6-13 二人だから
丘の頂上で二人が見たのは小さな池。
コッツウォールの町中を横断していた小川は、どうやらここから流れてきていたらしい。
池の中心から水が湧き出していて、中心から大きな波紋を描く。池のフチにあたった水は小さく跳ねた。背の低い草地でも水が跳ね返せるほどに、浅い池だ。
池に映り込んだ星空が、二人には何にも代えがたい宝物のよう。
「カメラを持って来ればよかったですね」
マークがそう言うのも無理はなかった。イングレスの片田舎にこんな絶景があるとは、正直想像していなかった。
宝石を閉じ込めたみたいな、そんな場所の対岸に、ユノは月の光を反射してたたずむ石碑を見つける。
「あれは?」
「行ってみますか?」
池のほとりに沿った小道をマークが指さした。
小道は、池のフチからあふれた水でところどころにぬかるみがあるらしかった。水たまりになっているところも。それらが暗闇でも見えるのは、星空のおかげ。鏡のように星々を反射させている。
「足元に気を付けてくださいね。浅いとはいえ、靴が濡れてしまうかも」
マークが自然と差し出した左手に、ユノはゆっくりと右手を重ねる。足元は、マークがランタンで照らしてくれた。
なんだか、物語の主人公にでもなったような気分だ。
マークの手から伝わる熱がじんわりとあたたかく、ユノの鼓動を自然と速めてしまう。鼓動につられてしまわないように、ゆっくりと足を動かした。ぬかるみにはまって、マークを巻き込んでしまうのも申し訳ない。というよりも、それだけは避けたい。
……なんてことを考えていると。
「はわっ!?」
ユノは小道のフチに現れた水しぶきに声を上げ、その声でマークが驚く。
「ユノさん!?」
ぐいと引かれた手に、ユノの体が前へとつんのめった。
自然と軽やかな足取りで、マークの体、そして腕の中へとユノは吸い込まれる。何が起きたか分からないまま、ユノは耳元に聞こえた音にハッと顔を上げた。
トクトクと高鳴る音が、自分のものとも、彼のものとも分からないままに。
マークの右手に握られていたランタンが揺れる。合わせて炎がゆらりときらめいて、二人の重なった影がふわりふわりと、小道に夢心地で浮かび上がる。
ユノの耳元でマークの鼓動が、マークの心臓のあたりでユノの息遣いが感じられた。
ユノの視線とマークの視線がいつもよりもっと近い距離でぶつかる。そのことが再び二人の口から謝罪を呼び起こした。
二人の鼓動が混じりあい、もう一度ダメ押しとばかりに視線がぶつかる。冬の冷え込んだ空気が溶けてしまうほど、二人の顔に熱が集まった。
バッと顔を背ければ、熱を冷ますように北風が吹き込む。
ゆっくりと互いに目と手をそらし、体を離せば、ユノとマークはどちらともなく
「い、行きましょうか!」
と声を上げる。
今度こそは、とユノもマークの背中を追いかけてゆっくりと、水場から離れた道を選ぶように足をすすめた。
丘を越えて吹く風が、波紋を不規則に変化させる。映し出された星や月がチラチラと輝き、現実味を失わせていく。
どんな世界でも作り出すことの出来るユノでさえ――先ほどのマークとのやり取りをふまえても、夢を見ているみたいだった。
マークもまた、ユノの手を引きながら、これに似た光景をどこかで、と夢うつつに思う。
確か、ユノが初めて見せてくれたとびらこそ、この景色だったのではないだろうか。ユノがこの場所を知っていたとは思えないが、まさかあのとびらが現実世界にあるとは思わなかった。
ずっとここにいたい――
そんな気持ちを抱いたのは二人とも同じだったが、目の前に目的地である石碑が現れて、二人はゆっくりと息を吐き出した。
ずっとここにはいられないと、わかっていることが、これほど切ないと思わなかった。
そう口にする代わりに。
「つき、ましたね」
マークがゆっくりと手をほどけば、ユノもそれに応えるように手を離す。寂しさを紛らわせるように、ユノは石碑に意識を向けた。
