5-1 鉄道に揺られて
鉄道に乗り込んだアリー達四人の姿に、乗客たちは息を飲んだ。
人々からすれば、司法裁判官がロンドの街中に突然四人も現れたのだ。それも、普段は豪奢なエンジン車に乗っているはずの司法裁判官が、鉄道に。
何かあったのだろうか、と好奇心をのぞかせる者。目を合わせないようにとうつむく者。ヒソヒソと声を潜めて会話をする者……。
その反応は様々だが、明らかにそのどれもがアリー達に向けられていることに間違いはない。
ディーチェが居心地の悪さに顔をしかめ、シエテは周りを威嚇するように眉を吊り上げる。
魔女であることはばれていないようだが、歓迎もされていない。
それはアリーもジュリも十分に肌で感じて、二人をなんとかなだめすかせる。
「やっぱり、ブッシュの前で制服に着替えた方がよかったかもな」
ジュリが肩をすくめる。小声だが、聞かれても違和感がないように、と口調だけはしっかりと男のものにして。
アリーはその言葉に首を縦に振って答えた。声色は変えられない。ただでさえ目立っているというのに、これ以上乗客の視線を集めるようなことはしたくなかった。
シエテも、早々に人々の視線から興味を失ったのか、それとも人嫌いゆえか、鉄道の外へと視線を投げていた。
テレポートが移動手段のシエテは、これが初めての鉄道で――大嫌いな人間のことに時間を割くよりも、鉄道の乗り心地やその仕組みに思いを馳せる方が有意義だと判断したようだ。
ディーチェは、そんなシエテに
(どうしてこんな状況で落ち着いていられるのかしら)
と少しの苛立ちを覚える。
魔女協会の理念として、人との共存を掲げている以上、協会に属する魔女はどちらかといえば人間に対して肯定的な見方をしている。
そんな中で、人間嫌いなディーチェは少し異質だ。
だからこそ、唯一の理解者だと思っていたシエテが、この状況に一つの不満も漏らさず、立ち振る舞っている。そのことに、ディーチェはひどく裏切られたような気持ちになった。
人間が周りにいる。わが物顔で鉄道に乗り込み、席へ座り、こちらに怪訝な視線を向けている。
おかしいのは、どう考えても魔女というだけで人殺しをするような人間の方なのに。
考えただけでも吐き気がこみあげてくるようだった。
その気持ちのやり場も、シエテのようなやり過ごし方も知らず、ディーチェはうつむく。
(やっぱり、やるなんて言わなきゃよかった)
だが、それも人間に負けたような気がして悔しい。特に、司法裁判官に。
複雑に感情が混ざり合って、ディーチェは泣きそうになってしまう。それをなんとか耐え凌ぐように、ディーチェは唇を強く噛みしめた。
『大丈夫?』
ディーチェの異変に気付いたアリーが脳内に語り掛ける。ディーチェはパッと顔を上げ、対面に立っていた男の姿に眉をひそめた。
アリーじゃない。いや、実際にはアリーなのだが……やはり、何度見たってその姿は全くの別人だ。
白いスーツを着こなす、完璧な造形美の男。ただ立っているだけなのに、その立ち姿でさえ見惚れてしまうほど。
ディーチェが顔をしかめたことに、アリーは困ったように笑った。今は、どうしてやることも出来ない。ディーチェだってそれは分かっているだろうに、うまく感情がコントロールできていないようだった。
『もう少しの辛抱よ。二十分後には、乗り換えの駅に着くわ』
アリーはそれだけをテレパシーで送り、窓の外に見える時計塔を指さす。ディーチェは、その指につられたように時計塔へ視線を向け
(まだ、二十分もあるじゃない)
そう悪態をついた。
一刻も早く、鉄道から下りて人気のないところで深呼吸をしたい。それだけでいい。こんなに人間のたくさんいるところにずっといるなんて耐えられない。
そんなディーチェの願いが届いたのか、次の駅に滑り込んだ鉄道の扉がゆっくりと開く。ディーチェは瞬間、扉の方へ顔を向けて、外の空気をめいっぱいに吸い込んだ。
