1話「20歳年上の妹」
8月半ばのエルフの国、カエルの声が響き渡る、風のない真っ暗な夜。
秋が入学式や始業式のシーズンであるこの国では、夏のこの時期が終業式や卒業式の季節。
それゆえ何かとイベントも多い時期だ。
8月半ばの今日この日もまた、そのイベントの真っ最中。
日の暮れた現在、時刻はPM7:59、もうすぐ8時。
街には明かり一つ灯っていない。
本来この時間、街は魔法や科学の灯で満たされ昼より明るい時間だが、今日この日だけは一切の明かりが消えていた。
全てはもうすぐ開催されるイベントの為である。
「エリちゃんエリちゃん! 開始まで一分切ったよ! こっち来なよ! 見逃しちゃうよ!?」
俺の住む孤児院では半袖半ズボンの幼馴染エルフ"クリス"が、そのイベントが始まるのを窓辺でピョンピョン飛び跳ね待ちわびている。
エルフの国の首都は海抜が高く、その上北極に近いため、夏でも夜は少々冷える。
にもかかわらずその赤毛の馬鹿は、半袖半ズボンの出で立ちで、全開に開いた窓から外を眺めている。
寒いのは苦手だから、窓は閉めて欲しいのだけれども。
「えー、でもでも! 今年は南側だからこの窓から身を乗り出さないと見えないし……」
俺の要請に異を唱え、赤毛の幼馴染が何か言いかけたその時、時計の針が午後8時ちょうどを指し示した。
同時に、重く響く鐘の音が、街のいたるところから響き渡り、それを合図に夜空へいくつもの光弾が撃ち出される。
星空をバックに伸び上がった複数の光弾は、ひゅるひゅると音を立てて空へと飛び立ち、やがてドカンと弾けて光の花を咲かせた。
「あー!! エリちゃんエリちゃん始まった! 始まったよ花火! ほらほら、こっちきて!」
午後8:00、イベントの開始時刻。
"ハナビ"と呼ばれる煙火が、空へと撃ちあげられたのだ。
8月半ばの今日この日、この煙火の為に街は灯を消していたのだ。
「今年もすごいんだよ! 花火の数5万発だって!」
クリスは空に撃ちあがる光の花にいたく興奮し、窓から落ちそうになりながら空を見上げている。
いや、クリスだけではない。
この肌寒い夜に河原へシートを敷き、数時間も待ち構えていた者。
わざわざ遠くから空を飛びやってきて、そのまま滞空し出来る限り近くで見ようとする者。
魔法で空間を繋げて、家で悠々と観賞する者。
エルフの国の住人たちは、思い思いの方法であの"ハナビ"とかいうのを待ちわびていた。
イベントが始まると同時に、彼らは歓声を上げている。
「ねえねえエリちゃんどうしたの見ないの? あの花火、今年は特別すごい加護があるってみんな言ってるよ?」
エルフの国のイベントは、基本的に全て呪術的な意味が込められている。
空に撃ちあがるあの光弾も、きっと魔法か何かがかけられているのだろう。
しかし生憎、俺は今年この煙火を一瞥もしないつもりでいる。
前世では火星暮らしだった関係で、あのハナビというモノが苦手で……
「ねえねえエリちゃんってば……」
空から響く大きな音と振動、そして火薬の臭いが、前世の記憶を呼び起こすのだ。
かつて火星で起こった木星軍の武力介入に、あのハナビとかいうのが似ているのだ。
それに何より……
「ねぇねぇ」
……ええい、さっきからなんだよクリス、やめい! 腕を掴むな!
離せってばこの短パン野郎……この……あの、ちょっ……離してくださいお願いします……
「弱っ!?」
お前みたいなゴリラと違って俺はか弱い乙女なのだ。
「ゴリラ呼ばわり!?」
あー、いやスマン、ゴリラは言い過ぎた……その、えーっと、サイボーグ?
「哺乳類ですらない!」
いや、サイボーグは機械化した生命体だから解釈次第では哺乳類でも……
「いや、もう定義の話なんてどうでもいいんだよ!? 花火を! 見よう! って言ってるんだよ!」
話題がハナビに戻ってしまった。
いやあ、もう少しサイボーグの話をしていたかったなー!
