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万年筆と宝石  作者: 安井優
六つ目の扉 出版社

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6-3 父親代わり

 マーク達の話を聞き終えて、社長は「なるほど」と苦い顔を浮かべる。

 もちろん、ブッシュの火事については、ユノでさえ少し聞いたくらいだ。あの日のことを、魔女たちは決して答えない。

 そのことが、魔女にも非があると語っているのは明白だった。


 社長はユノになんと声をかけるか迷い、

「真実がいつも、良いことばかりだとは限らないからな」

 とタバコに手をかける。

 禁煙をやめた社長は、すっかりヘビースモーカーに戻っている。


 社長は、タバコの煙に混ぜ込んで、やるせない気持ちを吐き出す。

「だが、そうして積み上げたものが、この国の歴史になる」

 苦みのある匂いが二人の鼻をさす。積み上げられたものを(うれ)いた声と共に、ツンと。


 社長はタバコを口にくわえたまま、パラパラと丁寧に新聞をめくる。紙のこすれる音が心地よく部屋を満たした。

「魔女は、この罪を()いていると思うか?」

 言葉だけが、ユノに向けられる。視線も合わないのに、確実に射貫(いぬ)かれたユノの胸がツキリと痛んだ。


「……そう、ですね。本当に、たくさんのことがありましたから」

 それらのほとんどは、想定されていた未来から大きく変化している。きっと、メイやアリーなら、ブッシュを燃やすなどという発想にはならなかったはずだ。

「きっと、魔女にとっても望んだ結果ではなかったはずです」


 誰かを傷つけてまで成り立つ幸せなど、魔女は誰一人として望んでいない。

 だが、それでも今回は、皆あまりにも大きなものを背負ってしまった。最初に殺された司法裁判官の二人の命も、ブッシュに放たれた火も。

 すべて、それは魔女がおかした罪だから。


 社長は、相変わらず新聞の文字を追う。耳だけはしっかりとユノの方へ意識が向いているらしく、

「誰しも、生きている限り一度は罪をおかすはずだ。本人たちが()いているのなら、外野が騒ぎ立てることでもないだろう」

 メガネをくいと持ち上げる。社長はそこで、ようやく新聞から目を離した。

「罪を、罪と自覚することが大切なんだ。同じ(あやま)ちを繰り返さないこと。本当の正しさを、自らに見つけることが」


 社長の言葉は、マークにも、ユノにもズシリと重く響く。

 社長もまた、過去の過ちを――魔女という存在をなかったことにしてきた今までの人生を()いているようだった。


 人と魔女が手を取り合える時代が来ても、そこまでにあった様々なことを忘れないようにしよう。

 ユノはそんな風に自らの胸に刻み込む。

 魔女が(しいた)げられてきたという過去も、結果的に、魔女が罪を犯したこの事件も、全て。


 社長が、フ、とタバコの煙を吐き出した。

「ま、しょせんは老いぼれのたわごとだ。君たちは、世界を変えた。革命とは常に、犠牲が付きまとう。これからもきっと」

 社長は瞳を和らげて、ただ、と付け加えた。


「私は、何があっても君たちの味方でいると約束しよう。この国の、歴史と伝統を守るために、新聞を書く。君たちの、生きた証を残すと約束するよ」


 そんな大げさな、と口が裂けても言えなかった。

 イングレスの国は、今回の事件ですでに、変わり始めている。動き出してしまったのだ。長く冷たい夜の終わりへと向かって。

 その先に待ち受けているものは、きっとこんな事件では足りない。


 かつて、魔女裁判が起きた時のように。言論統制がしかれた時のように。戦争を起こした時のように――

 多くの人の死だって、あるかもしれないのだ。

 だからこそ、社長の言葉は、大げさなものではなかった。


 新聞記事を書き続け、そういったことに向き合ってきた社長だからこそ、そのことに気づいたのだろう。

 マークとユノが(えが)く理想の世界までの道のりが、どれほど険しいか。


 社長は、タバコの火を灰皿でもみ消した。

 小さく燃える赤い光が消えるまで、その様子を目で追ってしまうのはどうしてだろうか、とマークは一人ぼんやりと考えてしまう。

 ただ、静かな社長の――父親代わりの忠告ともつかぬアドバイスだけは、忘れてはならないような気がした。


 パタタッと窓の外に音がして、三人はそろって顔を上げる。

