7-3 作戦開始
「ダメですよ! どうしてそんな危険なことを!」
マークが声を荒げると、トーマスではなくユノが「いいえ」と口を開いた。
「私は、マークさんの本が売れるのであれば、なんだってします。教会が安全な場所だということは分かっていますし……元々、人と手を取り合って生きていきたいって思っていたのは、私ですから」
「ですが!」
「それに、マークさんだって、気づいているんじゃないですか? 実際に、魔法を見せることが最も有効な手立てだと」
穏やかだが、一歩も引く気がないユノの口調に、マークは押し黙る。
「心配してくださって、ありがとうございます。でも、私やってみたいんです」
人に影響を与える魔法は貴重だと、以前メイが言っていた。人にとって利益がないから、魔女は淘汰されても良い存在なんだと思われているのなら、それを少しでも払拭したい。
自らの力で、人々を笑顔にすることが出来るのならば。
それこそが、ユノの魔女としての使命なのだろう。
マークはしばらくの間、ユノとトーマスを交互に見比べた。二人の意志が固いと知ると、社長に懇願するような視線を投げかける。だが、社長も、二人をどうにか出来るとは思っていないようで、マークから顔をそらした。
「他の、魔女の方々は知っているんですか?」
「えぇ。許可もいただきましたよ。私の命と引き換えに」
トーマスはさらりと物騒なことを言って笑う。冗談めかしてはいるが、おそらく本当のことだろうな、とマークはため息をついた。
実際、あの魔女たちから許可を取ることが、最も大変な仕事だったに違いない。元々は、秘密の楽園に隔離していたほどで、そうでなくても、新聞社への通いやコッツウォールへの旅もなかなかのものだったはずだ。
魔女たちにとって、魔女は、家族同然。わざわざ危険な橋を渡らせるものか、と思っていたことだろう。
それでも、トーマスはそれを説得したのだ。おそらく、何かあったらユノのことは自らが必ず守り切る、とでも言って。
呆れるほどに、魔女を守るのに向いている。
「……分かりました。ですが、僕からも条件が」
「何でしょう」
「僕も、ユノさんのそばに置いてください」
決して戦闘に心得があるわけではないが、一人よりも二人の方が良いに決まっている。
マークの申し出に、トーマスは苦労人の顔を浮かべて「本当に、すごいお方だ」と独り言をこぼす。
「分かりました。良いでしょう。ですが、マークさんも配達や新聞社の業務がおありかと思いますので……ユノさんが魔法を見せる日を決めましょう。そうすれば、いくらかは都合がつくのでは?」
社長も三人のやり取りに呆れた、と息を吐いて両手を顔のあたりに上げてみせた。降参、の意を伝えているのだろう。
「まったく。若者の怖いもの知らずは、おじさんの肝を冷やしてくれるよ。だが、今回は本当に恩に着る。新聞社の倒産も免れそうだ」
社長は口角を上げると、それじゃ、と立ち上がった。
「私もそろそろ配達に行くとするかな。マーク、契約書を交わしておいてくれ。その通りに進めよう。彼の言う通り、時間勝負だからな。司法裁判官が嗅ぎ付けるのが先か、我々の思いが民衆に届くのが先か。さ、作戦開始だな」
情報戦だぞ、と社長はマークにくぎを刺し、社長室を出ていく。
あの年で、社長という役職で、自ら配達に出る者をマークは他に知らない。
「良い方と、巡り会われましたね」
トーマスの言葉は、お世辞でもきれいごとでもない。まさに、マークにとっては尊敬に値する人物だ。
「本当に、頼りになる父親みたいな方です」
本心でうなずけば、トーマスとユノは柔らかな笑みを浮かべた。
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トーマスとユノは、ガソリン車につめられるだけ本をつめこんで、新聞社を後にした。魔女たちはみんな一人一冊欲しがるだろうから、魔女協会の中だけでも買い手がつく。こちらは素直にマークへ返そう、と後ろにこれでもかと乗せられた本を見つめる。