「そんな事してたら花火終わっちゃうからね!? さあさあ窓際へカムヒアだよ! ちゃんと毛布も用意してあるから!」
抵抗むなしく、背も胸の標高も低いちんちくりんゴリラに連れられて、俺は窓際へとズルズル引っ張られていく。
約2時間、ハナビを見ずにただ座るだけ。
これが今年の俺のハナビ大会、辛い。
正直言えば、きっぱり「嫌だ」と否定すればこの赤毛ゴリラはこうも強引な行動はしてこない。間違いなく。
にもかかわらず、今日のような結果に毎年なってしまう理由はただ一つ。
「神様仏様竜神様、今年も"家族"と無事過ごせました! ありがたやありがたや」
エルフの国の、今日この日のイベントは、"家族と共に過ごす物"というしきたりが存在するからだ。
そして、この孤児院に暮らす孤児は今、俺とクリスの二人のみ。
孤児院の管理人はヤクザなおっさん、子持ち。もちろん自分の家族と家にいる。
そんな状況で、この馬鹿を置いてどこかへ逃げるのは流石に憚れる。
普段は何かしらのイベントのたびにこの孤児院へ遊びに来る友人達も、今だけは家族と共に過ごしている。
どれだけ忙しかろうと、どんな理由があろうと、今日だけは必ず家族と過ごす……そういうしきたりらしい。
きっと呪術的意味があるのだろう。
しかし、だからこそ……
「ねぇねぇエリちゃんも拝もうよ? 今年は神様的な何かが花火に込められてるんだってみんな言ってた……よ……?」
だからこそ、ハナビが嫌いとかそういうのは抜きに、俺はコイツと一緒に花火を見るべきではない、と思う。
俺はコイツと同じ血を引いていないどころか、同じ星で生まれてすらいない異邦人なのだから。
家族と一緒に過ごす事が重要なイベントなら、家族でないモノと一緒に過ごすのはきっと、純粋なエルフのコイツにとってはよくないだ、痛ぁっ!? 急に何、いだだだだ!?
「もしもーし、聞いてますかー?!」
痛い! おまえっ、クリス! 耳! 耳を引っ張るな馬鹿!!
ヒトが真面目なこと考えてる時に何をする!?
「エリちゃんこそ、この大事な花火大会に何をボケーっとしてるの? さあさあ一緒に拝まないと! ご利益貰えなくなるよ?」
だからって耳ひっぱることないだろ!?
「だって、いつもちょうどいい位置に長い耳があって引っ張りやすいんだもん、エリちゃんの耳」
俺を真っ直ぐ見据える赤毛の馬鹿の赤い目には、金髪碧眼で元超絶美少女のエルフもどきたる俺の姿が映っている。
俺と同じ年に俺と同じ森に捨てられていた、純正エルフのその目には、完璧ではない体に他所の世界の魂が混じった、俺と言う"不純物"が映っている。
不純物。
この事を意識し始めたきっかけは今年のゴールデンウィーク。
何だかよく分からない変な奴に、「お前のこの体、本当はエルフじゃなくない?」といった趣旨の言葉を吐かれたから。
たったそれだけ。
しかしあれから数か月、自分への嫌悪感は日増しに増えている。
今まで自分が友人達と対等でいられたのは、同じ場にいられたのは、完璧なる超絶美少女エルフとして新たに生を受けたからこそ。そう信じて生きてきた。
多種多様に魅力的な友人達の中で、負けじと自分も超絶美少女エルフだから、共に在る事が許されていると思っていた。
だが認識は覆された。元々"ちょっと普通のエルフとはちがうかなー?"とは思ってはいたのだが、はっきりしてしまった。
自分だけ、皆とは違う、不純物。
「……? どしたのエリちゃん?」
「なんでもねえよ」
「……? あれ? なんか今……あれ? いつもと違うような……? まあいいや、さあさあ、花火見ようよ!」
しかしまあだからといって、今年に入って唐突に「お前とは一緒にいられない」等とこの幼馴染を突き放してしまえるわけもなく、かといって割りきって一緒にハナビを楽しむわけでもなく。
中途半端な宙ぶらりんな状態で、これからハナビ大会の2時間を過ごすことになる。
他の誰でもない、自分のせいなのだが……
「……って今度は電話! エリちゃん、電話! 携帯電話鳴ってるよ!」
物思いにふけりはじめたところで赤毛の幼馴染が騒ぎたて、促されるがままに俺は自分の胸ポケットに手を入れる。
確かにスマホへ着信が入っている。マナーモードにしていて気づかなかった。
「しかし今どき携帯ってお前、スマホって言えよ年寄りくさい」
「いや、いいから出なよ!?」
赤毛に再度促され、ポケットからスマホを取り出すと、画面には見慣れた友人の名前。ルチアの三文字が。
「ルーちゃん? なんだろう、花火大会の真っ最中に……?」
なんだか面倒事の予感がひしひしとするが、着信を拒否するわけにもいかない。
恩義のある友人だ、とりあえずは通話ボタンをおして返答の意を表さねば。
「はいもしもし、こちら超絶美少女アリエルさんですが」
胸の不安と自己嫌悪を外に出さぬよう必死に抑え、少しふざけて電話に出ると……
"もしもしエリちゃんさん? ウチ、今あなたの家の前にいるっす……"
俺の二倍はふざけたセリフが返ってきた。
「……いたずら電話なら切るぞこの野郎」
"待って下さい! 違うんすよ、別にメリーさんじゃないんすよ! ただの事実の羅列なんすよ!"
