5-6 まっすぐな背中
「ブラックカースだの、魔女裁判だの……過去のことだ。くだらん」
シエテは腹立たしげに吐き捨て、
「魔女とは、未来に夢を見るものだろう」
と恥ずかしげもなくサラリと続ける。
「アリーが魔女協会を設立するときに聞いたんだ。これまでのことに悲しんで生きていくのと、これからのことを夢見て生きていくのと、どちらが良いかと」
随分と昔のことを一言一句たがわずに引っ張りだしてくるシエテに、アリーも驚いたように目を丸くした。
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シエテは、人が嫌いだ。魔女を迫害し、平気な顔をしてのうのうと生きる人が。
だが、それと同時に魔女として生まれただけで、自らを悲観する魔女のことも腹立たしかった。
嫌なら抵抗すればいい。殺される前に、相手を殺し、人々が魔女にしてきたように、同じようにしてやればいい。
それだけの力をもって生まれているのだから。
そう思っていたシエテの前に、アリーが現れた。
人から盗んだ食べ物を、大聖堂の裏庭でほおばっていた時のことだった。
当時、シエテは八歳で、善悪の区別もつかず、ただ日々を生きるのに必死で、目の前の少女を敵だと思った。
「あなた、魔女ね」
「お前は誰だ」
「私は、アリー。アリー・アダマス。あなたと同じ魔女よ。そのうち、魔女協会を設立して、たくさんの魔女を救う魔女になる」
美しいプラチナブロンドの髪。陶器のように滑らかで透き通った肌。それ以上に見惚れてしまう、白色に輝く瞳が、彼女を特別と表現せずにはいられなかった。
意志の強さも、そこに映しだされた未来への純粋な希望も、魔女の誇りも。
シエテが持ち合わせていなかったもの全てを、彼女は手にしていた。
助けなどいらない――差し伸べられたアリーからの手に、シエテははじめそう思った。
人も、魔女も、信じられるものなど、シエテには何一つとしてなかったのだ。
この世に生を受けた時から。
生んですぐに、自らの娘が魔女だと気づいた両親は、シエテをこの街に捨て置いて消えた。両親の顔も、名前も知らなかった。
代わりにシエテを育てたのは、ロンドにかかる橋の下で身を潜めて暮らすような人々だった。
魔女を突き出せば、司法裁判官に殺される。だが、魔女をこのまま見放せば、魔女に呪われてしまうだろう。
彼らがシエテを育てたのは、そんな恐怖心からだ。愛情などはなく、ただ、この世の中を生き抜くすべを、彼女に与えたに過ぎなかった。
だからこそ、シエテは誰の手も借りずに生きることを当たり前としたし、人も、魔女も、助け合わねば生きていけぬような弱いやつは嫌いだ、と考えていたのだ。
特に、アリーは同じ魔女でありながらも幸せそのものを体現したような少女で、シエテにしてみれば『嫌なやつ』に他ならなかった。
シエテは敵意をむき出しにしたが、アリーは粘り強かった。シエテが折れてしまうほどに、執念深くシエテのところに現れては、魔女協会の設立を手伝うように説得したのだ。
そのうちに、シエテも人と魔女のこと、ロンドのことを知るようになり――アリーとの考え方は一致こそしないものの、せめて彼女を助けるくらいは、と意識するようになった。
アリーが魔女協会を設立すると言った日から、半年がたっていた。
アリーは十歳の誕生日を迎え、せっかくの誕生日パーティーもそこそこに、シエテのもとへと現れて、再びその手を差し出した。
「私、今日、十歳のお誕生日なの」
「だから」
「お祝い、してくれないの」
「なぜ」
「だって、私とシエテはお友達でしょう? お友達にお祝いをしてほしいって思うのは、当然のことよ」
子供らしくも毅然とした態度でそう告げるアリーに、シエテは目をまたたかせた。
「友達?」
「そうよ、初めて出会った時から、私たちは友達よ」
アリーはにっこりと愛らしい笑みを浮かべて、シエテの手を取った。
「魔女協会を設立するわ。シエテにも、手伝ってほしい」
その時のアリーの顔と言ったら。
シエテは、いまだにあの時のアリーの美しさをなんと表せばよいか、分からない。
