第一集:鬼界随一の縫い師(22.5集)
鬼界の最東端の山奥にひっそり、宝形造の殿が建っている。宝形造は建築物の屋根形式のひとつで、屋根はすべて三角形だ。大棟のない八角形の八注様式の古びた建物は厳かで凛々しい。
反っている屋根瓦は黒く、壁は赤だ。巨大な鬼の右手が屋根に乗っていた。薄黒い肌で先の尖る爪は長い。無論、偽物の模造品だ。
桟唐戸は戸が嵌められていない。白布に九字護身法の組手が赤文字で描かれた暖簾がかかっている。
背後に同じ殿が三つ並んでおり、左は龍、真ん中は虎、右は蛇、が屋根に寝そべる形でいた。其々色彩豊かだ、こちらも本物ではない。
継いで三つ銘々、重量感のある鉄製の錠前、花弁が装飾された阿波錠で閉められてある。機能性も優れていて解錠の操作はややこしい。所謂、鍵穴が隠された絡繰り錠だ。
「……っしゃ、やっと着いたぜ」
亥の刻に差し掛かる時刻、家の主が裏手の山道を下り帰宅した。鬼界に生息する幻の鱗翅目、怪蛾に属す怪蛾紅の红色幼虫を背中に背負っている。途中で摘んできたクワの葉を敷き、二メートル弱ある幼虫を降ろした。
「今月はツイてんぜ。お前で二匹目だ、しっかり頼むぜ」
怪蛾紅は蛹になるため、クワの葉を食べ、体内に蓄積したタンパク質、シルクプロテインで構成される動物性の天然繊維を、たった半日で3,000mは吐き出す。消化管に溜めた栄養素で繭の色は変わる上に、生糸になった際の出来が異なる故、食事や環境は最善の注意が必要だ。基本的に糸は一本で繋がっていて、怪蛾紅の繊維は鬼界で古来より美しいと称され、繊維の王と異名があり、希少価値は高い。
男は幼虫が葉を齧ったのを見届け、邪魔にならぬよう、音を立てず離れた。そこへ丁度、二匹の火の犬が駆けて来る。
「――あん? 孤魅恐純様の犬じゃねえか、お使いか?」
男は犬が銜えた手紙を受け取り、折られてある紙を広げ読んだ。二行程度の文章は鬼語で書かれてあった。
「……えー、となんだって? 婚儀が明後日になった。明日の巳の刻の初刻までに婚儀衣裳を用意し渡しに来い。期限を過ぎればお前の血筋は老若男女問わず滅ぼす、って――んだこれマジか!? 孤魅恐純様の婚儀は三百年後だろ!? 献上も三百年後の予定だろうが!!」
男の名は针裁、鬼界随一と謳われる縫い師、着物職人で、孤魅恐純が己の婚儀衣裳を任せた二本角の黒鬼だ。
顔立ちは良い。二重瞼で黒い虹彩に薄黒い眼球、鼻根と鼻尖を繋ぐ鼻背は整っている。黒い唇や若干の黒い肌、爪は黒鬼の特徴だ。歯や舌は黒くはない。三災鬼のひとりの黒鬼、招死笑滅などは例外だ。彼は鬼力が強大で歯や舌は黒い。
黒髪の長髪は頭上にて丸めてあった。毛糸玉の髪型だ。先端に直径30㎝の目玉が装着してある50㎝の待針が束ねた髪に挿してある。
服装は体をすっぽり覆った黒のポンチョ風のワンピースだ。ゆったりしている身幅は軽い。一枚布で作られていた。白生地に黒や赤の眼玉の柄は歪だ。裾に付いてある紐は左右にふたつ、計四つ伸びていて、朽ち果てた人間の頭蓋骨が先部分に括ってある。カラカラ、地面を転がり音を鳴らしていた。
足は裸足だ。靴や靴下は履いていない。黒い針を数本、両足の甲に刺している。
背丈は190㎝あった。
「……オイ犬っころ、こりゃ冗談じゃねえよな?」
「…………」
低く枯れている声音で针裁が確かか訊ねたものの、外炎が夜風で舞う火の犬は役目を終え、無言でふわっと消滅した。通常通りの扱いだ。
「……チッ、あーと追伸……、期限を守れば向こう百年、お前の活動を上限無しで支援す……る……って、おいおいマジかよ……読み間違えじゃねえよな?」
针裁の縫製仕事は素材調達にお金がかかって仕方がない。孤魅恐純は財布が分厚く言値で買ってくれるが、他は原価以下の取引が多い。自分の物裁ちに妥協できない针裁は常に赤字だ。もし条件を飲めば趣味の創作も幅が広がる、百年はやりたい放題の内容だった。
「……上等じゃねえかよお!!」
鬼界の三災鬼の一鬼、死屍累々の屍肉を積み上げる殺戮の象徴、孤魅恐純の結婚は鬼族の黎明期だ。歴史に絡んだ大仕事は絶好の機会でもあった、日取り変更の想定外を乗り越えてこそ鬼界随一の縫い師の称号に相応しい。
针裁は急いで暖簾が垂れた家の玄関を潜り、ごちゃごちゃしている机を片付け、否、乱暴に片手で床に落とした後、審美性が根源にある計画的な図案を練り始めた。
「時間がねえッ、徹夜だボケエ!! 丁度、怪蛾紅がいる運がいいぜ!! オレ様の腕、見せ付けてやる!!」
暴言を零すが针裁の表情は生き生きとしている。情熱が滾った瞳の奥の気魄は鋭い。
――後日タリアが针裁製作の花嫁衣裳を「とても気に入った」と喜び、孤魅恐純は针裁に多額の褒美を与えたのだった。
おはようございます、白師万遊です(ღ˘ㅂ˘ღ)
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