第76話.野心家……
秋に入ってから、軍事訓練に最適な気温が続いていた。
冬になる前に少しでも兵士たちの熟練度を高めておきたい。そう思った俺はほぼ毎日訓練を行った。これは人に任せることができない。俺が直接やるしかない。
俺に与えられた600人は元組織員たち……つまり体格のいい男たちだ。基本的な身体能力なら優れている。問題は士気と規律だ。軍隊の戦闘力はこの二つで決められると言っても過言ではない。敵と近接戦闘を行う時、怯まず隊列を維持できる方が圧倒的に有利だ。だから俺も士気と規律を中心に訓練を行った。
この場合、大事なのは信賞必罰だ。賞すべき者は必ず賞し、罰すべき者は必ず罰する……比較的に簡単なことではあるけど、常に注意を払わないと疎かになりやすい。
勇敢な指揮官の存在も大事だ。いくら訓練されていても、指揮官が臆病者だと兵士たちも臆病者になってしまう。逆に言えば……指揮官が勇敢なら兵士たちも勇敢になる。『1頭の獅子に率いられた羊の群は、1匹の羊に率いられた獅子の群に勝る』というわけだ。
日頃から兵士たちを訓練させ、規律を確立し、信賞必罰を行い、先鋒で勇敢に突撃する……今俺はこれらの役割を全部1人で担っている。そもそも俺くらいしかできる人がいないからだ。
『レッドの組織』の一員たちは、みんな勇猛ではあるが軍隊の指揮については門外漢だ。俺の役割を分担してくれることができるのは『有能な副官』だけど……俺の軍隊には存在しない。
ふとドロシーを思い出した。彼女こそ俺の求める『有能な副官』になれるはずだ。もちろん貴族である彼女が俺の副官になることはまずあり得ないけど。
結局俺が直接やるしかない。その事実を誰よりもよく知っている俺は、ほぼ毎日兵士たちと一緒に過ごした。
そして秋も終わりに近づく頃……この王国の国王、『パトリック・キネ』が死んだという知らせが来た。
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パトリック・キネ……その男の存在は、この『ウルぺリア王国』にとって災難だった。
7年の統治で、やつは国王としての義務をほとんど放置したまま自分の欲望だけを満たした。そのおかげで自分自身の体はもちろん、王国の状況も悪化させた。一般市民たちからすれば……やつは本当に災難でしかなかったのだ。
そのせいなんだろうか、国王が死んだのに悲しむ人は多くなかった。人々は悲しみよりも……不安に包まれた。これから混乱が始まることに気付いたのだ。
しかし逆に盛り上がり始めた連中もいる。乱世こそ己の力を世に示して、勢力を拡大する機会だと思う『野心家』たちだ。
その野心家の中の1人である『ホルト伯爵』が俺に降伏勧告を送ってきたのは……11月の事だった。
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ロベルトの屋敷で、俺はその手紙をゆっくり読んだ。
「へっ、大胆なやつだな」
思わず笑ってしまうと、ロベルトが緊張した顔で「どういう内容ですか?」と聞いてきた。
「『降伏すれば命だけは助けてやる』という内容だ」
俺はロベルトに手紙を渡した。ロベルトは手紙を読んで目を丸くする。
「いくら国王が逝去したとは言え、これは……」
原則として……この『南の都市』は国王の支配下にあり、他の領主の干渉を受けない『自由都市』だ。ゆえに国王が死んだ今は事実上『主のない領地』ではあるが……それはあくまでも『新しい王が就任するまでの間』だけだ。しかしホルト伯爵はそんな事情など構わずに『降伏しろ』と脅迫してきた。
「『保護してやる』という口実で手を出してくるかもしれないとは思っていましたけど……」
「こいつはそんな回りくどいやつではない」
俺も似たようなもんだから分かる。ホルト伯爵には……悩みも迷いもない。
「しかもこんなに早く行動に出たということは、ずっと前から準備をしていたということだ」
「そんな……」
ロベルトが冷や汗を流す。
「ロベルトさん、ホルト伯爵の兵力はどれくらいだ?」
「正確な数字は分かりかねますが……6000、または7000くらいだと推測されています」
「かなり多いな」
俺の軍隊に比べれば最低でも10倍以上か……。
「ご存知の通り、彼はこの都市の北西に広がっているカダク地方の領主です。カダク地方はそこまで豊かではありませんが、広大で人口も多いところです」
「ふむ」
「……どうしますか?」
ロベルトが暗い顔で俺を見つめてきた。
「この周りの領主の中で、援軍を送ってくれそうなやつはいないか?」
「いないわけではありませんが、果たしてホルト伯爵に対抗してくれるかどうか……」
まあ……自分の命をかけてまで、こちらに味方してくれる人間は少ないだろう。
「可能性は低いだろうが、一応要請を出してみよう」
「はい」
「それに……警備隊隊長オリンのことだけど」
俺は手紙を持ち上げた。
「やつもこれと同じ手紙をもらったはずだ。明日会談したい」
「分かりました。手配します」
ロベルトにいくつか指示を出してから、俺は彼の執務室を出た。そして屋敷の正門へ足を運んだ。
「レッド!」
少女の声が聞こえてきた。振り向くとシェラが急ぎ足でこちらに向かっていた。
「久しぶりだな。元気にしていたのか? アイリンはどうしているんだ?」
「私もあの子も大丈夫」
そう答えるシェラの顔から不安が感じられた。
「あんたと父さんこそ大丈夫?」
「大丈夫さ。心配するな」
「……ね、レッド」
シェラが俺に一歩近づく。
「私にできることがあれば言ってね」
「ああ、そうさせてもらう。ありがとう」
「うん」
たぶんシェラは父の顔色を読んで薄々気付いているんだろう。何か大変なことが起きたに違いないと。だから不安を感じている。
俺はつい手を伸ばして、シェラの頭を撫でた。シェラは少し驚いたようだが、じっとしていた。
「今度は一緒に食事でもしよう」
「う、うん……」
赤面になったシェラと別れて、俺は屋敷を出た。




