第六集:柳緑村
「――え、暫く帰って来れないんですか!?」
煤けている虚が目を丸くした。後方で炎紅城の一部、寝室の瓦礫がガラガラ崩れ落ちている。
「ああ、ごめんね虚」
「いえっ、タリア様!! 孤魅恐純様、炎紅城はこの虚にお任せ下さい!!」
「行こうタリア」
焔は虚に返事をしない。けれどそれは容認したも同然だ。
虚もわかっている。そしてつい、ポロリ、余計な一言を零してしまった。
「照れてらっしゃるのか」
「――衝天万炎!!」
「ギャアアア!!」
「ああっ、焔やめて!!」
タリアが向かう国の面積は約330万7700平方キロメートルあった。広大な国土は、言語、文化、民族が混在している。多文化社会は宗教観や価値観の見識も広い。
「我、百罪百許を授ずけられし神、地上に並ぶものなし」
不安を抱きながらタリアは開いた移境扉で焔と共に下界の西、最西端の柳緑村に到着した。砂の大地だ、茅葺屋根で平坦な円柱の家がある。家々で異なった壁画は、独自の趣向が凝らしてあり美しい。野趣に富んだ里村だ。
「……助かった」
流石に330万の面積はない。村の規模は区区だが、柳緑村は外面的に人口数百人程度だった。小規模なら情報が集め易く、何かあった場合、人間も守り易い。
のどかな村の印象だ。魔除けになるミラー刺繍の敷物や、パッチワークで様々な色と模様の布を接ぎ合わせて作った壁掛けが干されてある。色彩豊かな光景に翳りはない。幽霊騒動や行方不明者がいると思えない、落ち着いた空気があった。
「タリア、寒くない?」
下界は師走の季節だ。タリアと焔は色違いの外套を羽織っている。鬼界の安定した気候が幾何か名残惜しい。
「外套で平気だ。ありがとう焔」
この国は地理的に地形も多種で、七つの気候区分に分割されている。西部は乾燥砂漠気候で乾季のいまは日中の平均気温は15℃だ、山麓に位置する土地の冷え込み具合はタリアのいる村と大差がない。
「タリア」
顎をしゃくる焔にタリアが振り向いた。ハオティエンとウォンヌがいる。
二人の服装はチェッコ式の黒軍帽に黒軍衣、所謂、天上界の武官の軍服だ。袖口の折り返しとズボンサイドは黄色の縁で囲まれており、左の裾に脇裂と剣留がある。高く仕立てられた襟、黄色の襟章、銀色の肩章はモール編みタイプだ。下は黒い短袴に同色の長靴、要は乗馬ズボンに乗馬ブーツを穿いていた。
軍帽の鉢巻と天井部のパイピングは黄色だ。軍刀の柄は黒漆の塗られた鮫皮に黄色の高麗組糸で菱巻に巻かれてある。鞘も黒漆塗りで鍔は装飾のない一般の丸型だ。
軍刀は上衣の下に黄色い刀帯を締め、上衣の脇裂から覗かせて使用する。二人はタリアの見慣れた装いであった。
武官は武器携帯を定められた官職で軍事に携わる官史だ。五事官に託された任務を全うする。上級三神の護衛や補佐の役目もあり、神兵二人は志願してタリアのもとに降りて来た。タリアの侍衛になりたい神々や、任務に同行したい神々は数多にいる。常に高倍率だ。収拾がつかず度々、頓挫する事例が多い。
神兵二人が如何様な方法で勝ち取っているかは未だ謎だ。
「久しぶりだね二人共、元気だった?」
「…………」
「…………」
無言で二人は拱手した。タリアが片頬を掻き、苦笑する。
「あー……ハハ、すまない。許可しよう」
「タリア様!! 孤魅恐純とご婚約なされたって噂が!! 誠でしょうか!?」
ウォンヌが矢継ぎ早に質問してきた。
ウォンヌは前髪を眉の上で、後ろ髪は顎のラインで切り揃え、毛先を無造作に遊ばせている。個性がたっぷり演出された金髪のブラントカットだ。
金色の瞳で二重瞼、平行眉に鼻筋の通った高い鼻、顔立ちは人形のように可愛い。
両耳に横五センチ、縦ニ十センチの神札の、父親ウリと同じピアスをぶら下げていた。潔癖症の男神で両手に黒いラム革の手袋をしている。黒いシンプルなデザインのクリアゴーグルも、しっかり首にかかっていた。恐らく除菌シートも持っている。
「えっと、婚約……、の定義が私はわからない。無知ですまない……」
恋愛初心者のタリアは正直に答えた。恋愛、婚約、結婚、と自分と縁遠い単語を辞書で調べた試しもない。
「三百年後、俺に嫁ぐ証をアイツがくれた。婚約中だ」