そのまま、運転席でハンドルを握るトーマスを見れば、彼は前を向いたまま
「どうかされましたか」
と穏やかに問いかけた。
「いえ、その……また、雨が降るんですかね」
ロンドに来てからは雨続きだ。一人住んでいたあの孤島は寂しいばかりで何もないと思っていたが、さすがにこうも雨ばかりだと太陽が恋しくなってしまう。
「夜遅くからは、雨かもしれませんね。明日は降るとラジオでも言っていたので」
何気ない会話を、トーマスと二人で交わす機会はあまり多くない。
ユノは孤島での生活が長く、ロンドに来てからも新聞社に入り浸っていて、魔女協会にいる時間は他の魔女に比べると少なかった。
トーマスも、決して暇な人ではない。信者からの人気もあって、彼はよくミサや告解に駆り出されているらしい。
少しの無言が、車内に静寂をもたらした。居心地は悪くないが、トーマスのつかみどころのない雰囲気は、少しだけ落ち着かない。
装飾品を好まない彼が、唯一つけているエメラルドグリーンのピアスが余計に、トーマスをどこか別次元の人間にしているようだ。
ユノの知っている大人の男性と言えば、マークか社長か、新聞社の人……それから、エリックにテニスンくらいなものだ。
そのどの人とも、トーマスは少し違っている。浮世離れしているとでも言えばいいのか、なんとなく、こちらが居住まいを正されるような気持ちになってしまう。
「……トーマスさんは、どうして聖職者に?」
「メイに、助けてもらった命ですから。彼女のために、使いたいと思ったんですよ」
魔女を救いたい。ひいては、多くの人々を。だが、本音の部分にあるのは、やはり彼女のことばかりだ。
トーマスは、飾らずに本音をこぼして、小さく笑う。
そんな彼女も、近い将来、この世からいなくなってしまう。
「困っている人たちを助けたい、というのももちろん、立派な理由の一つですよ」
取り繕うように付け足して、アクセルをゆっくりと踏み込む。
「ですが……メイのためなら、なんだって出来ると私も思っているんです。ユノさんが、マークさんにそう感じているように」
トーマスの声が、どうしてか少しだけ寂しく聞こえて、ユノは思わずトーマスに視線を向けた。けれど、彼はいつもと変わらない、整った顔を前に向けている。
「トーマスさんは、メイさんのこと……」
ユノは言いかけて口をつぐむ。名前の付けられない関係性を、いくつも知っている。
「愛している、という言葉では、足りないでしょうね。命の恩人であり、幼いころからの大切な友人であり……家族のような存在ですから」
やはり、聖職者たるトーマスは、丁寧に答えてくれる。その答えに、正しさがないことを知ったうえで。
「マークさんにとっても、ユノさんはそんな存在なんじゃないでしょうか」
トーマスの言葉に、ユノはハッと顔を上げた。
「私が、ですか?」
「えぇ。ユノさんが、マークさんのことを大切に思っているように、マークさんにとってもユノさんは大切な存在だと思いますよ」
「でも……まだ知り合って少ししか、経っていませんし」
ユノの戸惑いを、包み込むようにトーマスの声が響く。
「少なくとも、私たちの関係性は時間だけで推し量れるわけではない。それは、ユノさんもご存じなのでは」
意味や、理屈も必要ではないと、トーマスは歌うように続けた。
「あなたは、僕の宝石……」
ユノは、先日もらったばかりの本に書かれていたマークからの言葉をつぶやいた。思わず口をついて出た言葉は、トーマスの耳にも入っていたようで
「それはなんとも、作家らしい素敵なお言葉をもらいましたね」
とトーマスは全てを理解したように笑う。
「となれば……ユノさんにとってのマークさんは、さしずめ万年筆といったところでしょうか」
ユノがマークにあげた万年筆のことを指しているのか、それとも、別の意味なのか。
ユノが首をかしげると、トーマスは意味ありげな笑みを浮かべるばかりで、それ以上はこの話題について触れることはなかった。




