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第27話

 病院からミニョン市街へと抜ける一本道は、深夜というせいもあって、車がほとんど走っていなかった。祖母の陰鬱な雰囲気に車内の空気がのまれそうになり、レスターは息苦しさから逃れるためにラジオをつけ、できるだけ明るい音楽が流れる局を探した。陰に傾きかけた空気が、スピーカーから流れてきたばかばかしいほどに賑やかなラテン音楽で、かろうじて中和されていく。

 一つ目のワープ・トンネルが五百メートル先に迫ってきた頃、二人の乗る車が切れ切れの雲のような靄に包み込まれた。少し前、道路脇に「霧注意」の標識を見かけていたので、この辺りではよく霧が発生するんだろう、とレスターは特に疑問も感じず、近づいてくるトンネル出入口の赤い輪郭を何気なく眺めた。

 そのうちに白い霞の奥に人工的な青白い光の空間が現れ、車は赤い光の輪をくぐってその中へと吸い込まれた。トンネルに入る瞬間、レスターの上半身が見えない空圧で座席に強く押し付けられる感じがあった。


 このワープ・トンネルは、車が三百メートルを走行するのと同じ距離感で、実際には五十数キロを走り抜けるのらしい。

 時間にすれば、ほんの数秒だ。

 レスターが対向車線を走ってくる青い車のライトが消えるのに気づいたのと、車内が真っ暗に変わったのとは、ほぼ同じタイミングだった。直後、トンネルの電気までもが非常の自然発光灯を残して全て消え、視界が全て黒い世界で覆われてしまった。

 レスターと祖母を乗せた車が低いうなり声をあげたかと思うと急に減速し、数十メートルを流れるように走って道路に着地し、静かに止まった。ラジオの音も消え、運転席にある機器表示がどれもこれもゼロに戻って、エンジンの電源が勝手に落ちている。

「どうしたの? どこか故障?」

 暗い車内で祖母の怪訝そうな声が響いたが、レスターはトンネル内の消えた照明を見つめながら首をひねった。

「いや、そんなはずは――」

 試しに、車の電源に指を伸ばしてエンジンの電源を入れなおしてみたが、車には何の変化も起きない。

 それを自分の目で確認したレスターが、半信半疑だったトンネルのワープ調整エラーの可能性をつきつけられると、目の奥に鋭い冷気が走った。

 時間をまたぐワープ・トンネルに非常口は当然なく、携帯電話も通じないので、外部との連絡がとれない。時間を飛び越えるワープ・トンネル内にいる彼らは、一時的に異空間にいると言ってもいい。

 レスターが対処方法を考えながら車外を見ると、対面車線に止まった青い車の外に男が飛び出し、腕の携帯電話に怒ったようにどやしつけたかと思うと、それを腕から外して地面にたたきつけているのが目に入った。その黒っぽい小さな物体は地面を小さく跳ねて滑り、淡い非常灯の光を反射して反対車線の端でやっと止まった。

「レスター、一体、何がどうなったの?」

「わからない。車の故障じゃないのは確かだけど――ソフィー、車外に出たらダメだよ」

「ええ」

 彼が言い含めるように話すと、彼女はトンネルの壁面を怯えたようにそっと見た。

 下手に車外に出て不安定な時間のよじれに巻き込まれてしまう万が一の事態を避け、いつになるかはわからないが、外部からの救助を車内で待つ以外に方法はない。


 何だか、自分の行く先々でトラブルがついてまわっているみたいな悪循環を感じる。

 レスターは急に胸の内にあがってきた自分自身の言葉にびっくりし、それと同時に、ぼんやりとしていた自分を気づかされるような、祖母の困惑した口調で現実に引き戻された。

「レスター? レスター、聞こえてる?」

 彼が時計を見ると、助けが来るまで車内にいる、と彼が祖母に告げてから五分も経過していない。

「ああ、ごめん。ちょっとぼんやりしてたみたいだ。何?」

 携帯電話に付属の照明で車内は照らされていて暗くないが、車の電源が復活するような兆しも見られない。正面にある機器のディスプレイを二つ見た時、レスターは自分側のドアの外側に人の気配を感じた。

「レスター? そこの人、ほら、病院で会った――」

 祖母の声に促されるまでもなく、ドアの方に振り返った彼は、ドア一枚隔てた車外に立って彼を覗き込んでいるジェフリー・オブライエンの姿を見つけて驚いた。

 レスターが唖然として彼を見上げると、彼は後部ドアを手で示して口を動かした。車外の音は車のボディに遮断されてしまうので彼の声はレスターには届かなかったが、開けてくれ、と彼の唇が言っている。

「開けてくれって言ってる?」

「そうみたいだな。なんでまた?」

 車外に出る危険性を把握しているだろうマーシャがいながら、どうして父親を外に出せたんだ、と憮然としながらも、危険な車外に彼を放置しておくわけにもいかず、レスターは電源が落ちて手動に切り替わっていたドアロックを解除し、外の彼に鍵を開けたことを合図して知らせた。彼は満面に笑みを浮かべ、ありがとう、と唇を大げさに動かし、後部ドアに手をかけた。

 レスターが後部座席に体を向けると、右に引かれたドアの開放部から、ジェフリーではなくマーシャが身を滑らせて入ってきた。

「ありがとう」

 彼女の両目はまだ赤く、まぶたがうっすらと腫れていた。

 レスターが呆気にとられていると、彼女の後ろからジェフリーが体を折り曲げて車内に乗り込んできた。彼は座席に腰を降ろす前に、後部ドアを素早く閉めた。ありがとう、と、彼は娘とまったく同じ調子で言った。レスターは彼に微笑み返し、彼がシートにきちんと納まるのを見て、ドアロックを掛けた。

「どうかされたの?」

 祖母がレスターの隣から後部座席をのぞきこんで訊ねると、ジェフリーは頬を指で掻き、レスターにも微笑んだ後に間延びした調子で口を開いた。

「いきなりすいませんでしたね。トンネルがこんな状況で車から出るのはどうも気が進まなかったんですが、娘が、皆が一緒の車内にいた方がいいんじゃないかと言うんでね、あそこの青い車は定員いっぱいに人が乗っているみたいですし、勝手ながらこちらに来させてもらったんです。調整エラーなのか何なのか知りませんが、こんな事故に遭うとは驚きですよ、トンネルで身動きできなくなるなんて・・・・・・初めてです。深夜ですし、救助が来るまでにどれくらいの時間がかかるんでしょうね? 何事もなく、早いうちにここから出してもらえると有り難いんですがねえ」

 父親が話をしている間、マーシャは車内の左端に体を寄せて窓の外を見つめ、レスターたちの方を見ようともしなかった。

 祖母がジェフリーと話をし始めたので、レスターは体勢を直し、バックミラー越しに何気なく後ろを見た。祖母の体の脇に置かれた携帯のライトの光はフロント座席に阻まれて後部座席までは届いておらず、薄闇で彼女の体が気弱そうに縮まっている。

 その小さな鏡の中で、レスターの瞳は、動揺して不安そうなマーシャの瞳とまともにぶつかった。めったに発生しない調整エラーの危険性を把握していない彼女の父やレスターの祖母ののん気さとは違い、彼女がレスターに寄せる視線には一抹の恐怖が含まれている。

 レスターはマーシャに接するとある種の苛立ちを感じる場合がほとんどだったが、彼女のそんな態度を見ると、彼の胸から薄い一皮がそがれ、その表面下から血がじわりとにじみ出すようで、胸が妙にひりひりとした。

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