焔がタリアの左耳に垂れる朱と桜色が織り交わった菊結びのタッセルを触る。焔が天上皇の御前で恋仲を明かし、焔が自分にタリアが嫁ぐ証を天上皇に貰った。二人は同棲もしている。順番は兎も角、焔的に「婚約」の成立はしていた。
「アイツはやめなさい焔……、天上皇だ」
天地、宇宙、万物の創造主に「アイツ」は無礼千万だ。タリアが訂正するが、意に介さず、焔は前言の同意を求める。
「婚約中だよね、タリア」
「……え、あ……うん、婚約中だ」
「タリア様に強制的に言わせるな!!」
「タリア様、婚約破棄をなさっては?」
怒鳴ったウォンヌの横に立つハオティエンは、握る拳に怒りを逃がし冷静を装って進言した。
ハオティエンは長髪の黒髪を頭部の高い位置でひとつに束ねている。小顔のしょうゆ顔で黒い瞳、小鼻の狭い高い鼻、左目の下に黒子があり、父親アレス同様に容姿のいい男神だ。
「……ハオティエン、身長伸びた?」
タリアはハオティエンを見上げた。ウォンヌは185㎝と伸びていないが、ハオティエンは190㎝と伸びている。
「まあ4㎝伸びましたかね、じゃなくて――」
「壱と弐は煩い。タリア、さっさと片付けて帰ろう」
焔がハオティエンの言葉を遮断し、タリアの右腕を引いて歩き出した。すれ違いざまに睨み合う三人に、タリアは気づいていない。
柳緑村の女性達は五メートルの長大な一枚布を体に巻き付けている。その上に厚手のストール、下は長袖で丈の短いブラウスに巻きスカートだ。鮮やな生地、染色、織り方、着方は多様で、流線型が優美な民族衣装は心を楽しませてくれた。足元は足袋の靴下を履いている、靴は民族調デザインのエスニックサンダルだ。
男性陣は顔周りにマフラーを巻き付け、上は襟部分に四つのボタン留めがあるニット製の長袖のポロシャツに、下は綿の生地で出来たチノ・パンツを穿いていた。堅苦しくない服装だ。靴はフラットサンダルだが疎らに裸足の者もいた。
「民族衣装、買っていく? きっと似合うタリアに」
「……どっちの服か言わないでくれ」
耳語する焔にタリアは両耳を塞いだ。ほんのり両頬が赤い。
タリア一行は暫く村を散策する。村人は田畑を耕す者、牛に餌をやる者、牛糞燃料を捏ねる者、家畜の世話をする者、雑草を刈る者、洗濯を干す者、皆一様に精を出し輝いていた。
ウォンヌが辺りを見渡し、違和感を独り言ちる。
「なんだか至って平和だな」
「ああ。数週間に数十人の行方不明者、夜は青銅の面具を付けた軍隊の霊だ。もっと戦戦恐恐としないか? 和やかが逆に不気味だな。女ばかりも奇妙だ、国柄もあるだろうが部外者の俺達にすら警戒していない」
ハオティエンが頷き、同調した。
「(……村の場所は間違っていない)」
先入観を捨て俯瞰的に見なければ本質を見失いそうだ。二人の会話にタリアが耳を傾けていると、近くにいたひとりの少年が駆け寄って来る。
「――なあ! いまアンタ達、行方不明者って! 捜してくれるのか!? 俺の幼馴染ッ、捜してくれ!!」
十八歳前後の少年は170㎝半ばの身長だ。浅黒い褐色の肌で、二重瞼の大きい目、黒い瞳、手入れされていない太い眉毛に、唇は厚く、鼻は高い。彫りは浅いが小顔だ。
「キミは? 柳緑村の子か?」
「ああ! 俺はクリシュナ!! アンタ達は!? ウチの国じゃ、ないな。鬼角……って鬼!?」
タリアの所在確認にクリシュナは名乗り、四人の身形に首を捻った。継いで焔の鬼角に驚愕し、一歩後退る。正常な反応だ。
「こっちの天地随一に尊い男が桜道士様、俺は桜道士の恋人、以下略」
「略すな!!」
焔の紹介にウォンヌが噛み付いた。ハオティエンは軍刀の柄を掴んだ。三人は喧嘩に飽きない。
「やめないか三人共! 彼ら二人は私の一番弟子だ。武術に長けた優秀な子達になる」
「タリア様……っ!!」
「くっ……、過分な評価、光栄に存じます!」
焔の発言を修正するタリアに、ウォンヌとハオティエンは涙ぐんだ。クリシュナは率直な感想を伝える。
「へえ……、変な一行だなアンタ達……」
「アハハ……。それでクリシュナ、幼馴染を捜しているのか?」
「ああ。いなくなって二週間、いや三週間目になる……」
タリアが本題に戻した。三人は火花を散らしている。タリアの「気にしないで」の一言に、クリシュナは淡々と語り始めたのだった。
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