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万年筆と宝石  作者: 安井優
五つ目の扉 ブッシュ

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5-22 歪んだ天秤

 ジェイムズに関する報告書をまとめたエリックは、目の前に座る彼を見つめた。

 報告書の罪状欄に記載された銃刀法違反の文字をなぞりながら、メガネの奥に淀む闇夜を見つめる。

 本当ならば、この罪状欄には、殺人罪も記載されるはずだったのだ。だが、証拠は見つからなかった。


「ふん、これで満足か」

 忌々(いまいま)しげにエリックを睨みつけるような目が、俺はまだ生きているぞとエリックに語りかける。

 どこまでも偉そうな男だ。今の状況では、どうみたって分が悪いというのに。


 ジェイムズの挑発にのってはいけない。エリックは冷静さを見失わぬよう一呼吸おいてから、ジェイムズに投げかける。

「なぜ、ジュリさんのことを知っていた」


 ずっと気になっていた。ジェイムズは、ジュリと接点などないだろうに、彼女の名前を呼んだ。それどころか、ジュリの話によると、ジェイムズは彼女の見事な変装を暴いたのだ。


 どうやって、と聞いてしまいたかった。ジュリのことをよく知る人間は、自分か、後はあの大聖堂の聖職者くらいだと思っていたから。

 それは、ある種の好奇心であり、ジェイムズに対する嫉妬(しっと)のようなものでもあった。


「なぜ? それを答えて何になる」

「お前たち司法裁判官が、魔女のことを調べているのは分かっている。だが、それだけで彼女の正体を突き止められるわけがない」

「変化の魔法を使うからか?」


 サラリと言われ、エリックは目を見開く。

 やはり、この男――最高裁判官の一人、ジェイムズはそこまで知っているらしい。

「どうやって調べた」

 エリックが前のめりにジェイムズをねめつけると、彼はハ、と乾いた笑みを一つ漏らした。


「ずいぶんとあの魔女にご執心だな」

「……だったらなんだ」

「一つ、忠告しておいてやろう。どんな甘言を吐かれたかは知らんが、魔女は魔女だ。この国に呪いをかけた、な」


 ガタン、と激しく響くのは、椅子と床がぶつかった音。エリックが、ジェイムズの襟元を勢いよく掴んだ衝撃で、数瞬前まで座っていた椅子が倒れてしまった。

 だが、それを気にする者など、この場には誰もいない。

 ジェイムズは胸倉に感じる圧迫感を意にも介さず、その暗い瞳にエリックを映す。


「まったく、すぐに手が出るのは軍人の悪い癖だな。頭を使え」

「司法裁判官には言われたくないな」

「少なくとも、軍人よりはよほどマシだ」

「マシな頭で考えた結果が、魔女を呪いだと?」

「そうだ。マシでなくても、まともならわかる」


 二人はそのまま膠着(こうちゃく)状態でにらみ合う。視線はこんなにも交わるというのに、思いは一向に交わらない。

「魔女さえいなければ、この国は破滅になど向かわなかった」

 ジェイムズの冷たい言葉が、エリックの心に突き刺さる。


 こんなことを考えているやつがまともなわけがない。

 魔女たちの思いも知らず、彼女たちが生まれながらに背負っている傷も、痛みも知らないで。


 エリックは襟をつかんでいた手をそのまま勢いよくドンと前へと突き出した。ジェイムズの体が後ろによろめき椅子とぶつかると、部屋いっぱいに再びけたたましい音が響く。

「痛みを知らぬ者が偉そうな口を!!」

 エリックが荒々しく叫べば、ジェイムズは苦痛に顔をゆがめた。


「貴様、ジュリさんのことを知っているのだろう! ならば、わかるはずだ! 彼女の思いや痛みが!!」

「だったら何になる!?」

 ジェイムズの激昂する声が、ビィンと部屋全体に共鳴して、痛々しいほどにエリックの鼓膜を貫いた。


「魔女の痛みが分かることが、そんなにご立派か!? だとすれば、魔法という不確定な力におびえて過ごす、民たちの気持ちはどうなる? 先代の王は、魔女の力におびえていたぞ。我々人間の安寧を(おびや)かしたのは魔女だ!」


