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万年筆と宝石  作者: 安井優
七つ目の扉 教会

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7-4 販売初日

 ユノがトーマスに案内されたのは、セントベリー大聖堂の裏手にある小さな教会だった。

「こんなところにも、教会があったなんて」

 あまり人が来ないのか、少し薄暗い雰囲気はあるものの、中は綺麗に手入れされている。


「すぐそばに大聖堂がありますからね。ここはほとんど機能していません。だからこそ、本を売るには安全です」

 それに、とトーマスは教会の奥に備え付けられた教壇を撫でると、そこで足を止める。

「何かあれば、逃げ道もある」


 ユノが近寄れば、「危ないので、少し下がっていてくださいね」とトーマスは教壇の下に足を入れて、コツコツと二度床を鳴らした。

 大理石のタイルと、トーマスの靴が三度ぶつかった瞬間、カコンと、何かが外れるような音がして――タイルが消えた。

 そう思った瞬間、ちょうど人一人分の穴がのぞく。


「魔女協会への戻り専用ですし、少々勾配(こうばい)のきつい坂道なので……あまりお勧めはしませんが。本当に何かあった際には、こちらから逃げてください」

 ユノでさえ知らなかった秘密を、トーマスはさも当たり前のように説明した。


「ちなみに、タイルは自動で戻ります」

 トーマスの言葉に合わせて、大理石のタイルがバタンと音を立て、すまし顔で床を(よそお)う。

「ほら。ここ、蝶番になっているでしょう? この蝶番は、一方にしか開かないんですよ。ここから逃げる際は、手を挟まないように気を付けてくださいね」


 指をさされた場所――大理石のタイルとタイルの隙間には、確かに何やら少し隙間があって、金属のような光沢が見える。だが、それも注意を払わなければ気づかない程度のものだ。

「どうしてこんな場所を……」

 ユノが驚きを隠さずトーマスを見つめれば、珍しく彼は恥ずかしそうに目線をそらした。


「実は、新人の頃、ここの管理を任されまして。ここで、ミサの練習をしていたんです」

 トーマスはその時のことを思い出して、照れ臭そうに目を伏せた。

「たまたま、私の足がこのタイルを三度、踏みつけた。本当に偶然ですが。そのまま、私はこの床に吸い込まれて……気づいたら、魔女協会です」


 いきなり魔女協会の書庫に現れたトーマスを見つけたのはメイだったという。当時、トーマスは魔女協会のことも、それが大聖堂の地下にあることも知っていたが、まさかこんな隠し通路があるとは知らなかったらしい。

 驚きのあまり言葉を失っているトーマスに、メイも驚いた様子だった。


 トーマスが正式に魔女協会への入り口を管理するように司祭や魔女から言われたのはそれから半年後のこと。その際に、メイから鍵となるピアスを渡された。

 そのころはまだ、ユノは魔女協会におらず、ピアスは本当にただの鍵の役割だったらしい。


 トーマスでも失敗するのか、とその話を聞いたユノも素直に驚いた。

「できれば、内緒にしてください。大変恥ずかしいので……」

 トーマスは「さぁ」とこの話題を切り替えるためか、努めて明るく振舞った。

「そろそろお客様がお見えになられますよ。お手伝い、よろしくお願いしますね」


 販売初日。待ってましたと言わんばかりに、ユノも両手をぎゅっと握りしめる。

 ――一人でも多くの人に、この物語が届けばいい。

 利益など度外視で、新聞と共に本を一冊ずつ手渡しで配っているマークに負けないように、とユノは目の前の扉を見つめた。


 大聖堂の鐘が鳴り響き、遅れて時計塔の鐘の音が聞こえる。

 その瞬間、トーマスの手によって教会の扉が大きく開け放たれ、外からのまぶしい光が教会内に満ちた。


「ユノちゃん!」

「ユノ、おめでとう」

「買いに来てあげたわよ!」

「ユノちゃん、本当におめでとう」

「……よくやった」


 聞きなれた声に、ユノは大きく目を見開く。扉を開けたトーマスは、知っていたのか柔らかに微笑んで、

「もちろん、私も一冊いただきましょう」

 と手元の本をひょいと持ち上げた。


 ユノは、ジュリに飛びつかれるままにバランスを崩しそうになったのを必死にこらえながらも、アリーとメイから差し出された花束を両の手で受け取る。

「本当におめでとう」

 アリーの凛と澄んだ声が耳に心地よかった。


 シエテとディーチェは、すでに本を手に取ってパラパラとページをめくっている。せっかくの聖典のカバーも意味を成していない。しかも、トーマスが持っている木箱に金を少しばかり多めに入れたのを、ユノは遠目ながらにしかと見ていた。

