巣のこと言うしかなくて……」

「仕方ない。奴は、この村のアタマみたいなもんだからな」


 ふっと口元を緩めたルヴィはエリックの頭をガシガシと乱暴に撫でる。


「なるべく巣から遠ざけるように狩り場を誘導していたんだがな。ついに嗅ぎつけやがったか。……ん、エリック。腹をどうした?」


 ルヴィに頭を撫でられたエリックは嬉しそうな顔をしたものの、ふいに顔を歪ませた。両手で自分のお腹を庇っている。


「ここに、巣、隠してて……」

「ああ、巻き上げられたときに殴られたか蹴られたかしたのか」

「……」


 黙って頷くエリックの手を腹からよけて彼の目の前にしゃがみ込むと、ルヴィはシャツの裾をまくった。ひっかいたようなミミズ腫れが何本かあり、下の方が赤くなっている。


 まったく、ハリーのカッとなる癖はどうにかした方がいい。

 アタシも人のことは言えないけどね、と思いながら、ルヴィはエリックの腹にそっと手を添わせる。一瞬溢れた光がエリックの腹の上を滑ってゆき、赤みを帯びた部分がみるみるもとの肌色へと変わっていった。


「……ほいよ。もう、痛くないか?」

「うん! ありがとう、ルヴィ!」

「内緒だからな」


 小声でそう囁いてウインクするルヴィに、少年エリックが嬉しそうに頷く。

 家まで送るよ、とルヴィが言い、二人は並んで歩き始めた。


「しかしよく見つけたな、欠片なんか。でも巣に近づいたら危ないだろう」

「違う、欠片だけ落ちてた。微かに魔精力が漂ってて……」


 魔物が巣を襲って食い破ったのかな、咥えて運んでいるときに落ちた破片かも、とエリックが自分なりに推測を立てている。

 まだ魔法を使うことはできないエリック。しかし魔精力の気配に敏感で、勉強熱心だった。ルヴィが治癒魔法を使うことに唯一気づいた、恐らく将来、優秀な魔導士になれるはずの人間。

 ルヴィは彼を弟のように可愛がっていた。


「母ちゃん、ただいまー」

「お帰り、エリック。……あ、ルヴィも一緒だったのかい?」

「ああ」

「ちょうど良かった、シチューを作ったところだよ。食べてくかい?」

「いいのか? 嬉しい!」


 満面の笑みを浮かべ、ルヴィはエリックと共に小さな一軒家へと入っていった。


 ルヴィの治癒の力は、十歳を越えた頃に発現した。しかしそのときには、すでに孤児となり村長宅で世話になっていた。だから念のため、ルヴィは治癒魔法が使えることを隠していた。

 村長もハリーも悪い人間ではないが、自分の力を知ればそれを利用しようと企むかもしれない。

 何しろ、治癒魔法を使える人間など、他にはいないのだから。



   ◆ ◆ ◆



「…………」


 想像していた聖女像とのあまりの違いに、目をぱちくりしてしまう。

 ルヴィ姐さんたら、男前だわ。

 でも、人と魔物の在り方などの考え方はすごくしっかりしている。さすがは未来の聖女だと思った。


『これが、ルヴィの日常の最後の日ですわ』

「最後?」

『ええ。翌日……ルヴィは可愛がっていた弟分や親しくしていた村人、そのすべてを失ってしまったのですから』

「……」


 どう言っていいか分からずそれ以上言葉を紡げないでいると、マイヤ様はゆっくりと瞬きをし、おもむろに口を開いた。



   ◆ ◆ ◆



 結局ハリーは、ルヴィの制止を聞かなかった。夜明け前に村の男連中を引き連れてディエールの森に入った。

 彼らが放った火が森を焼き、その地に暮らす他の魔物も刺激した。

 瞬く間に人間への憎悪を募らせ――そうしてやってきたのは、本来なら人間の生活圏には現れないはずのホワイトウルフの群れ。

 ディエールの森の奥深くに棲む彼らは、氷魔法ですべてを氷漬けにした。


 ハリー達が出て行ってから1時間後、ルヴィは嫌な予感がして目を覚ました。そっと起き上がって玄関に回ると、ハリーの厚底ブーツが無くなっていた。


 ――アタシ抜きで作戦を決行したのか。何と馬鹿なことを。


 ルヴィは歯軋りしながら服を着替えて装備を固め、必要になりそうなものをリュックに詰め込んで背負い、村長宅を飛び出した。

 急いで森の中に入り――ソールワスプの巣まであと少し、というところでホワイトウルフの群れと遭遇した。


 まだ遠くにいる間に気配を察したため、横穴に身を潜め難を逃れた。

 ホワイトウルフの群れがどこかへと駆けていくのをやりすごし、再び外に出る。


 そうしてさらに奥へと進んだルヴィの目に映ったのは――森の中に突如現れた、高さ1mほどの氷の塊。


 恐る恐る近づくと、ハリーの手下の一人が苦悶の表情を浮かべたまま氷漬けにされていた。前に伸ばそうとしていた右腕は、手首の先から無い。

 辺りを見回すと、ところどころに同じような氷の塊がある。すべて見知った顔が変わり果てた姿で閉じ込められていた。

 それらを辿っていくと、ひときわ巨大な氷の塊が現れた。氷の山といっても差し支えないぐらいの大きさで、その中には、村の男連中が様々な体勢で閉じ込められていた。手や足を失くしてしまった者もいる。その中には、あのハリーの姿も。

