52《伯爵side》シスターナの企み
リラン伯爵家の使用人たちは戦々恐々とした日々を送っていた。
臨時の使用人であるヒャトイもその一人だった。
そもそも、主たちがおかしくなり始めたのは、奴隷代わりだった少女が呪われ公爵に嫁いだのがキッカケであるらしい。
ヒャトイが雇われたのは、その少女が嫁ぐほんの少し前……ほぼ入れ替わりに近かったせいで、原因があの少女に有ると言われても、いまいちピンとこない。
彼女は、大人しく、働き者で、割と無口で……正直、無害過ぎて印象が薄い。
髪を切られて追い出されていたから、てっきり、当初は、何か大きな失敗をして、仕事をクビになったのかと思っていたのだが、後々『怪物男の元に嫁がされた』と聞いて目を丸くしたものだ。
だが、あの少女が居なくなってしばらくすると、呪われ公爵と異名をとっていた相手の名前で、見た事も無いような眉目秀麗な貴公子が訪ねて来た。
……それからというもの、主からの命令の奇妙さ・不気味さ・おぞましさに拍車がかかった。
そのため、ヒャトイにとっては、むしろその貴公子の方がキッカケのような気がしてならない。
特に極めつけは、突然、大した失態も無いのにある意味同僚だった兵士が二人も処刑されたことだ。
あれ以降、誰が、どんな理由で、どんな罰を受ける羽目になるのか……一切、判断ができなくなってしまった。
それだけではない。
……さらに、その心臓を抉り出して、中に不気味なヘドロを詰め込む作業をするように命じられ、そのうえ、誰か分からないローブの男の遺体からも心臓を抉り出すように指示される。
そして、その三つをバラバラにして『レンロット公爵領に埋めろ』と、いう常軌を逸した謎の指令。
余りの気味悪さに、逃げ出そうとしたら、一人娘を人質に取られ、退職することもままならなくなってしまった。
こんな事になるのなら、場末の食堂で働いていた以前の方が、貧しいとは言え余程マシな生活だった。
何度か娘を助け出してここから逃げようと画策していたのだが、あいにく、牢付近はシスターナ本人の監視が厳しく、幼い娘をこっそりと連れ出すのは、魔法でも使わなければ不可能。
娘の無事が確認できたのは良かったが、こんな生活、いつまで続くのか……と、絶望にきつく唇を噛みしめた。
そんな時、突如、主の3人が、揃って口やら鼻やらから噴水のようにヘドロを吐き出してのたうち回る事件が起きた。
噂では、呪いをかけようとした相手に術を返されてしまったらしい、とのこと。
ここの主人達は決して性格が良いとは言えないから……恨みを買う事もあるのだろう。
いっその事、返された呪いに耐え切れず、三途の川を渡ってくれれば……
そうすれば、娘を取り戻してこんな職場、すぐにだって辞めてやるのに。
だが、世の中そう簡単には行かないようだ。
他の使用人から押し付けられた主の部屋の掃除のために、寝室に近づくと、主の怨恨の声が響き渡っていた。
「おぼろろろろろろろ……ごほっ、うごへっ! カァァッ!! ぺっ、ぺっ!! ……はぁ、はぁ……な、なんで、私たちがこんな……目に……おえぇぇぇぇぇっ!! 嗚呼、可愛そうなシスターナ……!」
未だに、ヘドロの嘔吐は終わっていないようだ。
時折、吐き気の波が来るらしく、腐臭をまきちらし、目を血走らせながら悪態を振り撒いているのだろう。
ババンレーヌとシスターナの声を聞くと、恐怖に体が縮み上がってくるような気がする。
いっそ、体調不良で殆ど寝たきり状態のパパーダを見習ってほしい。
沈黙は金、とは、良く言ったものだ。
「これも、全部、お姉さまが悪いのよ……おねえさまが、何か白いモノを撒いて……わたくし達に嫌がらせをして来たのよ……」
「うっ……おえぇぇぇぇっ……はぁはぁ、育ててやった恩を忘れて、なんて恥知らずなアバズレなのかしら……うぅ、あんな娘、さっさと始末しておけば……はぁはぁ……!」
「お母様っ!! ねぇ、お母様、どうしてお姉さまはこんな酷い仕打ちをするの? ……おえっぷ……」
びちびち、と何かを漏らすような、濁った水音が響く。
「元々、膿や汚泥にまみれるのはお姉さまの役目なのに! 酷いわ!!」
バキバキっ! という激しい破壊音と共に、屋敷の扉が割れた。
「うわぁっ!?」
伸びて来た腐ったような魔物の足に、思わず悲鳴を漏らしてしまった。
ヒャトイの声を聞いたシスターナの濁った瞳が、哀れな使用人の姿を映し出す。
そして、すっかり少女の面影を失い、顔面から触手を生やしたシスターナが、それでも唇であったであろう位置の裂け目を三日月型に歪めた。
「うふふ、良い事を考えたわ……ネェ、貴方、お姉さまを連れ戻して来てちょうだいな」
「!?」
唐突な主からの無茶ぶりに、ヒャトイの顔色が変わった。
「確か……ああ、この、これね?」
シスターナは腰から生えた触手を、人質の捕らえられている牢の方に伸ばした。
「きゃーーーー!!」「たすけて~!!」「いやぁぁぁっ!!」「ごめんなさい、ごめんなさい!!」
突如響き渡る混乱の悲鳴。
そんな人質たちを打ち据えたり、張り倒したりしながら、目的の人間を捕えたようだ。
「うわあああぁぁぁぁぁんっ!!! おとーちゃぁぁぁんッ!!!」
太い触手にぐるぐる巻きにされ、恐怖に引き攣った顔で悲鳴を上げる幼い少女。
「!!! キディ! 止めろっ!! いや、おやめください、シスターナ様っ!!!」
それは、ヒャトイの愛娘のキディだった。
「な、何でも致します!! ですから、娘は、娘には……!」
「ええ、もちろん、貴方がきちんと仕事をこなしてくれたら、何もしないわ? ……ねぇ? わたくしのレンロット様のところに図々しくも居座り続けるあの女……お姉さまのミルティアをここに連れて来てくださる?」
「あぁぁぁぁぁんっ! あぁぁぁぁぁんっ! ごわ゛い゛よ゛ぉぉぉぉ……!!」
「わ、わかりました!! すぐに、すぐに連れて参りますので、なにとぞ、娘を! 娘をお放しください!!」
恥も外聞も無く、シスターナの足元で土下座をするヒャトイ。
その姿に満足したのか、シスターナは泣きわめく子供を、ぽいっとわざとらしく投げ捨てた。
「ぎゃんっ!」
べちゃっと床に投げ出され、犬のような悲鳴を上げる幼女。
当然、受け身など取れない幼女は牢の床に落とされた衝撃で足を捻ったのか、不自然に左足を引きずりながら、それでも必死にシスターナから離れようと端の方へと泣きながら移動する。
「さっさと行きなさい。10日たってもお姉さまを連れて来れないようなら、あのチビ……そうね、また心臓に仕事をして貰おうかしら?」
その正確な意味をヒャトイは知らない。
知らない……が、シスターナの触手に触れられた背中が、妙に冷たい。
自分の冷や汗か……それとも触手からの分泌物か。
……べっとりと服が背中に張り付く。
そしてそれは、赤黒い血でべったりとシャツが張り付いていた兵士の心臓を抉り出した時の、ろくでもない記憶を鮮明に蘇らせ、全身の震えを止めることができなかった。