 二人とも、素直じゃない。


 メイとトーマスも、それぞれお金を入れて本を大切そうに見つめる。シエテとディーチェの二人と違って、メイとトーマスは心底嬉しそうな顔を隠そうともしない。

 元々、知識を深めることが好きな二人だから、新しい本が手に入ったというだけでも幸せだろう。


 そして、アリーとジュリは、ユノから離れると、本の山を見つめた。

「とりあえず、この紙袋に入るだけ入れてちょうだい」

 二人が取り出した紙袋は、十冊は入るであろう大きさで、ユノは目を丸くする。

「そんなに買われるんですか!?」

「ワタシたちは、知り合いが多いもの。みんなに配るに決まってるじゃない」

 ジュリの軽やかなウィンクは、十冊でも足りないと語る。


 アリーも、女神と見間違うほどに完璧な微笑をたたえた。

「両親や、病院の人たちに贈るのよ。子供たちのために、寄贈もしたいの」

 だから、十冊では足りない、とこちらもやはりその笑みが語る。


 二人は、それから、と付け加えて、にんまりといたずらな笑みを浮かべた。二人が時折見せるその表情は、いかにも魔女らしい。無邪気であり、挑戦的で、ユノには思いつかないような、とんでもないことを考えている時の顔だ。


「「貴族にも配るわ」」


 重なった声が教会の天井に共鳴し……数瞬後には静寂を、さらにその数瞬後には、ディーチェの悲鳴とも怒号ともつかぬ声を連れてきた。

 アリー達の考えることにはいささか慣れたはずのシエテやメイ、トーマスでさえ、ユノと同じ驚愕(きょうがく)の二文字を顔に貼りつける。


 荒唐無稽(こうとうむけい)とも呼べるアリーとジュリの言葉には、しばらくの間、誰もかもが言葉を失ってしまう。

 だが、アリーもジュリも、さも当たり前だと表情を崩すことはない。

「貴族にこそ、価値観を変えてもらわなくちゃいけないもの」

「さすがに人は選ぶわよ。軍や教会関係者のお偉いさまなら、話くらいは聞いてくれるわ」


 アリーには、病院の院長をしている両親がおり、魔女のことを良く思ってくれている貴族とのコネがあるという。

 ジュリはジュリで、軍の関係者と学生時代の繋がりから、お偉いさまとの縁があると言った。


 トーマスも、そんな二人の会話に何を思ったか「分かりました」と何かを決意したように、本を何冊か手に取って

「私も、大聖堂の司教や、同僚たち……他の教会の方々にお願いしておきましょう」

 と再び木箱へと金を入れる。



 初日にして、教会に並べていた本は、関係者によって魔法のように消えていく。

 もはや底が抜けてしまうのではないか、と思うほど本がつまった紙袋を抱えたジュリが、思い出したように声を上げた。

「そうだわ! 購入した人には、ユノちゃんの魔法が見れるのよね?」


 ずい、とユノに迫ったジュリの瞳に、ザクロのような美しい朱の光がまたたいて見えた。

「ワタシ、しばらくユノちゃんの島に行けてなかったから、バカンス気分が味わえる景色が見たいの!」

 とびっきり素敵な景色をお願いね、とユノの(ほお)に軽くキスを落とす。

 ジュリのお願いならば、いくらでも聞けるのに、とユノはジュリを見るが、おそらくこれも等価交換なのだろう。


 ジュリの願いを皮切りに、ディーチェが「アタシも!」と声を上げ、普段はあまりユノにとびらを依頼しないシエテやアリーまでもが、ユノの魔法を楽しみにしている、と声をかけた。

 トーマスとメイは、そんな魔女たちの姿に目を細める。


 かつて、こんなにもこの教会が騒がしかったことがあるだろうか――

 トーマスは、胸元に抱いた本のズシリとした重みを感じながら、教会の窓から差し込むまばゆいばかりの光に目を細めた。

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[良い点] 99/99 >>>「たまたま、私の足がこのタイルを三度、踏みつけた。本当に偶然ですが。  キャー! 運命の出会いです! [気になる点] 最後、目を細めるの正しい使い方でした。(なぜか誤…
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