司法裁判官には不用意に近づかない方がいい、という人々の重く抑圧されたような雰囲気だけが、ディーチェには幸いだった。
停車した駅で乗り込んできた客たちは皆、司法裁判官の服を着た四人の男を見ると、避けるようにして席へつく。中には隣の車両へ移動する者もいて、自然と魔女たちの周りには十分すぎるほど不自然な空間が出来上がる。
ジュリは先ほどの言葉を撤回しよう、と内心でうなずいた。制服を着てきたのは、正解だった。たとえ、周囲からの目線が厳しかろうと、人々から接触されるよりはマシだ。
ディーチェが耐えられなかっただろう。
いよいよ先が思いやられる、とジュリが頭を抱えると、アリーが小さくジュリの肩をたたいた。励ましか、それとも同情か。どちらにせよ、アリーも似たようなことを考えていたらしく、ディーチェを見る目は子を見守る親のようだった。
鉄道に揺られて十分が過ぎたころ、ディーチェもようやく落ち着きを取り戻したのか、シエテと同様に鉄道の外に流れる景色を見つめていた。
窓の外に見える時計塔がだんだんと大きくなってくる。セントベリー大聖堂からそれだけ離れたのだとディーチェに実感させた。
(これが終わったら、絶対ユノに新しいとびらをお願いしなくちゃ。すっごく癒されるやつがいいわ。お姫様の部屋だって、あいつのせいで結局見れてないんだもの)
あいつ、と嫌いな人間のことを思い出し、それと同時に大好きな物語のことも思い出して、ディーチェの胸中に薄モヤがかかる。
トーマスと同じように、やはり憎みきることの出来ない相手。へらりと笑う顔の腹立たしいことと言ったら。
――でも、あいつの書くお話はどれも……。
そこまで考えて、ディーチェはブンブンと頭を振った。
突然のディーチェの行動に、近くにいた乗客がギクリと体を強張らせたが、当の本人は気づかなかった。
(別に、あいつのことなんかなんとも思ってないんだから! お話は、そりゃ、ちょっとは面白いけど……。本だって完成したら、そりゃ、少しくらいは読んでやってもいいけど!)
ディーチェは、自らの言葉に、そうだわ、と顔を上げる。
(そもそも、このアタシがあいつのためにこんな思いまでして時間稼ぎをしてるんだもの。本は絶対に、完成させてもらわなくちゃ。しかも、それを読む権利はアタシにもあるはずよ! そう、これは等価交換だわ!)
自分を納得させるために等価交換を持ち出せば、少しばかり気持ちも軽くなる。
アリーは、ディーチェの気持ちをテレパシーで読み取りながら、ようやく安心したように口元へ笑みを浮かべた。
ジュリも、そんなアリーの表情に緊張をほどく。
最も幼いディーチェが、この作戦が成功するかどうかの鍵を握っていると言っても過言ではない。彼女が冷静さを失い、メイの見た夢とは違う行動を起こすほど、描いていた未来からは遠ざかってしまうのだから。
ディーチェは、自分のことを大人だと思っているが、周囲からすれば子供の背伸びだ。
もちろん、ディーチェにはたくさん助けられている。しかし、それも魔女協会の中でのこと。
魔女協会から一歩外へ出た時の、彼女の行動については未知数だった。
アリー達は何度となく魔女を救うために危険を冒してきた、という自負があるが、ディーチェにあるのは「自分は大人の魔女にも引けを取らないでいられる」という根拠のない自信だけ。
ディーチェのことは皆買っている。彼女の能力の素晴らしさも認めている。そして、この作戦に、彼女の魔法があれば今後を有利に進めることが出来るということも――
何より、ここで経験を積ませておくことが、後々の魔女協会のため。
だからこそ、リスクを背負ってでもディーチェを連れていく。
それが、アリー達魔女協会設立者の四人が出した結論だった。
大人の身勝手な希望のために、子供を巻き込んでしまった。
――何としてでも、ディーチェは守る。
アリーも、ジュリも、シエテも……もちろん、魔女協会で待っているメイも、強い覚悟をその胸に秘めていた。




