5-11 道しるべ
魔女協会のエントランスへと降りれば、二人を待っていたといわんばかりにトーマスとメイがそろって顔を出した。
「マークさん!」
「ユノちゃん!」
二人は互いに声をあげ、マークたちの名を呼ぶ。
「司法裁判官が、殺されたって聞いて……」
マークが息も絶え絶えに言えば、トーマスはあからさまに顔をしかめた。
「アリー達も戻ってきています。こちらへ」
促されるままに、トーマス達の後をついて礼拝堂へと向かう。
ユノは、魔女協会を包む張りつめた空気に息を飲む。
魔女が人を殺すはずがない。そう思っていた気持ちに影が差してしまいそうになるほどの緊迫感。
(どうして、こんなことに?)
その疑問に答えてくれる人物が一人。礼拝堂の奥に座っている彼女を見つけて、ユノはマークや、メイたちを追い抜いた。
「アリーさん!」
アリーはその美しいプラチナブロンドの長いまつげをゆっくりと数度揺らして、ミラーのように光沢のある瞳を静かに落とした。
アリーの口から一言「違う」と、それさえ聞ければ、ユノはそれだけですべてを信じることが出来た。
アリーはいつだって正しく、魔女たちを導いてきたのだから。
アリーはいつも通り隙のない完璧な笑顔を浮かべて
「大丈夫よ」
とただ一言、きっぱりと告げた。
「でも、司法裁判官が殺されたのは事実。その片棒を魔女が担いでしまったこともね」
「そんな……」
アリーなら、私たちはやっていない、とはっきり言ってくれると思っていた。だが、現実は違う。ユノは、受け止めきれない事実に、体中の力が抜けていく。
マークがとっさにユノの体を支えたが、ユノはそのまま放心したように目の前の美しい魔女を見つめるばかりだ。
「説明をしていただかなければ、よく分かりません」
ユノに代わって、マークがアリーへと再び声をかける。
「どうして、司法裁判官が殺されたのか。それに、魔女がその片棒を担いだって……どういうことですか? 一体何が起きたんです」
アリーが口を開こうとした瞬間、
「ブッシュへ潜入したんだ」
と冷ややかな声が聞こえた。
振り返らずとも、礼拝堂の入り口に立つ人物の名を当てることが出来る。そして、彼女が今、どんな表情をしているのかも容易に想像がついた。
ユノは突然の声に驚いた反動で、少しばかり冷静さを取り戻したように、ゆっくりとその声のする方へ視線を向ける。
そこには、誰もが想像した通りの人物が立っていた。
咎めるようなアリーの視線を無視して、シエテは礼拝堂へと足を踏み入れると、一冊の大きなファイルをどん、と机の上に広げた。
「グローリア号沈没事故の資料を盗んだ」
開かれたファイルには、確かに見知った船のイラストが描かれた新聞記事が挟み込まれている。
パラパラと資料をめくっていけば、その船に乗っていたマークでさえ知らぬような、運行情報が書かれた地図もある。
「どうして、これを……」
マークが驚いたようにシエテを見つめれば、彼女の瞳に怒りとも悲しみともつかぬ、複雑な感情が揺らめいた。
ユノは、シエテがそんな風に戸惑いを見せる姿に、「司法裁判官を殺したのは魔女だ」という噂も、アリーの「片棒を担いだ」なんて言葉も、価値がないことを知る。
誰かが、誰かのためにしたことが、運悪くこのような結果を招いただけのこと。誰かが悪意を持ってこの結果を引き起こしたわけではないのだ、と直感的に理解する。
シエテはそのまましばらく黙り込んでいた。
おそらくは、マークを傷つけまいと、言葉を探して思案しているのだろう。シエテは、どうすれば人が傷つくかを知っている。だからこそ、慎重になっているのだ。
「……司法裁判官に見つかったら、面倒なのだろう」
ボソリとシエテの口から吐き出された言葉に、マークはますます驚いたように目を見開いた。動揺のせいか、混乱のせいか、ただ口を開けるばかりで言葉はうまく出てこない。