「文字、でしょうか?」
マークがゆっくりとランタンの明かりを石碑の方へと向ける。凹凸に合わせて影と光が交互に落ち、刻まれた文字を浮かび上がらせた。
「エマ・クリストファー・ベイリー……ここに、眠る」
ゆっくりとマークが読み上げると、ユノは目を伏せた。そして、石碑の足元に手向けられていた花束を見つけ、「あ」と小さな声を上げる。
比較的新しい花だが、その命は長くない。すでに枯れている花弁がほろほろと儚げに石碑を彩っていた。
社長だろうか、それとも、テニスンか。その花の送り主は分からないが、コッツウォールの歴史を……魔女が決して悪ではないということを知っている人間だろう。
「お墓、だったんですね」
コッツウォールから隠されるように静かにたたずむその場所は、知る人ぞ知る場所なのだろう。
その石碑の周りは、背の丈ほどの草も無造作に生えているほどだったから。
行く当てもなく歩いていたはずなのに、偶然にも引き合わされた。
魔女と魔女は、何か目に見えないもので繋がっているのだろうか。同じ、はじまりの魔女の血を継ぐものとして。
マークは、隣で目を伏せて、ずいぶんと前にこの地に還ったエマに祈りをささげるユノを見つめる。
彼女は一体何を思うのか。この地で、魔女裁判の始まりを知り、エマのことを知り、彼女が眠る場所へとたどり着いて。
ユノの口から漏れた嗚咽とも、声とも、息遣いとも聞こえぬ、はぁ、という音が淡く白いモヤになって天へとのぼっていく。
マークの視線に気づいたのか、ユノはちらりとマークの方へ目を向ける。ユノの鼻は少しだけ赤くなっていた。
「ここへきて、良かったです」
ユノの言葉にどれほどの意味が詰まっているか。
マークは、ただ小さくうなずくしかできない。マークは人で、ユノは魔女。同じ事実を知ったからと言って、二人が感じたものの大きさは、質感は、重さは、全くといって違うはずだ。
どうしようもなくその隔たりが遠い物のように思えて、マークの胸が痛む。完全に分かりあえるとは思っていない。それは傲慢だ。けれど、少しでも分かりあいたいと思っているのに。
それすらも、許されないような気がして――
「マークさんと一緒に来られたから、余計にそう思うのかもしれません」
ユノの声で、マークはハッと顔を上げる。
「いいえ、そもそもマークさんと一緒じゃなきゃ、ここには来れなかったですね。もしも、一人で来れていたとしても……きっと、こんな風には思えなかったです」
ユノは、いつもそうしているように柔らかに目じりを下げた。湖をそっと撫でる風が、ユノのミディアムボブを揺らす。
星のまたたきが反射して映り込むのは、水面だけでなく、ユノの瞳も同じだった。
「マークさんがいてくれるから、きっとどんなことがあっても大丈夫だって思えるんです。一人じゃないから」
そうだ。孤独じゃないから。二人だから。魔女と、人とだからこそ出来ることがある。
「僕も、ユノさんと一緒だから、ここまでこれました」
素直にマークが笑えば、ユノもどこかホッとしたような笑みを浮かべた。
ランタンの光がほのかに二人を照らす。
「ブラックカースのことを、調べてみようと思います。この国に、何が起きたのか」
マークが決意したように宣言すると、ユノもうなずいた。
「私も、いつまでも逃げたり……目を背けたりするのは終わりにします」
二人は、知らないことがまだまだたくさんあると気づく。本が完成するまでの休みの間、自分たちがすべきことは、この町の真実を知ること。伝統と歴史を守ることだ。
どうして今までそうしなかったのか不思議なほどに、二人にはその決意が当たり前のように感じられた。
「今日は、帰りましょうか」
明日からまたよろしくお願いします、と改めてマークが手を差し出せば、ユノはその手をしっかりと握って笑った。




