4-19 助け合い
ロンドの街に、十四時の鐘が鳴り響く。
大聖堂の裏庭では、時計塔の鐘と大聖堂の鐘が混じる。
ディーチェは、普段なら気にも留めないような些細な音のズレが、不協和音のようで顔をしかめた。
いよいよブッシュへ潜入するというのに、なんだか嫌な予感だ。
ディーチェは軽く頭を振って、考えすぎだ、とその予感を頭の隅へ追いやった。
「準備はいいかしら?」
ジュリがポンとディーチェの肩に手を置く。
「大丈夫よ」
ディーチェの返事に、ジュリは「それじゃ」と魔法の呪文を唱えた。
くるりと回って見せれば、アリーやシエテがディーチェの方へ視線を向ける。
「さすがに目立っちゃうかしら?」
ディーチェ本人にはどんな変化が起きているのか分からないが、どうやら少しばかり目立つようである。
ブロンドの髪とブルーの瞳。顔つきはディーチェの愛らしさが残っているせいで、おとぎ話に出てくる王子様のよう。司法裁判官の白いスーツに身を包んでいるから余計に。
メイがディーチェにそう説明すると、ディーチェはげんなりとジュリを見つめた。
「似合ってるじゃない! それに、見習いだと言えば誰だって分からないわ」
ジュリは全く気にする様子もなく、自分にも魔法をかけていく。
「こんなに小さい司法裁判官がいるのか?」
小さいとはなんだ、とディーチェはシエテをにらみつけたが、ジュリに怪訝な視線を向けていた彼女には届かなかった。
「身長までは変えられないんだから、仕方がないわよ」
ジュリもくるりと回って見せて、その長い赤毛を短いモカ色に変える。チョコレート色の瞳も相まって、すっかりロンドの街によくいる男性だ。
特殊なのはその服装で――青いラインが目を引く真っ白なコートの内側に、これまた真っ白なスーツがよく目を引いた。
司法裁判官の制服だ。
「まさかアタシが、こんな趣味の悪い服を着るなんて……」
ディーチェの目には、いつも着ている自分の服にしか見えない。だからこそ余計に、ジュリの姿は信じがたいものだった。
不満と共に着ている服の裾を引っ張れば、ジュリにウィンクを投げかけられた。
「意外と似合ってるわよ」
嬉しくない褒め言葉である。
ディーチェが深いため息をついている間に、アリーとシエテもジュリの魔法にかけられる。
顔立ちこそそのままだが……これでは誰が誰だか分からない。特にアリーは、プラチナブロンドの髪と瞳が特徴的すぎるので、アイデンティティを喪失しているに等しい。
完璧な美貌のグレーがかった髪をもつ青年がアリーで、どこか勝気なブルーの瞳をもつ青年がシエテか、とディーチェは顔立ちから推測して、慣れないわ、と呟いた。
二人も、何かあった時のためにと、その服装はやはり司法裁判官のもの。
いよいよシエテも頭が痛くなってきた、とこめかみを抑える。
「二度とごめんだな」
なんとかそれを言うにとどめて、シエテもやはりディーチェと同じように苦々しい表情を浮かべた。
「それじゃ、行きましょうか」
凛とした声はそのままに、アリーがブッシュの方角へと足を向ける。
「ディーチェちゃん、気を付けてね」
一人だけ普段通りのメイを目に焼き付けることで何とか気を落ち着かせて、ディーチェもようやく前を向いた。
大聖堂から外へ出たら、もうそこは人間の領域。
自分を守ってくれるものは何もない。
ぶわり、と排ガスや煤っぽい空気が押し寄せて、ディーチェの額にじわりと嫌な汗がにじむ。
アリー達は隣にいるが、三人に頼らざるをえない状況になってしまったとしたら――それはもう、何かあった後だろう。
まずはそうならないように、とディーチェはぎゅっと手を握り、三人の後をついていった。
・・・ ・ ・ --- ・・-・ ・・-・
メイは、ブッシュへと向かった四人の背中を見えなくなるまで見送って、ぎゅっと両手を祈るように握りしめた。
――どうか、四人が無事に戻ってこられますように。
いくら夢を見て未来を知っているとしても、それはあくまでも夢に過ぎない。
ジュリやディーチェの行動が、メイの教えた夢から遠ざかるほど、未来は不確定に形を変えてしまうもの。