 すでに絶命していることは、すぐに分かった。


 ホワイトウルフは、後でゆっくり喰らうために獲物を一時的に氷漬けにしておく習性がある。

 それは、敵に追われているときやさらに狩りを続けるとき――。


「……まさか!」


 人間への憎悪を膨れ上がらせたホワイトウルフが向かった先は、エルダ村じゃないのか。


 そのことに思い当たり、ルヴィ慌てて村へと引き返したが、すべては手遅れだった。

 魔物に対抗できるだけの人間がいなかった村は、寝込みを襲われてあっという間にホワイトウルフに占領された。

 ルヴィが村の入口に駆け寄った頃には、聞こえるのは獲物を喰らって歓喜するホワイトウルフの雄叫びのみ。生きて動いているのは、魔物だけ。人間たちの悲鳴も家畜たちの鳴き声も何一つ聞こえてこなかった。

 しらじらと太陽が昇り始める中――ホワイトウルフの群れは、蓄えていた村の食糧や村人そのものを夢中になって貪っていた。


 ルヴィの視界が、真っ赤に染まる。

 言葉は何も出てこない。あるのは、不気味に揺らめき、グツグツと煮え滾る情動だけ。

 怒りとも嘆きともいえない感情が胸の奥から脳天まで突き抜ける。


「――はぁ……ああああ――!!」


 両手を振り上げると、ありったけの魔精力を捻り出した。それらはすべて巨大な炎と化し、目の前のホワイトウルフを包む。仲間を助けようと、あるいはルヴィを攻撃しようと飛び上がったものもすべて炎の海に巻き込まれた。


 ルヴィの放った炎は、村のすべてを覆い、焼き尽くした。事切れた村人も、食い荒らされた家畜も、それらを貪っていた魔物も、すべて。

 焼き尽くされたかつて生きていたものは、その命を魔精力へと散らし、宙へ土へと還っていく。


「うわあ……ああああ――!!」


 燃え盛る炎の海、弾ける火の粉の中を、ルヴィの咆哮が轟く。


 報復に対する報復。馬鹿なことだとエラそうにハリーに説教していたくせに、結局は自分も同じだった。

 ルヴィはひたすら、己を責めた。


 もしカッとならずに、食堂を出ないでいたなら。

 もしハリーをちゃんと、説得出来ていたなら。

 もし夜明け前に出かける彼らを、止められていたなら。

 もし森に入らずに、この村にいたなら。


 叶うはずのない『もし』をいくつもいくつも並べる。

 憤怒、後悔、悲哀、絶望……それらが、天へと届いたのだろうか。


“――娘よ。悔しいか”


 一筋の光がルヴィを照らし、どこからともなく美しい声が頭上に降り注ぐ。

 このまま死んでしまってもいい、と自らの命を燃やすように炎を放ち泣き叫んでいたルヴィは、思わず息を呑んだ。

 天からの声――まさか女神なのか、と。


“魔物に……復讐したいか”

「違う、そんなんじゃない」


 ルヴィはすぐさま首を横に振った。


「バカだ……人間も……魔物も!」

“……”

「そして、一番の大馬鹿は――アタシだ!」

“――そうか”


 ルヴィの答えに満足したような、女神の声。


“よろしい。ルヴィよ、そなたは『聖女シュルヴィアフェス』として――荒廃する地上を安寧へと導いてほしい”

「……え?」


 女神の言葉の意味もわからぬまま、ゆっくりと天を見上げたルヴィの目に映ったのは、赤、青、緑……とさまざまな色に輝く、何本もの光の矢だった。

 それらはルヴィの周囲に円を描くように突き刺さり、捻じれ、極彩色の円錐形の中に彼女を閉じ込める。


「えっ……きゃあああ――!」


 凝縮された光がルヴィの身体に降り注ぐ。


“――任せたぞ”


 そんな女神の声と共に、何千、何万という魔物たちの囁くような思念がさざ波のようにルヴィの脳裏を掠めていった。


 焔のような赤い髪は、冴え渡る月の光のような銀色に。

 やや日焼けした茶色い肌は、穢れをすべて包み込む雪のような白色に。


 こうして――『聖女シュルヴィアフェス』が、ワイズ王国の北のはずれ、辺境の村エルダに生まれたのだった。

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