5-9 女の勘
乗り換えの駅を少し過ぎたところで、アリーの顔が険しいものになった。
「どうしたの?」
ジュリの質問に、アリーは呆れと怒りの混じった深いため息を吐き出す。
「シエテが今、グローリア号沈没事故の資料を持ち帰ったそうよ」
「さすがに、テレポートには追い付けなかったわね」
ジュリは肩をすくめて、それならもうブッシュへ行く必要もない、とアリーを見やれば、彼女はまだ陰鬱そうな顔をしている。
何がいけないのか、と尋ねる前に、アリーが重々しく口を開いた。
「……黙秘するつもりね」
ジュリには何のことだかさっぱり分からない。おそらく、シエテがあのアリーを苛立たせる事件を引き起こしたのだろう、ということ以外は。
「何かあったの?」
「多分ね。途中で、何度かテレパシーを使ったの。彼女、司法裁判官と遭遇してると思う」
「え?」
「シエテは黙っているけど。心の中をすべて隠すことは難しい」
知りたくなくても、知ってしまうことがある。それほどに、心の中というのは無防備で、いくらアリーのテレパシーをシエテが警戒していようとも――すべての秘密を悟られないようにするのは不可能だ。
おそらく、殺してはいない。脅して奪ったか、盗んだところを見られてテレポートしたか。
アリーが分かるのはその程度だが、それでも魔女の存在を司法裁判官に知られてしまった事実には変わりない。
ジュリは、なんて皮肉なのだろう、と苦々しく呟く。
「一つの資料と、魔女一人の情報を等価交換ってわけね」
アリーもそれには同意するのか、
「ほんと、最悪の等価交換だわ。司法裁判官の間で、その噂が広がらないことを祈るしかない」
と呆れたように、再びため息をついた。
同時に、ジュリの心に一つ、ある考えが浮かぶ。
司法裁判官に見られて噂にならない方がおかしい。だが、今ならブッシュの内部へ潜入して、中を探ることは出来る、と。
それに――
ブッシュの裏口で出会ったあの男のことが脳裏をかすめ、ジュリは、やはり行った方が良いと決意した。
「大聖堂に戻りましょう。シエテに詳しく話を聞かなくては」
アリーの言葉と同時に、列車は徐々にスピードを落とす。まもなく近くの駅に着くのだろう。
だが、ジュリは駅へと降りるアリーに軽く手を振った。
「ワタシは、少し調べものを思い出したわ」
「調べもの?」
「えぇ、アリーは先に帰っていてちょうだい。すぐに帰るから」
アリーがジュリに真意を尋ねる前に、列車の扉が容赦なく閉まる。
アリーは駅のホームでジュリの姿を見送る羽目になり、
「どうしてみんな、揃いも揃って」
と小さく愚痴をこぼすのだった。
・-・ ・ -・・ ・・・ ・・- ・-・ ・・・- ・ -・--
帰ったらシエテと一緒に説教を受けるだろうか。そんなことを考えながら、ジュリは再びブッシュの最寄り駅に降り立った。
「なんだか、嫌な予感がするのよねぇ……」
それは、ほんの小さな予感。アリーのテレパシーのような絶対的なものでも、メイの夢見のようなものでもない。ただ、女の勘、とでも言えばいいのか。
ジュリは数刻前に訪れたばかりのブッシュを目指して、再び格子状の町を歩く。
人気のないところで自らに魔法をかけ、先ほどブッシュへと潜入した時と同じ姿を纏う。路地をいくつか曲がり、ブッシュが見えたところで、何やらブッシュ周辺がやけに騒がしいことに気づく。
独特のベルの音には聞き覚えがあり……ジュリは、ブッシュの前に止められた車に首をかしげた。
(どうして、ヤードがこんなところに?)
