第零集:神は君だけ(後)
「……本当にいた」
焔の呟きは震えていた。背中越しに抱き締められているタリアは身を捩り、焔と向き合う形で、彼の左頬に触れる。
「どうしたんだ?」
上目遣いで聞いたタリタの虹彩に反射する、長い睫毛を半分下げた焔は、悲しいような嬉しいような複雑な表情を浮かべていた。タリアは不安げに、焔の顔を覗き込んだ。
「――焔?」
「…………」
タリアが自分を心配している、それが焔は嬉しい。タリアがいなければ、「生まれてきて良かった」なんて思える日は永遠に訪れなかった。
焔はタリアの左手に自分の右手を重ね、擦り寄り、溜息交じりに答える。
「……ちょっと思い出してたんだ、五百年前を」
「五百年前って、キミが天上皇に封印されたときか?」
「まあね、あの花はタリアだったのかな」
封印されて眠りにつく間際、彩り豊かな花びらが飛んできた。いまでも憶えている。温かくて優しい香りはタリアにそっくりだ。
「花……うーん……。ああ、うん、そうだ。五百年前のあれは、私がキミに捧げた癒しの花だよ。キミが村を襲っている最中、天上界は慌ただしくてね。私も地上に降りると言ったんだけど、エルに止められて、私は地上に降りられなかった。だからせめて人間と神官に弔いの花を、癒しの花はキミの傷付いた心を和らげ――」
「――ありがとう」
タリアの言葉を遮り、焔は礼を告げた。タリアの手の平に唇を寄せ、天地で唯一の愛しい存在、自分の居場所を確かめる。タリアの肌は滑らかで肌理が細かい。
「……っ、焔……」
「タリアだけが俺の神だ」
五百年前、一度、すでに焔はタリアに助けられていた。慈悲の花々はやり場のない怒りを鎮め喪失感を埋めてくれた。それは紛れのない事実だ。
タリアを堪能する焔は気が付いていなかった。上位神タリアは触れられることに慣れていない。故に茹蛸状態だ、沸いた頭がプスプス湯気を出している。
「………っ、焔、その……擽ったい……」
タリアの絞り出した精一杯の抗議は、恥じらいに溢れていて可愛い。不慣れ感が焔の男心を擽った。
「これは癖になる」
火鬼の戯れは質が悪い。無視する焔に、困った様子でタリアは眉尻を下げる。
「ほ、むら、……!!」
上位神タリアは純粋で無垢、善の塊だ。一方で焔は不純で残忍、悪の塊だ。
「……もうちょっと、大丈夫、俺とタリアしかいない」
焔は甘美な声音で囁いた。
「……っ」
蠱惑する眼差しで射抜かれたタリアの心臓は爆発寸前だ。色気を伴う妖しい朱色の目がタリアを捉えて離さない。
甘い雰囲気が二人を包んだ。焔の左手が自然と動き、タリアの桜色の髪を巻き込んで細い首裏を支える。
蝶々が好む蜜の如く艶めいたタリアの唇に焔が引き寄せられ、合わさる5㎝手前で、タイミングよく邪魔が入った。
天上界の神官、武官のウォンヌとハオティエンだ。
「――孤魅恐純!! おま、タタタリア様に!! 上位神タリア様に!! 失敬千万な!! 今日こそ蜂の巣にしてやる!!」
「――タリア様が居ないと捜し回って正解だったな、辺鄙なところにタリア様を連れ出し、剰え不埒極まる振る舞いを……!! 孤魅恐純!! お前を断罪する!!」
和弓に矢を番えるウォンヌ、軍刀を抜刀したハオティエン、二人の登場に焔が急に黒い影を背負う。焔はタリアと出会い初めてが増えた分、五百年で、した経験のない後悔も多くなった。両肩が炎で揺らめいている。
「……消滅させておくべきだった」
「焔だめだ、落ち着いて」
タリアも展開の移り変わりに情緒が忙しい。赤かった耳輪がいまは青白い。
「待っててタリア」
焔はタリアに微笑んで告げ、継いでハオティエンとウォンヌを睨んだ。鋭い眼光で断言する。
「――殺す」
「こっちの台詞だ火鬼!!」
「決着つけてやる害虫が!!」
「あああ、誤解だハオティエン、ウォンヌ!! 焔もっ、やめなさい三人共!!」
三人は相容れない犬猿の仲だ。案の定、定番となりつつある喧嘩が勃発した。蒼天の下、四人の戦いが始まる。勝者は言わずもがな、上位神タリアであった。
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