 ジェイムズは立ち上がると、流れるような手つきでエリックの襟元を掴み返した。二人の間に置かれたテーブルが、ギィギィと軋んだ悲鳴を上げる。

 互いに一歩も譲る気はなく、もう何度目か、視線を交わらせた。


「愛国心はあるか」

 突然のジェイムズの質問に、エリックは思わず眉根を寄せた。

 あるに決まっている。聞かれるまでもなく、軍人は、国を守るのが仕事であり――愛国心がなければ、こんな仕事は続くはずもない。

 だからこそ、この国を作った魔女のことを、軍人たちは守っているのだ。


 エリックが口を開こうとしたその時

「あるのなら、なぜ国の教えに(そむ)く」

 とジェイムズのどこまでも続いているような、底のない深い瞳がエリックを見つめた。

「今の国を統治しているのは、王だ」


 先ほどまでの声色とは打って変わって冷静な、淡々とした口調。今度はエリックがジェイムズの手に押されて後ろへ体をのけぞらせる。

「この国の主は、魔女ではない」

 きっぱりと言い切ったジェイムズは、やはり、魔女のことをよく知っている人物に違いなかった。


 この国を作った魔女のことを知る者は、もう多くはない。言論統制によって奪われてしまった国の始まりを知ろうとする者も。

 だが、目の前の男。このジェイムズという最高裁判官は、そのことを知っているに違いなかった。


 ジェイムズはエリックの襟元を掴んでいた手を離して、倒れた椅子を起こす。ゆっくりとそこへ腰かけると、姿勢を正して、それは穏やかに口を開いた。

「それでもなお、貴様らが魔女を擁護するのなら、それは反逆罪ではないか」

 冷たい視線と、冷たい声が、司法の裁きを下す。


 エリックとジェイムズの立場が逆転した瞬間だった。


 エリックが声を上げようとすれば、それを遮るようにジェイムズは言葉を続ける。

「今回の件、魔女については言い逃れも出来まい。不法侵入に窃盗、銃刀法違反、器物損壊、放火、殺人未遂。その全ての罪に問うことだってできるぞ」

 さぁ、どうする。狡猾(こうかつ)な瞳は、エリックの内側全てを見透かしているようだ。


「この俺を、銃刀法違反で逮捕したな? 裁きは公平に下される。そうだろう?」

 ジェイムズは、開き直ったわけではない。あくまでも冷静に、エリックへと問いかけた。

「なぜ、魔女を逮捕しないのか。そこに正当な理由があるのか」


 エリックは、あからさまに苦々しい顔で口を引き結んだ。

 魔女は、生きているだけで無実の罪に問われて殺されている。それを正当化しているやつが、今更公平などと。聞いて呆れると笑ってやりたかったが、ジェイムズがなんと答えるか、手に取るようにわかってしまう。


 魔女裁判は、国が定めた法律だ。

 先代の王によって制定され、今もなお、イングレスの法律にでかでかと記されている。

 つまり、冤罪(えんざい)で魔女を殺すことは、殺人罪でも、不平等でもなんでもないのだ。

 司法というくくりにおいては、理不尽でもなんでもなく、ただルールにのっとって、正しい行いをしたことにしかならない。


 まさか、天秤自体が(ゆが)んでいるだなんて、この世の誰が思うだろう。

 正確に物事を測ることが出来てこその天秤だというのに、イングレスの国の天秤は、そのもの自体がすでに狂ってしまっている。


(ゆが)んだ天秤ではかられた物事に、何の意義がある」

 エリックが悔し紛れに呟けば、ジェイムズは声を上げて笑った。不快な笑い声だ。

「それは、正当な理由にはなりえん。この国の天秤が(ゆが)んだ証拠など、どこにもないのだからな」


 どこまでも、狂っている。

 この国も、この男も。

 エリックはフツフツと湧き上がる怒りを必死に抑えこむ。話にもならない。まるで見ている世界が違うのだ。話すだけ無駄というもの。


「俺は釈放される」

 ジェイムズは自信満々にそう告げて、口角を持ち上げた。

「そして、貴様が謹慎処分を受けるのだ。誤認逮捕でな。魔女の罪は、黙っておいてやろう。少しくらい、焦らした方が燃えるものさ。何事も」


 ジェイムズは、ゾッとするような低い声で再び小さく肩を揺らして笑う。

 国全土を使った賭け事。

 おそらくそれが、始まるのだろう――


 エリックの直感がそれを告げた時、尋問室がノックされ、同僚の悔しそうな声が聞こえた。

「エリック中尉、元帥(げんすい)がお呼びです」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 77/77 ・あーんやっぱり。だめだった。 [気になる点] 強いですね。強い奴は悪党で、そして誰も救わない。 [一言] んでんでんで、小説がどう作用するのか楽しみです
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