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万年筆と宝石  作者: 安井優
六つ目の扉 出版社

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6-6 出版社

 出版社から顔をのぞかせたのは、口元にたっぷりとヒゲを蓄えた男だった。

「何だね」

 低くしゃがれた、酒でやけたようなダミ声。扉を半分ほど開けて、外の様子を伺うその姿は、警戒心の塊だ。


「マーク・テイラーと言います。あの、ロンドにある新聞社の……」

 言いかけたところで、男はぎょろりとグレーの瞳をマークへ向けて、思い出したように声を漏らした。

「入ってくれ。何のもてなしも出来んがな」


 その言葉の通り、マークは扉すら自らの手で開けることになった。扉を開けたまま、ユノを中へと入れて、ゆっくりと扉を閉める。

 扉を閉めた衝撃か、ぶわりとインクの香りが鼻に抜けた。


 男は緩慢(かんまん)な動作で小さな椅子を二つ引き出し、マークとユノの前に並べる。自身は、ロッキングチェアにゆったりと腰かけた。

「普段、椅子を使うこともないもんでな」

 他に従業員はいないのか、むしろ椅子が二つもあったことが幸いだとでもいうような口ぶりだ。


 マークが「いえ」と首を振り、ユノも小さく頭を下げる。

 改めて腰かけて目の前の男を見れば、社長よりもずいぶん年上に見えた。古い友人だと聞いていたから、てっきり同じ年くらいかと思っていたが。

 まだまだ現役ではありそうだが、かといって無理がきく年齢でもなさそうだ。


 マークの無遠慮な視線に気づいたのか、男はピクリと眉を動かした。

「なんだね」

 ただ、純粋な疑問だったらしい。落ち着いた声は、気分を害したわけではない、とマークに伝えている。


「社長のお知り合いだと伺っていたので……」

 マークの反応に、男はフッとヒゲに隠れた口角を持ち上げた。わずかながら、ヒゲが動いて、マークもその口角をなんとか視認する。

「見ての通り、もうすっかり老いぼれだ」


 男の笑い声は思っていたよりも柔らかなものだった。ザラザラとかすれた声も、この男にはよく似合っていた。渋いといえば聞こえもいいだろう。

 頑固な人だと聞いていたし、最初の扉越しに見た姿も決して好印象なものではなかったからか、余計に「良い人だ」と感じるのかもしれない。


 マークは改めて頭を下げる。つられてユノも頭を下げた。

「マーク・テイラーと言います。よろしくお願いします」

「わ、私は、ユノ・トワイライトと言います。よろしくお願いします!」

 男は、そんな二人を交互に見比べて、口元に蓄えたひげを撫でる。


「アルフレッド・テニスンだ。ここの出版社の社長をやっておる。ヘンリーはわしをアルと呼ぶが、お前さんたちには呼びにくいじゃろう。テニスンとでも呼べばいい」

 社長を、ヘンリーと呼んでいる人を初めて見た、とマークはテニスンと名乗った男をまじまじと見つめる。


 親戚と呼ぶには、あまりにも似ておらず……どういう関係なのだろうか、と詮索したい気持ちを抑えて頭を下げた。

「テニスンさん、よろしくお願いします」

 マークの頭上から「いい、いい」と面倒くさそうな声が聞こえる。


「そんなにかしこまらんでいい。ここは、コッツウォールだからな。みんな、知り合いみたいなもんだ。そんなかたっ苦しいのはやめてくれ」

「ですが……」

「わしが良いと言っておろうが。気を使われるのも、使うのにもなれてないんだ。頼むよ」


 頑固な人だと聞かされていたのは、どうやら本当らしい。テニスンは厳格なまなざしを向けた。それ以上、このことで取り合うつもりはない、と彼は視線で語る。

 それでは、とマークもユノも、彼の言う通りに従う他なかった。


 テニスンは、一つ咳払いをしてから、手元にあった茶封筒をガサガサと広げた。

「一部だが、ヘンリーから原稿もすでに見せてもらった。話も聞いておる」

 原稿用紙には、社長の整った文字が並んでいて、まさか、とマークは目を見開いた。


 以前、社長がマークに原稿を読ませてくれと言ってから、しばらく。それを写して、話を通しておいてくれているとは思いもしなかった。社長の仕事ぶりにはマークも舌を巻く。


「まさか、あのヘンリーがこんな話を持ってくるとは思わなかった」

 テニスンの言う通り、社長は保守的で、決してこんな大胆なことに付き合うような人間ではなかった。

「お前さんが、ヘンリーを変えたんだな」

 テニスンは、グレーの瞳を原稿用紙に落としたまま、何かに思いを馳せる。


「ヘンリーとは長い付き合いだ。血のつながりはないが、弟のようなもんでな」

 あの社長が弟というのも、マークには想像がつかなかった。マークとはいくつも年が離れているうえ、親代わりだったから無理もないが。


 テニスンが言うには、やはりこの出版社も、新聞社と同じように先祖代々で継いできたものであり――ヘンリーの家とは昔からの繋がりがあったという。商売仲間で、祖父の代から少なくとも交流があった、とテニスンは続けた。