もしも、何かが起こったら……その時は、メイには何もできない。
もう一度、夢を見ようか。
シエテには怒られてしまうが、一人だけ何もせず留守番をしているなんて耐えられそうにない。
「私たちが留守の間、メイがこの魔女協会を守ってちょうだいね」
アリーからはそんな風に言われている。魔女協会を守るといえば聞こえはいいものの、だからと言って出来ることがあるわけではないというのに。
やっぱりもう一度――
「大丈夫かい」
隣にいたトーマスの声に、メイはハッと顔を上げた。普段は敬語で話しているトーマスのくだけた口調を聞くのは随分と久しぶりだ。
いつから彼は敬語で接するようになったんだろうか、とメイは苦笑する。
「あんまり、大丈夫じゃないかも」
素直に言えば、トーマスはその麗しい顔を曇らせる。
「私に出来ることはあるかい」
トーマスには昔から助けられてばかりだな、とメイは思う。トーマスはそんな風に思ってなどいないだろうけれど。
魔女とずっと仲良く一緒にいてくれる人間がどれだけ貴重な存在か。
「いつも助けられてばっかりだね、私」
メイの言葉に、トーマスは首をかしげた。助けられているのはいつも自分の方だ。少なくともメイがいなければ――自分は今、ここにはいないのだから。
メイはそんなトーマスの気持ちすら、わかっているという風で
「トーマスは、そうじゃないって言いたいんでしょうけど」
と付け加えた。
お互い様だもの、と笑えば、トーマスは肩をすくめる。
「魔女は、よく等価交換と言うけれど……私は、自分の命とおなじだけのものをメイに与えた記憶なんてないよ」
「そうかな?」
これまで長い時を共に過ごしてきた、その人生こそ、命だと言うのに。
「たくさんもらってるよ、私が返せてないくらい」
トーマスは肩をすくめた。メイの気持ちが少し落ち着いたことを察したのか、トーマスは体をひるがえす。
「戻ろうか。あまり外にいては体が冷えるよ」
トーマスの言葉と共に、ロンドの冷たい北風が吹きこんで、メイはうなずくほかなかった。
「大聖堂のお仕事は大丈夫なの?」
振り返らずにメイが尋ねれば、返事代わりか、足音が止まる。
裏庭の焼却炉から魔女協会へ続く階段を降りる。ほとんど使うことのない――できれば、使うことがない方がいい――そんな階段だからか照明はなく、音が消えてしまうと、そこに人がいるのかさえ分からない。
「ここには人が多すぎるくらいだよ」
「そうかしら? でも、それだけ人を救いたいという方がいらっしゃるのは良いことね」
「魔女を救いたいんだ」
きっぱりと言い切ったトーマスの言葉にメイが足を止める。いよいよ、メイもトーマスも互いの存在を認識できなくなった。
「……ねぇ」
メイの声がシンと響く。視界が奪われているせいだろうか。やけにメイの声が切なくトーマスの胸を掴んだ。
「みんな、無事に帰ってこれるよね」
トーマスは足を踏み外さないよう、そっと階段を下りて、メイを後ろから抱きすくめた。
メイは突然のことに息を飲む。
「……っ、トー、マス……?」
「大丈夫――何かあったら、私が彼女たちを助けると約束するよ」
命にかえても。
耳元でささやかれた低くて湿っぽい声が、泣いているように聞こえたのは、この暗闇のせいだろうか。
メイは小さくうなずいて、トーマスの手をほどく。
「もう、私には差し出せる命なんてないのに」
メイが困ったように笑うと、トーマスもつられて笑った。
「本当の意味での助け合いって、そういうことなのかもしれないね」
魔女協会の光が見えて、前を歩いていたメイの姿がだんだんと輪郭を持ち始める。
その光がまぶしく思えて、メイも、トーマスも、目を細めた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます♪♪
四つ目の扉、魔女協会のお話はここでおしまいとなります~*
次回からは五つ目の扉。向かう先はもちろん……!? ということで、これからも良ければ、人と魔女と、そしてこの国の行く末をあたたかく見守っていただけましたら幸いです。
本当にいつも、ありがとうございます!