(まさか、司法裁判官から僕をかくまうために)
マークは、そんな、と口を動かし、だが、やはり声は出ず、ユノと一緒に倒れこんでしまいそうになるのをぐっとこらえる。
「最悪だ」
その言葉こそ、シエテの本音だろう。苦々しく発せられたそれは、マークに対するものか、シエテ自身に対するものか――はたまた、現状に対してか。
すべてのことに対してかもしれない。
アリーでさえ、シエテの一言を咎めることは出来なかった。
結果だけ見れば、ファイルを……それも、グローリア号沈没事故の資料を持ち帰ることが出来たのだから成功だろう。
だが、死人が出ている以上、シエテが殺したわけではないことは百も承知だが、後味の良いものではない。
「僕の、せいですか」
アリーの耳に聞こえた弱々しい声はマークのもので、アリーは慌てて顔を上げた。
「そんなことはありません」
「ですが……」
魔女を危険にさらし、ブッシュから資料を盗ませた。挙句の果てに、司法裁判官が二人死んでしまった。魔女はきっと、世間から非難されるに違いない。
魔女と人とが手を取り合うための本を書こうと意気込んでいたのに、結局のところマークのせいで、また一段と溝が深くなったのだ。
マークは、じわりとにじみ出る涙をこぼさないように唇をかみしめる。
(僕のせいで……)
マークがぎゅっと瞼を閉じた時、ふわりとあたたかな体温がマークの頬に触れた。
「マークさん」
先ほどまで放心していたと思っていたのに、マークの名を呼ぶユノの声は優しく、はっきりとしていた。
どうやら、マークよりも現状を冷静に見極めているらしい。
「マークさんのせいではありません。もちろん、魔女たちのせいでもない。このことは、きっと、悪い偶然が重なっただけなんです」
魔女の気持ちも、マークの気持ちも分かるユノだからこそ、自然と口をついて出た言葉は優しかった。
何より、今回の事件に一番関わっていないからこそ、客観的な事実を述べられる。
ユノは言葉を選びながらも、自らの思いを口にする。
「もちろん、魔女がファイルを盗んだことは悪いことです。ですが、その後の殺人は、魔女のせいじゃない。それに、この盗んだファイルだって、魔女裁判のために、何の罪もない人を殺そうとした凶器になり得ます」
ユノはゆっくりと自らの力で立ち上がり、今度はマークの体を支えるように、そっとマークの手を握る。
あたたかくて優しい彼女の手のぬくもり。それは、ユノの本質的な――常に前向きで、どんなことにも一生懸命な彼女の心を表しているようだった。
「なんだって悪者にするのは簡単なんです。大切なのは、悪いことを受け入れて、互いに認め合い、許しあうことでしょう? 手を取り合うって、きっと、そういうことなんだと思います」
きっぱりと言うユノの、美しい夜空色の瞳にまたたく尊いきらめきは、マークたちを導く北極星のよう。
どこにいても、どんな暗闇でも、迷うことなく道しるべとなる彼女の瞳に、アリー達もどこか吹っ切れたような顔で互いに見つめあう。
「ずいぶんと、成長したのね」
アリーが小さく笑うと、ユノは我に返ったように顔をみるみるうちに赤く染め上げる。
「え、偉そうなことを……!」
すみません、と頭を下げたユノの髪が揺れる。
サラリと揺れたミディアムボブ。夜空色と夕焼けの色だと思っていたその髪色が、マークの目には今、夜明けのように映った。
真っ暗な闇を照らす、柔らかで、けれど力強い燃え上がるような朝日の色。
「ユノちゃんには、本物の未来が見えてるのね」
メイも何を思ったか、そんな風に満面の笑みを浮かべる。シエテもほんの少し口角を上げた。
アリーもいつもの冷静さを取り戻したのか、背筋を伸ばして立ち上がる。
「それじゃぁ、この事件をまずは収束させなくてはね」
アリーの言葉に皆一斉にうなずき、それぞれが出来る最善を尽くそう、と心に誓った。