「でもでもルーちゃん、今花火大会の真っ最中だよ? あの! "花火大会"! の! 最中なんだよ?」
俺のスマホに耳を傾け話を聞いていた赤毛が、会話に混ざってきた。
"あー、クリスちゃん……いや、まあ、その……なんというか……"
"家族と一緒に過ごす物"である、8月中頃の特別な花火大会。
その最中に自分の家から出るという事は……
"察して……欲しいっす…………"
嫌な予感的中! 面倒事がやってきた!
しかもおそらくかなりデリケートな、家族の話っぽい物が!
「ごめんルーちゃん、察してって言われても情報がなさすぎて」
しかし、うちの赤毛の馬鹿に、そんな事を気にするデリカシーなど微塵も無かった!
"あ、あはは……クリスちゃんはまあそうっすよね"
「何を言っているんだよこの馬鹿クリス! 状況で大体わかるだろうが!」
「えっ? 何で?」
「今日こんな日に外出するって事は、家族と一緒にいられない何かがあったって事だろ!」
「おお! なるほど!」
"いや、まあそうなんすけど……うー、ああもう! わかったっすよ、言っちゃいますよ! ウチの親が仕事なんすよ!"
「ほうほう、ルチアさんの親が、仕事……に……?」
「おかしくないエリちゃん? 今日この日はどこだって仕事なんてしてないはずだよ?」
そういう風習になっている、はずだが。
"それには色々と事情があって、とりあえず中で……"
「いや待てよ? 前にもこんなことがあったような……」
「……? あぁ、そういえば……!」
"あの、話を聞いて……"
「ルチアさんの家族は人間だ、この人口9割がエルフの国で、父母子すべてが人間の家族なんだ」
「……つまり!」
"エリちゃんさん……? 何か話がおかしな方向に……"
「つまり、人間差別だ! "貴様らは人間なんだからエルフの習慣には乗るんじゃねー!"、と差別されているんだよ!」
「人間VSエルフの抗争なんだね!!」
"いや、あのそう言うことじゃなくてっすね!? 話を聞……"
「こうなればやることは一つだねエリちゃん!」
「おう!」
「「焼こう、国会議事堂!」」
"なんでそうなるんすか!? そうじゃないんで! 別に政治的でも人種的な何某でもないんで!! とりあえず話を……"
「ねえねえエリちゃん、灯油どこやったっけ?」
「いやいや、灯油で議事堂が焼けるわけないだろクリス、ここはド派手に魔法アプリの火炎放射器でも……」
"話をぉおお!!!!"
「ぬぁ!?」
「耳が! 鼓膜がぁあ!!?」
"聞けって言ってるんすよぉおお!!!!"
ヒートアップする俺とクリスの耳元で、ルチアさんの絶叫が響き渡った。
「分かりましたごめんなさい俺達が悪かったです!」
「ルーちゃんギブ! ギブアップだから! 電話口で大声止めて!」
"話がしたいんでぇえ!! 中に入れてもらえると嬉しいんすけどぉおお!!!!"