軍の組織の中でも、特にロンドで発生した事件や事故を扱う者たち。軍人の一部といえば、魔女にとってもありがたい存在だが、今は違う。
ジュリの見た目はどこからどうみても司法裁判官で、少し分が悪い。
ジュリは身をひそめるように裏門へと回り、警備の男へ声をかけた。
「何の騒ぎです?」
「あぁ、先ほどの」
警備の男は、覚えてますよ、と気さくな雰囲気で片手をあげた。
司法裁判官の新入りだ、と聞かされているのかもしれない。全く怪しむ様子もなく、それどころか、何があったのかを話したくてしょうがない、と言った風だった。
「ここだけの話にしてほしいのですが」
そう切り出して、ジュリに耳打ちをする。
「……司法裁判官が死んだ?」
「えぇ。どうやら、魔女に殺されたようで」
「魔女に?」
ジュリは、耳を疑った。
「恐ろしいですな。しかも、相手はどこに行ったのかまだ行方も分かっていないそうですよ。新入りさん、あなたもお気をつけて」
「……どうも」
ジュリは小さく頭を下げて、裏門をくぐる。
一体、何が起こったのだろう。
シエテが司法裁判官と接触をしたのは間違いないようだが、シエテは決して人を殺すようなことはしない。
だが、ブッシュの書庫内で、二人の司法裁判官が死んだ。
ジュリは、警備の男から聞いた話を頭の中に巡らせ、誰が、と顔をしかめる。先ほどと同様に表側へと回りながらも、ジュリは何が起こったのか、とそればかりが気になっていて前を見ていなかった。
「おい」
だからこそ――目の前の男に気が付けなかった。
ジュリが足を止めて、顔を上げれば、ゾッとするほど冷たいブラウンとも、ブラックともつかぬ瞳にぶつかる。
――あの時の。
黒縁メガネ。上質そうなコート。ブラウンの短髪。間違いない。間違えるわけがない。
だが、先ほどまではシミ一つなかった男の革靴だけは、何かが違う。つま先に少しの汚れがはねている。
ジュリは、もしや、とその汚れの原因を想像し、体を硬直させた。
ジュリの心によぎった一つの考えを知ってか知らずか、男はジュリを見つめる。
「お前、先ほどの新入りだな?」
男はジュリを値踏みして、満足そうな笑みを浮かべる。
「今日はもう閉館だ。おぼっちゃまはおうちに帰った方がいい」
「え……」
「キツネが出たようでな。狩りは、新入りには荷が重いだろう?」
まるで、優しさか情けか、何かそういうものをかけてやっている、とでも言わんばかりの傲慢な態度で、男は気味の悪い笑みをかみ殺す。
「その綺麗な顔が蒼白になるのは、見てみたいものだがな」
しかも、そっちの気があるのか。ジュリは最悪、と内心で毒づいて、視線を逸らす。
お気遣い痛みいります、と消えそうな声で呟けば、
「また会おう」
と背中にその声がかかって、ジュリは今にも走り出したい気持ちをぐっとこらえた。
おそらく、あの男が司法裁判官たちを殺したに違いない。あの革靴はじきに処分され、証拠はすべて闇の中。だが、あの男にはそれでいいのだろう。
魔女の仕業にさえなってくれれば。
許さない――
ジュリは、早足で裏門をくぐり、路地を抜け、ブッシュから離れたところで自らの魔法を再びかけなおす。
大聖堂へ戻って報告すべきか、それとも。
ジュリは少しの逡巡の後、軍のある方へと足を向ける。おそらく、今回の出来事は、魔女の事件として処理されることになるだろう。いくらヤードが軍の管轄とはいえ、司法裁判官のあの男がやった、という証拠はない。
そうでなくても、あれだけ騒ぎ立てているのだ。新聞記者や放送局の人間が集まって、魔女の事件とするに違いなかった。早ければ夜にはテレビやラジオのニュースが。明日の朝には、新聞が出回るはずだ。
そうなれば、国民には再び魔女の恐怖が植え付けられてしまう。
せめて、そうなる前に、エリックだけには真実を――いや、ジュリの推測にしか過ぎないが、わかっていることを話しておく必要がある。
ここで、軍にまで司法裁判官の肩を持たれてはたまったものではない。
残念ながら、ジュリはテレパシーの道具を今は持っていない。アリーがこちらの念を読み取ってくれればいいが、と必死に頭の中で状況を一言一句言葉として流していく。
最悪、軍で電話を借りて直接話をすればいい。そうは思うものの、焦る気持ちは変わらない。
キツネが出た、とあの男は言った。
「キツネを狩るのは、犬の役目ってことね」
ジュリは、なるほど、と小さく笑みをこぼして、やってやろうじゃないの、と闘争心を燃やす。
等価交換だ。
魔女のプライドを傷つけた罪は重い。
ジュリは、真っ赤なヒールを司法裁判官の住む町のレンガに突きたてるようにわざと音を立てて歩いた。