--- ・-・・ -・・  ・・-・ ・-・ ・・ ・ -・ -・・



 コッツウォールとロンド。住んでいる場所は違えど、親同士の仲が良いともなれば、年に一度か二度は顔を合わせる。

 両親たちが仕事の話に夢中になっている間、二人は親交を深めた。


 年はテニスンの方が十も上だったが、年齢など関係なかった。むしろ、ヘンリーは年の離れた兄が出来たような誇らしい気持ちだったし、テニスンもまた、愛らしい弟が出来たような気持ちだった。


 テニスンが出版社を継いだのは、ちょうどヘンリーが十五になった時のことだ。

「アルが家を継いだんだから、私も頑張らなくては」

 ヘンリーには、幼いころから兄のような存在だったテニスンが憧れ。ちょうど、自らの進路に悩んでいた彼は、それをきっかけに新聞社の仕事を本格的に手伝った。


 厳格で、真面目で、保守的。そんなところも二人はよく似ていた。いや、ヘンリーに関しては、テニスンの影響が大きかったかもしれない。

 コッツウォールは小さな町で、厳格で、保守的でなければ、はみだし者のように扱われてしまうから、テニスンもそうあらざるを得なかっただけだが。


 それからは、兄弟としてではなく、互いに尊敬しあえる仕事仲間としてうまくやってきた。二人とも独身だったことも幸いし、比較的自由に行き来ができたことも、関係を円滑に保てていた秘訣かもしれなかった。


 だが、先日。

 ヘンリーは人が変わったように慌てた素振りで、テニスンのもとを訪れ――

「今に至る、というわけだな」

 年を取ると話が長くなってしまう、とテニスンは自らの話に顔をしかめた。


「魔女、というのは……お嬢さんのことかな」

 テニスンの言葉に、ドキリとしたようにユノが体を強張らせた。

 テニスンの説得には、社長も随分と時間がかかっていたようだったし、先ほどの話を聞いても、テニスンが魔女を認めているようには思えなかった。


 ユノは小さく首を縦に振るだけにとどめる。下手なことをしゃべって、魔女裁判にかけられてしまうとも限らない。

 まさか、社長の知り合いがそんなことをするとは思えないが、かといって彼を信用できるかと言われれば、それも難しい。


 ユノの表情に(おび)えが見えて、テニスンはたれ目がちな瞳を一層下げた。眉尻と共に下がった目元が、彼の雰囲気を少し和らげる。

「すまんな。昔から、どうも人を怖がらせるらしい」

 表情のせいか、態度のせいか。それとも、その性格のせいなのか。


「い、いえ……その」

「気にせんでいい。若いお嬢さんに気を遣わせたとなれば、逆にむずがゆい」

 テニスンは本当に興味がないようで、再び口元のヒゲに手をそえた。

「それにしても、いまだ実在しておるとはな」


 魔女は、この国から消え去った。

 そんな風に言われ始めたのは、一体いつのことだったか。

 少なくとも、マークが生まれたころには、もうそんな風にささやかれていたような気さえする。


「わしは、魔女を信じておらん。それは、魔女を恐れているだの、魔女を毛嫌いしているだの、そういうもんではない。ただ、魔法とやらが存在すること自体が、信じられんのだ」

 テニスンはチラリとユノの表情を観察して、咳払いをする。ユノを怖がらせないように、と必死でテニスンもその表情を取り(つくろ)った。


「だから、まずは魔法を見せてくれ。話は、それからだ」

 テニスンは、二言はないという風に口を結んだ。

 マークとユノはゆっくりと互いに視線を交わし、それから小さくうなずいた。


 彼は、頑固な人だから。きっとそれ以外にルールを曲げるつもりはないだろう。

 それも、もう、二人には覚悟の上だ。

「わかりました」

 等価交換です、とユノが言えば、聞きなれない言葉にテニスンは首をかしげた。

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[良い点] 84/84 ・等価交換です、とユノが言えば、聞きなれない言葉にテニスンは首をかしげた。  ここすごい。ほんとに魔女を知らないのですね。 (逆にこの後で裏切ったら、それはそれでインパクト…
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