「了解! 了解だよ! だからこれ以上は勘弁して!!」
これ以上耳元で叫ばれてはたまらないと、俺とクリスの二人は慌てて玄関口へと走りだす。
魔法で施錠された鍵を開け、観音開きの大きなドアを開き、玄関先でスマホを耳にかざしていたルチアさんと対面する。
ドアの前で待ち構えていた人間さんは、栗毛ポニテで長身で、胸が小さく耳が短い、薄い長袖にジーンズの人間さんだ。
端正な顔立ちは疲れからか呆れから、ずいぶん仏頂面である。
「こ、こんばんわだよルーちゃん……」
「耳がキンキンする……」
「……まあいつものノリなんで気にしてないっすけどね? 非常時くらいはもうちょっと人の話聞いて欲しいかなぁって思うんすよ?」
「「マジすんませんした!」」
「まあそれはそれとして、本題に入りたいんすけど……」
本題。
つまりルチアさんの家族が、家族一緒に過ごす日に一緒に過ごせない理由の説明。
正直人の家族の重い話なんて、あまり聞きたくはないが……
「とりあえず単刀直入に言わせてもらうと……」
「……もらうと?」
「エリちゃんさんが原因なんすよ、多分」
俺!?
「え? エリちゃん何したの!?」
「な、なんで!? なんで俺がルチアさんの家族と関係が!?」
ルチアさんの両親と俺には、一切関わりは無い。
そもそも顔も知らないのだ。
家に遊びに行ったって、ルチアさんの両親は常に仕事で不在だったのだから。
関連性などあるはずがない! 冤罪だ、不当逮捕だ、再審を要求しなければ……
「まあ、その辺の話は元凶の人に聞いて欲しいっす、今呼ぶんで」
「元凶……?」
「呼ぶ……?」
ハテナマークを頭上に浮かべる俺とクリスに背を向けて、ルチアさんは暗がりに向かって手招きする。
すると草むらの影から女性が一人現れた。
背が高く、30歳後半くらいで、顔に傷のあるロングヘア―の女性の人間さん。
「ど、どちらさま……?」
「この人が元凶さんっす、なんか人を探してたら"ウチらの世界に"迷い込んできたらしいっす」
"ウチらの世界に"。
ルチアさんが、わざわざ強調して、"俺に向かって"説明する。
……嫌な予感がする。
「えーっと"ウチらの"、なんて言うって事は、元凶さん外の世界の人なのルーちゃん?」
「そうっす」
「すまん、"元凶さん"と呼ぶのはやめて欲しいのだが……」
元凶さんが始めて口を開いた。
なぜだかその声に、懐かしいという感情がこみ上げる。
「じゃあお姉さん?」
「……私はもう36だ、お姉さんはやめてくれ、アクエという名前がある」
「じゃあアーちゃんだ!」
「アーちゃん!?」
20歳も年上にアーちゃんは止めろよ!?
「……あー、その、ルチア、合わせたい人とはこの娘達か? 私が探しているのは"兄"だといったはずだが」
「そのお兄さんの名前、言ってあげて下さい、エリちゃんさんは知ってるはずっす」
嫌な予感が膨らんできた。
"エリちゃんさんが原因"、"ウチらの世界に"、"兄を探している"。
今までの発言から、この元凶さんの素性が、探し人が、なんとなく察することができる。できてしまう。
「……? よく分からないのだが、まあいいか」
前世にも今世にも、俺に妹などいないし両親もいない。
だが、前世では俺を火星教会に捨てた両親がいる。
捨てられたのは物心つく前だが……有り得ないはずだ、有り得ないはずなのだが……
「私が探している兄の名前は……」
この元凶さんから、前世の火星で嗅いだ、木星軍の火薬の臭いがするのは、間違いであってほしいのだが。
こみあげてくる懐かしいという感情は、間違いであってほしいのだが。
「兄の名前は"ガブリエル"、かつて火星で熾天使という役職にいた」
もう二度と聞きたくない前世の名前が、中二病じみた熾天使と言う階級が、そのアクエと言う元凶さんから放たれた。
かつての、汚らわしい自分を指し示す単語群が。
「ガブリエルって……それって……エリちゃん……」
「ウチの両親の仕事、こういう異世界からの漂流者を扱ってるんすよ」
何という事だろうか。
運命とはなんと残酷なのか。
「エリちゃん、だいじょ……」
「……20歳年上の妹ができてしまった」
「「気にするとこそっち!?」」
「おい、3人とも何を言っている!? 私が探しているのは兄だと言っているだろう!?」
それぞれ違った理由で困惑する4人の頭上、星空を背に大きなハナビが轟音と共に花開いた。
灯ひとつないエルフの国、南の夜空にはハナビ越しでも赤い火星の光がよく見える。
真っ暗な夜の8月中旬。
火薬と星と家族から、今回の話は始まった。