やっとの思いでシエテが振り絞った「なぜ」という言葉にも、アリーはあっけらかんと答えた。
「なぜってそりゃぁ……シエテの笑顔が見たいからよ」
アリーは、シエテが知らない言葉で話しかけられたとでもいうような奇妙な顔をしていることには気にも留めずに、そのままシエテの方へずいと顔を寄せた。
珍しく興奮しているようで、その頬はバラのように見事に紅潮していた。
「シエテは、いつも怒ってるみたいな顔をしてる。不満いっぱいって感じの顔を。でも、それはきっと、この国で起きた過去のことや……魔女のことを、一生懸命に一人で抱え込んでいるからよ」
その時のシエテには全く自覚がなく、アリーが言っていることは、他人のことのようで理解が出来なかった。
今になってみれば、シエテの心の内を言い当てた幼少のアリーには、ただ感心してしまうばかりだが。
「だけどね、シエテ。考えてみて。これまでのことに悲しんで生きていくのと、これからのことに夢を見て生きていくのと、どっちがいいかしら」
アリーはキラキラと輝く瞳をシエテに向けて、くるりとドレスの裾をひるがえした。
「魔女でも、幸せになれる未来を私が作るわ。だから、お手伝いしてちょうだい」
まるで、おままごとにでも誘うかのような口調で、とてつもないことを口にするアリーが、あまりにもまぶしくて。
シエテは、つい、どうしてか分からないが……本当につい、アリーの手をとってしまったのだ。
アリーはその手をもう二度と離さない、と言って喜び、そして楽しそうに大きな口を開けて笑った。
「最高のプレゼントだわ! ずっとずっと、忘れない」
――こんなに美しいものが、この世界にはまだ存在していたのか。
暗く、深く、どこまでも淀んでいたシエテのブルーの瞳に、どこまでも続く青空が映る。
シエテは自然と決心していた。
「アリーを守ると約束する」
アリーが守りたいもの、全てを。
シエテは、その日誓った。
アリーを――魔女を守り抜く。
彼女と共に夢を見るのも悪くはない、とシエテはそう感じたのだった。
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珍しく素直な表情を表に出しているアリーが、昔のころのアリーと重なって、シエテは思わずフッと口角を上げた。
些細な変化だが、彼女と長くともに過ごしてきた皆が気づかないわけがない。
「どうしてかしら。シエテに言われると、昔からなんでもできる気がするのよねぇ」
ジュリが呆れたようにため息をつくと、メイも同意するようにうなずく。アリーも困ったように眉を下げた。
トーマスは穏やかな笑みを浮かべる。
「シエテさんの強さが、私たちに安心感を与えるのでしょうね」
実に聖職者らしいコメントだが……シエテにはそれがむずがゆく、剣呑な瞳をトーマスに向けた。
「とにかく、一人でもやる。資料を盗むだけだ、大したことじゃない」
シエテが無理やりに話題をもとへ戻すと、メイも覚悟を決めたと言わんばかりにその視線を上げて「わかったわ」とうなずいた。
「私は、シエテを信じるわ。夢も見ない。だから、代わりに約束してちょうだい」
「なんだ」
「必ず、ここへ帰ってくると」
メイの、どこまでも鮮やかなエメラルドグリーンは、シエテをとらえて離さない。
シエテの深く透き通ったブルーも、メイをしっかりと見据えた。
「わかってる」
いつもと同じ端的な言葉。だが、それ以上は必要なかった。
魔女を幸せにする。そんな未来を共に夢見る間柄だ。言葉にせずとも、どこかで通じているような気がしてしまうのは、アリーのテレパシーという力のせいか。
それとも――
「友達の頼みだからな」
シエテはそういうと、あっという間に姿を消してしまう。
テレポートを使う彼女を止められるものなど、誰一人としているはずもなく。
けれど、追いかけることくらいは出来る。あの、どこまでもまっすぐな背中を追い続けることなら。
シエテのいなくなった礼拝堂で、アリーとジュリが顔を見合わせてうなずき、
「追いかけるわ」
と同時に言葉を発する。
メイとトーマスも、シエテが帰ってくる場所を守らねば、と互いに顔を見合わせた。