 また、雨だ。

「太陽が恋しいよ」

 小さくこぼれた、社長の独り言。

 マークもユノも、ただそれには同意するばかりで。


「いつか……社長さんも、魔女の島に来てください。この騒動が、落ち着いたら必ず」

 ユノが雰囲気を和らげるように笑えば、社長は二本目のタバコに火をつけながら

「ありがとう。まさか、この年になって魔女の友人が出来るとは光栄だな」

 と笑う。


「そうしていると、二人も親子のようですね」

 マークが言えば、ユノと社長は顔を見合わせた。

「それをいうなら、マークさんは、私のお兄さんってことですか?」

「いや、そういうわけじゃないけど」

 ユノにつっこまれ、マークは(ほお)をかく。


 兄、なんて立派なものにはなれない。

 妹にしてあげられた兄らしいことは、本を読んであげることくらいで。

 それ以上は、兄として誇れることなどなかったのだから。


 それに――

 マークは、隣で少しだけ嬉しそうな、期待にも似た瞳を向けるユノを見つめて思う。


 自分を『ユノの兄』と形容するには、なんだか少しだけ居心地が悪いような気がしてしまうのだ。

 何度か妹に重ね合わせてきたのは事実だが、しばらく一緒にいて、彼女を本当の妹のように思えることはなかった。


 もっと別の……そんな関係をどう言い表すのか、マークは知らないけれど。

 ユノとの関係を、兄妹という一言で表すにはもう、あまりにも近い。


「娘はやらんぞ」

 二本目のタバコを片手に、新聞を広げた社長が厳格な声をマークに向ける。メガネをくいと持ち上げる仕草は、まさに頑固おやじそのものだ。


 だが、マークとユノが社長を見つめれば、社長は耐えきれなくなったのか吹き出して

「この年になると、一度くらいは言ってみたくなるものだな」

 と口角を上げた。


「いや、息子と娘を見送る親の気持ちが分かったよ。ありがとう」

 お礼を言われても。マークが露骨に困った顔をすれば、社長はますます笑みを深めた。

「さ、コッツウォールへの支度をしてきなさい。二人とも、すぐに出発できるようにしておいた方がいい。あいつも、気は長い方じゃないしな」


 何度目か、そう社長に(うなが)され、二人は社長室に置いていた原稿用紙や万年筆、インク、それからいくつかの道具を片付けていく。

 そもそも、社長室の(あるじ)が戻ってきたのだ。いつまでもここでのんびりと過ごしている訳にもいかない。


 社長は最後に、マークの方へ餞別(せんべつ)に、と茶封筒を差し出した。

「コッツウォールまでの鉄道の切符。それから、二人の宿の予約表だな。コッツウォールの地図と、出版社の住所もある。その他に必要そうなものもそこに。困ったらそれを使うといい。これくらいなら、荷物にもならんだろう」

 グローリア号のチケットも、こうして渡されたんだったか、と社長の気遣いにマークは息を飲んだ。


 本当に、良くしてもらっている。

 返しても返しきれないほどの恩を、社長には感じている。

 マークは茶封筒を受け取ると、そっと胸元に抱え込んで、丁寧に頭を下げた。深く、深く。


「ありがとうございます。必ず、本を完成させて帰ってきます」

 社長は、マークの言葉をどう受け止めたのか。一瞬だけ寂しそうな顔を見せると、それをメガネで隠してしまう。

「帰ってくる時には、マーク、君は立派な作家だ。新聞記者じゃない。それでも、ここに戻ってくると?」


 マークが間髪開けずに「もちろんですよ」と社長を見つめ返せば、ブルーの瞳と、フォレストグリーンの瞳が混ざり合う。

 さながら、世界にたゆたう海のように。


「気を付けていってきなさい。二人とも」


 マークとユノは、再び頭を下げて社長室を後にする。

 ゆっくりとドアノブに手をかけて、二人は祈りを込める。

「オープンセサミ」

 小さく呟いたのはどちらか。


 次にこの扉を開けるとき、世界はどう変わっているのだろうか。

 (かす)かな不安と淡い期待を抱いて、二人は雨の降るロンドの街へと足を踏み出した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 81/81 ・社長がすごい人すぎます。なんて表現するか迷いますが [気になる点] 後ろめたさ。やっちまったのはもう、後には引けない [一言] 瞳の描写が、海のワカメ? (くそ、微妙になっ…
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